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仮想少女ヴァーチャル・ドール


 仕事が退屈だった。転職か結婚かを考えた矢先に、失恋してしまった。
 そういう、ちょっとどころでなくブルーな気分を背負って、あたしは家に帰ってきた。重たい足を引きずって、コンビニの袋を携えて。たとえどんなにブルーでも、人間ってモノは食べなきゃないし寝なきゃいけない。いっそ死のうか……なんて思わない辺りが、あたしだったけれど。
 あーあ、イヤんなっちゃうな。
 買ってきたお弁当を電子レンジに入れて、特大のため息をついた。
 明日、会社に行きたくないな。
 そもそも行きづらいよ。あの人、よりにもよって同じフロアにいるんだもの。社内恋愛なんて安易よ安易……って、ずっと言ってたのになぁ……。
 ちーん、と小気味いい音でレンジが鳴く。テレビを点けてテーブルについて、あたしはふと、何とも言えず寂しい気分になった。
 2LDKのこのマンションは、一人暮らしに手頃な広さだった。なのに、妙に広く感じてしまったりしたのだ。今流行のガーデニングにも興味なかったし、仕事が結構不規則だったから、ペットなんて飼えやしなかったし。そんなこんなで、あたしの部屋は潤いに欠けているように見えた。あの人がいた時には、そんな事、考えもしなかったのに。
「図体がでかいばっかりでかいから、そんなの感じなかったのよね」
 ひとり呟いてみたところで、返答があるわけない。あったら怖い。
 テレビの音が虚しくて、あたしはリモコンを手に取った。音を立ててテレビが黙り込むと、部屋はますます乾いて、寒々しくなった。
「……暖房つけよ」
 ヒーターをつけてみた。室温表示は摂氏二〇度。……嘘みたいに寒く感じたのに、こんなものだったんだ。
 雨の所為かもしれない。
 昔っから、雨の日って気分が重かったから。

 仕事のために買ったパソコンだった。それを仕事以外で起動させたのは初めてだった。仕事の用件以外入ったためしのないメールサーバーを覗いてから、不特定多数と喋るチャットルームに顔を出して見た。けど、どうも馴染めなかった。こんな日だから誰かと話したかったんだけど……考えてみたら、長電話するような友達がいなくなってた。みんな、結婚したり子供が産まれたりして、一人の時間が減ってしまっていたから。
 インターネットのホームページを眺めながら、つらつら思う。
 結局、社会人になって何か得られたろうか。子供の頃は……学校を出たての頃は、友人と遊んだり旅行に行ったりもしたけれど、勤続年数に比例して仕事の量も、重要度も増した。そうなると自然とつきあいも減ったりするわけで……その結果がこれなわけだ。ああ、わびしいったら無い。
 ペットでも飼おうかな。実物は世話が大変だから、何かこう……手の掛からないヴァーチャル・ペット。そうしたら文句も言わないし、構いたい時にだけ構って、忙しいときは放って置いても死なないし。
 そう思い直して検索をかけ直した時、ふと、奇妙な単語が目に飛び込んだ。
『観用少女』
 プランツ・ドール、とルビが振ってあった。字面からすると、ちょっとアヤしいゲームタイトルのようだけれど、ルビを見るに植物のようでもある。新種の花か何かだろうか。あるいは観葉植物の育成シュミレーションとか。とにかく、覗いてみるだけ覗いて見る事にした。
 そこは、一言で言うなら「変」なホームページだった。タイトルページを見た瞬間、異国風の店屋の前に立ったような錯覚に襲われた。ディスプレイの中で扉が開き、男のグラフィックが現れてにっこり笑った。
「いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか」
 彼の脇にウインドウが現れて、選択肢を表示した。

