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 そこは、果て無き闇だったから。

 ノックも無しに扉が開いた。息せき切って走り込んで来た弟子を、師範は咎めようとはしなかった。やんわりと笑いかけられ、彼は我に返る。不調法だ、と思うと、火照りをいっそう強く感じた。
「……すみません」
 歳に合わぬ、静かな物言い。師範は軽い苦笑を浮かべたが、俯いていた彼には見えなかった。
「いいや。それより、お前が走ってくるとは珍しいと思ってな。何かあったのか?」
「クレスメントの一族が」
 上擦った声は、彼にとって思いもしないものだった。一度息が止まり、募るように言い直す。
「クレスメントの一族が、見つかったと」
「……聞いたのか」
 誰から、とも、どうして、とも、師範は言わない。たゆたう微笑が何なのか、彼には解らなかった。
「ここに、来ると聞きました」
「ああ、そうだ。私が預かる」
 微かな、星に似た光を、彼は脳裡に見ていた。暗いばかりの、底のない穴を覗くような一族の記憶。その中で、クレスメントの名だけは違った。優しい言葉、声、手触り。その名前の記された記憶には、甘さと愛しさと、そして何処か苦みがあった。それでも、苦痛と呻吟だけの記憶の中にあっては、苦みなど微々たるもの。
 たった一流、同じ痛みを分かつ同志。クレスメントの名には、そんな甘さがあった。その人に、じき会えるのだ。
「だが」
 師範の声は、いつもと少しも変わらなかった。だから、彼は現実に立ち戻ってしまった。
「彼女は自分が何者であるのか、知らないと言う」
「え?」
 意味を計りかねた彼に、師範は続ける。
「故に、派閥では素姓を明かさぬという決定が下った」
 意味が飲み込めるまで、ゆうに数秒かかった。
「それは……」
「教えぬ、ということだ。だからお前もそのつもりでいるといい、ネスティ」
 呆ける彼に、ああ、と師範は、何て事ないように続けた。
「お前にとっての妹弟子になるな。世話を頼むこともあるだろう。仲良くするんだぞ」
 数日後。
 連れてこられた少女は、同じ年頃の子供より二回りは小さく、脆弱な印象があった。孤児だった、という話をぼんやり思い出す。洗い晒された髪はぱさぱさ。服は、いかにも「着せられた」という具合に丈も幅も合っておらず、ぶかぶかだった。
 怯えなのか警戒なのか。言われるままに椅子に座り、それきり動こうともしない。何かの感情が、ネスティの中で鎌首をもたげた。
「私はラウル。君の師範になる」
 師範が笑いかける。だが、少女はその意味が、まるで解っていないような表情を浮かべた。怪訝そうな、不思議そうな。
「こっちはネスティ。君の兄弟子だ。分からないことがあったら、何でも訊くといい。彼は物知りだよ」
 ごく自然に、視線が流れる。自分の上で止まったそれに、ネスティは軽い落胆を覚え、自嘲した。
 ――少しでも似ている所が、なんて。
 あるわけがないのだ。探すことに、意味もない。なのに。
 なのに自分は、何を期待したのだ?
 自分を嘲る声を聞いたその瞬間、ネスティは軽く瞬いた。
 少女が笑ったのだ。辛うじてそう呼べる程度の動きだったが、確かに笑んだのだ。その眼にあるのは、先刻までの怯えでも恐れでもなかった。落ち着いた、安心しきった双眸。
「名前は、何という?」
 師範の問いに、少女は高らかに答えた。
「トリス」
 師範を見ず、真っ直ぐにネスティを見つめたままで。ぽかんとしている彼に、少女は、今度ははっきりと、小首を傾げるようにして笑いかけた。