観用少女プランツ・ドール』の説明
 少女の一覧
 付属品の一覧
 購入希望を出す
 戻る

 ここで戻れば良かったものを、あたしは好奇心に駆られて『説明』を選択した。いかにも店員的営業スマイルを見せて、グラフィックの男が頷いた。
「お客様は初めていらっしゃいましたか。ではご説明いたしましょう。
 旧くから貴族の愉しみとして親しまれております、生きた人形でございます。外見は少女の姿をしておりますが、人ではありません。世話は至って簡単で、日に三度のミルクをお与えになるだけです。色・ツヤを保つためには週に一度、砂糖菓子を与えると良ろしいでしょう。そのような付属品等は当店で扱っております。
 こちらのホームページでは、観用少女を疑似体験できるソフトをご提供しております。どうぞごゆっくりご覧になって、相性の良い観用少女をお探しください」
 声がやみ、再び彼の横に選択肢が現れた。あたしは少し考え、『少女の一覧』を選択した。
 画面が切り替わった。ずらりと並んだのは、ポートレート風に処理された、少女の顔のグラフィックだった。どれもが目を閉じ、うつむき加減だった。目の色や髪の色が追記として横書きされている。物によっては、名前らしい名称も書かれていた。
 何でみんな目を瞑っているんだろう。
 そんな事を思いながらページを進む。一ページ当たり十六枚のポートレートが、三ページ。すぐに最初のページに戻ってきて、あたしは気がついた。さっきとは何か違っている。それが何なのか、すぐに気がついた。右端の列の中程の子が、目を開いていたのだ。さっきは周りの子と同じで、眠っているみたいに目を閉じていたのに。
 気になって、そのポートレートの上をクリックしてみた。その子が拡大表示される。さほど広いとは思えない空間に、女の子がいた。アンティーク調の椅子に腰掛け、これまたアンティーク調のドレスを着て。
『月華』
 どうやら、それがこの子の名前らしい。黒い真っ直ぐな髪が斜めからの光に反射して、鈍い青に光っていた。見開かれた目は、追記のとおり深い藍色だ。
 人形のような無表情。……さっき『生きた人形』って言ってたっけ。どういう意味なんだろう。そう思った刹那、画面の中の女の子が、にこっとした。まるで、あたしが見えてでもいるみたいだった。すとんと椅子から降り、こちらに向かって歩いてくる。あり得ないことだとわかっていながら、あたしは思わず身を引いた。モニター画面を突き抜けてこっちに来るような感じがしたのだ。
 と、画面の隅からさっきの男が現れ、その子を抱き抱えた。そうすると女の子は大人しくなって、また椅子に座らされた。
「お客様を気に入ったようです」
 男はそう言った。あたしは目をぱちくりさせた。
「観用少女は相手を選びます。それは相性としか言いようのないものですが、確かに選ぶのです。どれほど望まれようと、観用少女に選ばれた方にしかお譲りすることはできません」
 なんじゃそりゃー!?
 あたしは何度も瞬きをして、男のグラフィックを見つめた。それで客商売が成り立つのならば、そのプランツとやらはさぞかし高価に違いない。
「また、一度目覚めた観用少女は、他のお客様に目もくれなくなってしまいます。観用少女の極上の微笑みは、その方だけのものとなるわけです」
 はぁ、としか言い様が無い。
 でも……何と言うか、彼が口にしたフレーズは、きっと選民意識をくすぐるのだろう。かく言うあたしも、ちょっとばかりぐらついていた。そんなレアな物に気に入られて、無視して通るのも何だかもったいない気がした。それに、ディスプレイの中、掌サイズの女の子は、確かに可愛かった。こんな子が毎日待っていてくれるなら、少なくとも今日みたいな気分で帰ってくることはないだろう。疑似体験ソフトならば、それほど高くはないだろうし。
 購入希望のウインドウを出して、値段やら支払方法やらの手続きをした。二万円という値段には少々驚いたが、ゲームとしてならともかく、ソフトとしてみれば、まぁ高いとは言えないだろう。