 何故だろう。
 何故、彼女は笑ったりしたのだろう。

 次の日から、ネスティは奮闘しなければならなくなった。トリスという少女は、何から何まで手をかけてやらなくては、何も出来ない子供だったのだ。孤児であり、浮浪児同然の生活をしていたのであれば、常識知らずも頷けるかも知れない。ただし、それは我が身に降りかからなければの話だ。
「君はバカか!?」
 とうとう、彼は怒鳴った。普段の彼は、こんな言葉を他人に叩き付けるなど決してしない。それだけ妹弟子は、ちっとも大人しくしていてくれないのだ。初めて会った時の、あの心細げな印象など、まるで嘘のよう。
「バカなんて、ひどい」
「バカにバカと言って何が悪い。何度僕に同じ事を言わせる気だ」
「だってぇ……」
「だってじゃない。いいか、僕だって自分の勉強がある。暇じゃないんだ」
 しゅん、とうなだれる。怒られた時は、それなりに殊勝なのだ。
「もう派閥に慣れてもいい頃だろう。僕の手を煩わせるな」
「わず……?」
「煩わせる。解るか?」
 ふるふるっと首を振る。ネスティは、深く深く息を吐いた。
「……もういい。そこに座れ」
「そこって、ここ?」
「そうだ。早く」
 怖々ベッドに座るトリスを認めてから、ネスティは針と糸を取り出した。こく、とトリスの喉が動く。
「なに、するの」
「丈を詰めるんだ。昨日も一昨日も一昨々日も、裾を踏んで転んだだろう」
 適当に折り、針を刺す。
「動くなよ。刺さるから」
「……ん」
 放っておこうと思ったのだ。
 自分が負っている重荷を、同様に背負うべきであった筈のトリス。何故、彼女だけは免罪されるのか。何故、彼女は何も知らぬままに暮らしていられるのか。
 疑問が憎悪に変わるのは、そう時間のかかる事ではなかった。
 本当は解っている。この重荷は単なる旧時代の遺産で、背負わなければそれでも良い筈なのだと。それでも、頭と同じ様に、心が納得してくれるとは限らない。
 手荒く当たってしまう自分を誰が責められるかと、そう思った。
 だから放っておいた。世話などするものか、面倒など見るものか。
 けれども、何て。
 何て愚かなことばかりしてくれるのだろう、この子は。
 まるで見てくれと言わんばかりに、自分の目の前をちょこちょこと歩き回っては、騒動の種を蒔きまくる。周囲を快適な環境に保つ為には、どうしても手をかけないわけにはいかないのだ。
 自分に忍耐が足りなかっただろうか、と問うてみる。一日と保たず面倒を見る方に転換したのは、早過ぎただろうか。それだけではないと思う。できる限り冷たくあしらったのに、トリスは痛痒を感じた風ではなかったのだ。むしろ、懐いたと言ってもいい。何を考えているのか、ネスティにはさっぱりだった。言うなれば、根負けした、というところなのかも知れない。
「ネス、ティ」
「何だ」
 針先を見ながら、ネスティの返事はそっけない。
「あの、あのね?」
「何だ。言いたい事があるのなら早くしろ」
「……うん」
 言葉は続かなかった。ネスティは特に気に止めず、糸を噛み切るともう一方の裾を縫い上げにかかった。
「ネス、ティ、は、器用ね」
「……このくらい、誰でも出来る。君も出来るようにならなければな。自分の服も繕えないようでは、一人前にはなれないぞ」
 応えは、すぐには無かった。縫い終わり、糸を切ったところで、小さい声が降った。
「なりたくなんか、ないもん」
 ネスティは顔を上げた。トリスは一点を見つめ、視線を動かさなかった。ネスティの後ろに、何か、親の仇でもいるかのように見えた。
「どうして召喚師にならなくちゃいけないの?」
 それは君がクレスメントの一族だから。調律者であるから。
 言えるものなら言ってやりたい。そう思う。祖先の犯した罪も、その報いの末も。
「ネス、ティは、知ってる? それとも、ネス、ティも連れて来られたの?」
「ここより他に行く所が無いのは、君と同じだ」
 糸を巻き取り、しまう。立ち上がると、自然、トリスの視線が持ち上がった。
「そうなの?」
「ああ」
「そうなの」
 初めて会った時と同じだな、と思った。奥から何か滲むように、安堵が瞳に広がっていく。
 ……そうじゃ、ないのに。僕は君を安心させようとしたわけじゃ、ないのに。
 その気持ちが酷く苦く感じられて、ネスティは眉を寄せた。
「ネス、ティ?」
「……何でもない」
 そう、とトリスが低く応える。ふと気づいて、ネスティはもう一度、床に膝をついた。トリスを見上げる格好になる。
「トリス、言いづらいのか?」
「えっ?」
「僕の名前」
 小首を傾げてから、トリスは逆に
「言いにくそう?」
 と問う。
「ああ、言いにくそうに聞こえる」
「……そうかな」
「言ってみろ」
「ネス、ティ」
「違う。ネスティ、だ」
「ネス、ティ」
「違う」
 むー、とトリスがふくれる。本人は言えているつもりなのだろう。
「……難しいの」
 ため息ひとつ。ネスティは目を伏せた。
「ネス、でいい」
「ネス?」
「そう、ネスだ。たどたどしく呼ばれるより、その方がマシだからな」
 ふくれたままだったトリスは、それでも渋々頷いた。