 翌日。
 まるであたしが帰ってくるのを待っていたかのようなタイミングで、宅配屋が荷物を届けてきた。まさか昨日の今日で、と思いつつ包みを開ける。差出人は知らない名だった。店の名のようだったが、あたしは観用少女のホームページのタイトルすら覚えていなかったのだ。それがあの店の名前だったかどうかまでは確認できなかった。
 思ったよりずっと大きな包みだった。中に入っていたのは、マイクとカメラ、そしてCDが一枚。
『カメラは観用少女の目となります。なるべくディスプレイの近くに置いてください。』
 ふむふむ。
『マイクは同様に、観用少女の耳となります。』
 なるほどね。そうやって双方向のコミニュケーションを成り立たせるわけ。
 同封されていた説明書を読みながら、機器を設置する。すっかり準備を整えてから、CDをセットした。ぽん、と音でも立てそうな勢いで、昨日の子がディスプレイに現れた。にっこり笑いかけられたあたしは面くらい、慌てて説明書を開いた。
『CDを挿入すると自動的にセットアッププログラムが起動します。「plants_doll.exe」はスタートアップに自動的に登録され、常駐部として作動します。』
 ……あ、そう。びっくりした。
 あたしは改めてディスプレイに目を向けた。ディスプレイそのものがレンズでもあるかのように、観用少女はまっすぐにあたしを見つめている。その綺麗な藍色にあたしが映らないのが不思議なくらいだった。
「えっと……こんばんは」
 よく考えれば間の抜けた事を、あたしは口にした。観用少女はにっこりして、ぴょこんと頭を下げた。
『観用少女は言葉を持ちません。あなたの愛情次第で言葉を覚えることもあります。』
 そうあったのを思い出した。これが彼女なりの、精一杯の『ごあいさつ』に違いない。あたしは何だかぽかぽかした気持ちになりながら、説明書をめくった。
『セットアップ中から、ソフトは起動します。セットアップが終了すると画面に名前の入力画面が現れます。必ずしも付ける必要はありませんが、お好みの名前を付けてください。』
 顔を上げると、確かにウインドウが現れており『名前の入力』とあった。ボックスの中には『月華』の文字がある。あたしは少し考え、丁寧にその文字を消した。ディスプレイの中で、観用少女は不思議そうにあたしの手元――というか、画面の下の方――を見ている。
「『月華』は商品名でしょ? あなたの名前、つけてあげる」
 意味がわかったのか、観用少女は輝かんばかりの笑みを見せた。あたしはついそれに、へらっと笑い返してしまっていた。……どうも、この子みたいに可愛らしくは笑えない歳になってしまっていたらしい。それでも構わないらしく、観用少女はちょん、と床に座った。さほど奥行きのないグラフィックの部屋が、この子の世界になった。

「観用少女、ですか?」
 さらに翌日、後輩の残業を手伝いながら。場つなぎの会話の中で、あたしは観用少女の話を出した。二年後輩の彼は目をぱちくりとさせ、さも意外そうにペンを口元に当てた。
「こっち来てから初めて聞きましたよ、それ」
「知ってるの?」
「ええ、オレの田舎じゃ有名なんですけどね」
 知らなかった。有名だったんだ、あれ。
「帰国子女ってヤツなんですよ、オレ」
「全然そうは見えないわね」
 彼はぴくと頬を引きつらせたが、あたしは構わずに続けた。
「じゃ、結構ポピュラーなものなんだ、観用少女って」
「とんでもない」
 書類に目を落としながら、彼はきっぱりと言った。
「エラい高級品ですよ。上流階級の人間でもない限り、一生物の借金背負い込むって話です。オレもね、あっちにいた頃に一度だけ見ましたけどね……何つーか、こう……魂奪わんばかりに綺麗な人形なんですよ」
 あたしは顔を上げ、にやにやと彼を見た。
「ははーん。さてはキミも奪われたクチだ」
 図星だったらしい。彼は真っ赤になって首を振った。
「違いますよ。人形が初恋なんて、変態じゃないんだから」
「あぁそう。初恋なんだぁ」
「違いますってば!」
 ムキになって否定すればするほど墓穴を掘って、彼は年甲斐もなく泣きそうな顔になった。
「言いふらしたりなんかしないわよ。ほらほら、手を動かす」
 情けなさそうなところが可愛くて、ついついからかってしまう。悪いとは思っているんだけれどもね……。
「そうだ。これ終わったら、うちに来ない?」
 彼は鳩に豆鉄砲な顔をして、あたしを見つめた。
「はい?」
「その観用少女、あたし持ってるんだ」
 目と口でOを三つ作った彼は、ますます情けなかった。
「えっ、センパイ、買ったって観用少女をですか?!」
「そうよ、疑似体験ソフトだけどね。見に来る?」
 一も二もなく頷いてしまってから、彼はばつの悪さからますます赤面して俯いてしまった。

 だがしかし。
「ただいま」
 帰ると同時に、パソコンに電気が入った。ディスプレイにあの子が駆け寄るのが映る。
「うわ、本物だぁ」
 その声に、動きが止まった。じりじりと後退して、部屋の隅に隠れてしまう。
「あれ?」
 あたしはディスプレイに近づいて、覗き込んだ。お姫様はこっちを探るような目で見ているばかりで、いつものように笑いかけてはくれなかった。
「どうしたんだろ? 機嫌悪いのかな」
 彼のため息があたしの肩を叩いた。
「ちぇ……ヴァーチャルでもプランツはプランツか」
「……どういうこと?」
「センパイ、知らないんですか? 基本的に観用少女ってのは、持ち主以外には笑ったりしないんですよ。それがまた憎たらしいったら無くて」
 いじけるように背を向けて、彼は脱ぎかけていたコートを羽織った。
「お茶くらい出すよ?」
「いいですよ。元々、ちらっと見たら帰るつもりだったんですから。夜分に失礼しました」
 ぺこりと頭を下げる。まぁ、あんまり遅い時間に帰すのも悪いし、それに外聞的にもあんまりよくない。社内で噂になったりしたら可哀想だ。
「ごめん。気、悪くさせちゃって」
「そんなこと」
 慌てた様子で手を振る。
「子供の頃、友達の家で見たんだけれど……その時の事、ちょっと思い出しただけです。ダメですね、オレ。昔から進歩無くて――」
 そう言って笑った彼を、あたしは知らない人のようだと思った。
「他人の物ばっかり欲しがる癖があるんで」
「……うちのコはあげないわよ」
 彼は苦く笑い、もう一度、頭を下げて帰って行った。それを見送ってから、あたしは部屋にとって返し、ディスプレイを覗き込んだ。へらっと笑いかける。
「知らない人が急に来て、びっくりした?」
 こくんと頷く。
「怖かった?」
 もう一度、頷く。
「ごめんね。今度から誰か連れてくるときは、前もって言っておくから」
 おずおずと顔を上げる。すまなそうな表情が新鮮で可愛かった反面、後ろめたさを感じた。
「あたしが悪かったんだから。そんな顔しないで、こっちにおいで」
 そろそろと立ち上がる。いつもそうするように、彼女は両手を広げた。窓ガラスに手を付ける動作。おそらくは、ディスプレイの向こう側に触れているのだろう。
「ミルク入れようか。砂糖菓子溶かして」
 ぱっと顔が輝いた。二度頷いて、お気に入りの椅子まで行って座る。ミルクと砂糖菓子のアイコンをクリックしながら、あたしはディスプレイの表面を眺めた。
 あんなに怯えてても、あたしは抱きしめてあげられない。カーソルを上下させて頭を撫でてあげられても、結局はそれだけ。他に何もできない。
 あのホームページに行って、何かいい方法がないか訊こうかな。
 若干の自己嫌悪にかられながらインターネットに接続しようとした、その時。
「いっしょにいく」
 あたしは顔を上げた。ディスプレイの中、あの子が人形を抱きしめながら、もう一度
「いっしょにいく」
 ……喋った……。
「行くって、あの」
 パニック寸前になって、あたしは思わずディスプレイに手を当てた。
「いや?」
「嫌じゃないわよ。でも、どうやって」
 にこ、として、お姫様は人形を椅子に置いた。
「ついてく」
 決然として言われると、あたしには逆らう術がなかった。仕方なしに頷くと、嬉しそうな笑顔をくれた。どうなることかと思ったのだけれども、その笑顔だけでいいような気もした。
「じゃ、行くよ」
 可愛らしい頷きが返る。右手が少し、温かかった。