 トリスには、本当に何も伝えていないのですか、と。
 師範に問うたのは、その夜だった。
「あのままでは、脱走もしかねませんよ」
「……そうか、そんなに嫌がっているのか」
 言いながらも、ラウルは怒った風でも、困った風でも、ましてや悲しむ風でもなかった。むしろ嬉しそうに見えて、ネスティには不思議でならない。
「お前には、そういう話をするのだな」
 意味が酌めぬ彼に、師範は笑いかけ、座るよう促した。手近な椅子に座るネスティに、ラウルは静かに言う。
「私には、まだ何も言わぬよ。ただ一生懸命に頑張っているように見える。あの子は、お前には心を見せているようだな」
 心?
「誰だって、いきなり連れてこられれば不安だろう。例えそれが、今までよりましな環境であったとしてもな。それを、あの子はよく耐えている」
「買い被りです」
「お前の目が厳しいのではないのか?」
「そんなことは……現に、僕は面倒ばかりかけられて」
 ほぅ、とラウルの笑みは深くなった。
「懐かれたな」
 自分でもそうかと思っていただけに、反論は出てこなかった。
「……何も知らずにいるのも、どうかと思います。下手な所で知ってしまうより、今、伝えて解らせた方が……」
「そうして知ったお前は、幸せか?」
 遮るように発せられた言葉は、そのままネスティの声を封じた。
「お前は、ライルの一族と知り、認め、それを秘して生きねばならぬ立場となり、幸せだったか?」
「それは……」
「私は、こうも思うのだよ。我々が口を噤むことで一人の少女が苦しまずに済むのなら、それでもいいのではないかと」
 はっと、ネスティは顔を上げた。
「同じ悲しみ、同じ苦しみ、それを分かつのも一つの方法であるだろう。だが、こうも思えぬか? 分かつのではなく、守るのだと」
「守る……?」
「そう。お前が負ったそれから、守るのだと」
 私は、と続けるラウルの声には、何処か苦みがあった。その苦みはクレスメントの名に染むそれと、何となく似ているように思えた。
「お前の事も守れればと、そう思ったよ。……もっとも、血から守る事など、無理だったのだがな」
 もうおやすみ、と。
 軽く叩かれた肩は、ほんのりと温かいような気がした。

 廊下を行くうち、すすり泣く声が聞こえた。いや、すすり泣く、なんて可愛らしいものじゃない。嗚咽を堪えるような、そんな泣き方。
 トリスだ、と思った。
 あの声は多分、トリスだろう。悪夢でも見たのか、それとも心細いのか。何にせよ、甘やかしていては……。
 ネスティはそのまま行き過ぎようとし、だが、どうしてもできなかった。師範に言われた「守る」という言葉が、喉の奥にでも引っかかったようで気持ちが悪い。
 ままよ、と踵を返した。軽く扉を叩く。
「トリス」
 ぴたりと泣き声が止んだ。やはり、彼女だったのだ。
「僕だ。入るぞ」
 なるべく静かに開ける。部屋の中は、月の光で青く沈んでいた。
「ネス、ティ」
 軽いため息。ベッドに歩み寄ると、トリスが身を起こすのが見えた。
「どうした。悪い夢でも見たのか」
 トリスは首を振る。唇を噛み、下を向いて。
「話したくないのなら、いい。だが、夜に騒ぐのは周りに迷惑だぞ。現に、君の泣き声は廊下に筒抜けだ」
 返答は無かった。
「……わかったか?」
 こくん、と頷き。しゃくり上げる声が、喉の奥で戻される。
 小さい頼りない肩。
 それを眺めて、ネスティは唐突に思った。どうして自分は、この肩に負わせようと思ったのだろう、と。
 クレスメントの一族だから? 同じ罪を負う者同士だから?
 そうじゃない。
 楽になりたかったのだ。この重荷を、持て余すほどの罪業を、誰かに分かつことで楽になりたかったのだ。
 自分の肩に手を遣る。温かかったのは、単に体温の所為ばかりでもなかった気がする。
『お前の事も守れればと、そう思ったよ』
 そっと。
 触れた瞬間、びくりと振れたのが判った。だが、ネスティは構わず、その頭を撫でた。
「……ネス、ティ」
 吃驚した所為だろうか。トリスの涙は止まっている。その結果に、ネスティは満足を覚えた。
「泣きたくなったら、僕の所に来い。こうしててやるから」
「……うん」
「下手に泣かれると、いっそ迷惑だからな。だったら、多少の手間は惜しまない方がいい」
「なにそれぇ……」
 不満そうな呟きは、微かな笑いにかき消された。内心で、ネスティは頷く。そう、こうすれば良かったんだ、と。
 師範の言う事は、いつも正しいと思う。後になってから、正しいと気づかされる。
 守ってみよう。何処まで出来るか判らないけれど、出来る限りやってみよう。

 ネスはね、初めて会った時、笑いかけてくれたのよ、と。
 トリスが言ったのは、それから何年も経ってから。あれは自嘲の笑みだったと、ネスティは言えないまま今日に至る。
「勘違いさせたままでも、いいか」
「え? なに?」
「何でもない」
 それで君が傍にいてくれたから、僕は「守ってみよう」なんて思ったんだ、なんて。
 言わないのが華というものだ。


update:2002.01.07/written by Onino Misumi

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