「で、その後、そのホームページで買い物しちゃったのよ。服とかミルクとか、時々買っておかないと駄目なのよね」
 社員食堂で、あたしは喜々として喋りまくった。相手はもちろん、後輩君である。悪いとは思ったものの、そういう話ができる相手は彼しかいないのだ。
「コミニュケーションとれるって、いいよね。嬉しくなっちゃったわ」
「……水差すようで悪いんですけど」
 かなり不機嫌に、彼は箸を置いた。
「センパイ、忘れてませんか」
「何を?」
「いくらそれっぽく見えても、あれはあくまで疑似体験ソフトなんですよ? 所詮はプログラムが指定通りに実行しているだけなんですから」
 あたしは反射的にむっとした。何にむっとしたのか、反射的だっただけに自分でもわからなかった。
「わかってるわよ、そんなこと」
 釈然としない表情を浮かべつつも、彼はあたしを見つめて言った。
「心の投げ込みって言うんだそうですよ。無生物のそれらしい仕草の中に、心や感情、意思を感じたりする事。想像力のある人間だからなせる業って言い方もできますけど……今のセンパイ、そんな感じです。あまりいいことだとは思えませんが」
「……観用少女に初恋捧げた人に言われたくはないわね」
 明らかに彼は傷ついた風だったが、あたしは構う気はなかった。自分から同席しておいて勝手な話だったが、そのくらい、あたしはむかむかしていた。

 いいじゃない、そんなの。
 あたしが満足してれば、それでいいじゃない。
 そもそも実際の観用少女だって、買う人の自己満足でしょ? それと何処が違うの? 実際に抱きしめられたって、触れ合えたって、それでも相手は観用少女――人形じゃない。だから……だから、あたしのあの子だって、同じなのよ。抱きしめられないだけ、触れ合えないだけ、それだけじゃない。
 それだけ。
 そうよ、あたしはそれだけになるのが嫌で、だからあの子を買ったの。いてくれるだけでいいって気持ち、忘れたくなかったから。

「――なんてこと言うのよ? 酷いと思わない?」
 あたしの愚痴を、あの子は真っ直ぐに聞いていてくれた。……ほら、こうやって聞いてもらえるだけでもいいの。それでうんと気持ちが軽くなること、あいつは解ってないんだわ!
「あたしのこと、好き?」
「すき」
「ならいいの。あなたがあたしを好きでいてくれれば、もういいわ」
 つい、と椅子を立ち、うちのお姫様がディスプレイに張りついた。
「……おこってるの?」
「あいつのバカさ加減をね。あなたを怒ったんじゃないから、気にしなくていいのよ」
 ふるふる首を振って、ますますディスプレイに顔を寄せる。あたしも、思わず顔を寄せた。
「なぁに?」
「おこるの、だめ」
 はい? となったあたしを見つめ、強いまなざしで繰り返した。
「おこるのだめ。わらって、ね?」
 あたしは笑おうとして、できなかった。この子は真剣だった。少なくとも、あたしにはそう思えた。怖いくらいの真剣さであたしを射竦めていた。
「わらって?」
 けれどその日のうち、あたしは笑えなかった。作った笑みですら浮かべられなかった。

 観用少女は純粋で、愛された分だけ愛を返す。それって結構、すごいことだと思う。
 あたしは? あたしの観用少女が愛してくれる分だけ、愛せているだろうか……。

 翌朝、いつも通りに挨拶をして、あたしは異変に気がついた。
 あの子がいない。
 会社に遅れる時間だったが、そんなのを気にしてはいられなかった。パソコンの中を隈無く調べても、あの子の姿は影も形もなかった。
 どうしよう。あの子はネットに潜れる。何処かに遊びに行ったんなら、まず探せない。まさか勝手に行けるとは思ってなかったから……どうしよう。どうすればいいんだろう。
 例のホームページにも行ってみたが、手掛かりはなかった。あり得ないことだと言われ、ますます絶望感が広がる。
 どうしよう、どうしよう。笑ってって言われたのに笑えなかったから? だってそれは、あいつがあたしを怒らせたから――怒らせたから?
 あれ? ちょっと待って。
 あいつの言ったことって、結局はあたしの心配よね。あの子にばっかり傾倒して、周りが見えなくならないようにって心配してくれたわけで……あああ、もう、今更気づくなんて遅いわよ! おまけにあの子もいないし、どうすりゃいいのよぉッ!
 ――ぴんぽーん。
 この忙しい時に……あたしは思いっきりドアを開けた。そこにいたのは
「センパイ! やっぱりいらしたんですね」
「あっ……キミこそ、うちに何しに……会社はどうしたのよ!?」
「センパイこそ、人のこと言えないでしょう」
 それよりも、と彼はすでに家に入る態勢だった。
「メール開けてください。家出る前に送ったから、着いてるはず」
 メール?
 あたしはとにかく、言われたとおりにメールを開いた。『1通着信』の表示の直後、元気に飛び出してきたのは、行方不明のあの子だった。
「ただいま!」
「あ……あ、ただいまじゃないわよ! 一体何処に行ってたの!?」
「オレんちですよ」
 頭を掻きながら、彼があっさり言った。
「キミの家……?」
「そうですよ。センパイのリストに、オレんち入ってるんじゃないんですか? それでうちに来たらしいです」
 そんな芸当まで……あたしは驚いたらいいのか呆れたらいいのか解らず、可愛らしく満面の笑みを浮かべている姫様を見遣った。
「何でそんな事を?」
「仲直りして欲しいんだそうですよ、オレとセンパイに」
 あたしは今度こそ驚いて、頭一つ高い後輩を見上げた。
「何それ?」
「さぁ。オレとしてはケンカしたつもりはないんですけどね」
 でも、と彼は俯いた。
「昨日言ったこと、一部訂正しますよ。これはプログラムがやる事じゃないでしょう?」
「……そうね」
 あたしはため息をひとつ、深くついた。
「あたしも謝るわ。心配してくれたのにあんな言い方して、悪かったと思ってる」
「それは……どうも」
 彼が赤くなったりするから、あたしもつい、赤くなってしまった。見えたわけではないが、顔が火照ったのがわかった。
「それにしても、無茶して……心配させないで」
 けれど当の本人は、悪びれた様子もなくにこりとした。
「でも、わらってくれた。あい、とってもうれしい」
 胸元で指を組んで、さも嬉しそうに。あたしはもう、何にも言えなかった。
「あい? 『あい』って名前なんですか? この子」
「そうよ。可愛いでしょう」
 彼は腕を組み、ふぅん、と言った。
「愛情の愛ですか? それとも藍色の藍?」
「さーね。悲哀の哀かもよ」
 ――なんたってこの子は、哀しみを解る子なんだから。
 あたしは最後まで続けなかった。
「それよりふたりとも、かいしゃ、いいの?」
 はた、とあたしたちは顔を見合わせた。慌てて行動を開始する。
「じゃ、センパイ。オレ車の準備して待ってますから」
「先に行ってなさいよ。変な噂たてられるでしょうが」
「そんな事、言ってる時間じゃないでしょう? それに――」


update:2002.01.01/written by Onino Misumi

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