TOP > Site map > 傍観する詐欺師 > SummonNight_index > SummonNight-2-

しとねに語りて


 その日の勉強は、予定されていた時間よりも早く終わった。トリスは大いに喜んでしまったが、師範はそれを、いつものように困ったような笑顔で受け止めはしなかった。かと言って、当然ながら怒ったわけでもなかった。師範は、その事よりもずっと、別な事に気を取られているようだと、トリスは思った。
 だから、本当ならば訊かなくてもいいような事を、訊いてしまったのだ。
「どうかしたんですか?」
 ああいや、と言葉を濁して。だから余計に、トリスは変だと思うしかなかった。
「ネスティが体調を崩していてな」
 そう言えば、今日一日、兄弟子の姿を見ていなかった。どうしたのだろうと、頭の隅で思いはしたけれど。
 しかし、体調を崩したくらいなら、師範がこんなに心配する事もないだろうとも、トリスは思った。ラウル師範は優しい人で、トリスが些細な風邪をひいたと言っては、大袈裟なほど丁寧に、看病をしてくれた。その時でも、常のように穏やかに笑っていてくれて、トリスは何とはなしに安心を誘われたものだった。その師範が、無い不安でさえ煽るような表情を浮かべている。
 そんなに悪いんだろうか。
 トリスが具合を悪くしていても、ネスティは顔を見せた事が無かった。普段の不摂生がたたったのだ、とか、心がけが悪いからだ、とか、元気になってからお小言を並べてくれる。そんな具合だったから、兄弟子が具合を悪くしていると聞いても、さした感慨は湧かなかったのだけれども。
 師範がそんな顔をするほど、悪いのだろうか。
 そんなトリスの思考を辿ってか、ラウルは大きな手で、トリスの頭を撫でた。
「なに、トリスが心配する程の事ではない。ただ、ネスティは少し身体が弱くてな。これから付いていてやろうと思うのだよ」
 その為に授業を短くしたのか、とトリスは納得した。すまないね、と言う師範に、頭を振って応える。
「ネスの事、元気にしてあげて」
「ああ。きっと明日には元気になるよ。元気になったネスティに叱られぬよう、予習をしっかりしておくんだぞ」
 首を竦めたトリスに笑いかけ、ラウルはすぐさま部屋を後にした。

 明日になれば、またいつものように「君はバカか?」を連発するのだろう。
 トリスは兄弟子の顔を思い浮かべる。いつも叱られてばかりだが、最初に思い出すのは、初めて会った時の笑顔だった。あの笑顔が悪い、と思う。常日頃、邪険に扱うわ煩いわのネスティだが、どうしても嫌われているとは思えなかった。その原因が、あの時の笑顔だった。
 あの笑顔がなかったら、そしてラウル師範に優しくされていなかったなら、今の自分は無かったんじゃないかと我ながら思う。笑って、泣いて、そして怒って。こんな沢山の感情が自分の中にあったなんて、ここに来るまでは知らなかったから。笑いかけられるのが嬉しいなんて思ったのは、ここに来てからだ。あの二人に、会ってからだ。
 ただ、生きていただけの自分。それを変えてくれたのは他でもない、師範と兄弟子。
 そう思ったら、だんだんと心配が募った。病気の苦しさを思い出すと、胸がぎゅっと痛くなる。今、ネスティは同じ苦しみを、もしかしたらもっと辛い思いを、味わっているのかも知れない。
「そりゃ、ネスがお見舞いに来てくれた事なんて、無かったけど」
 だからって、自分が行って悪いという事にはならないと思う。
 トリスはベッドから這い出した。月の明かりは眩しい程で。夜に抜け出した事は無かったが、これだけ明るければ、足場が見えないという事もないだろう。
 ネスティの部屋は知っている。窓からお邪魔した事はさすがに無いが、行って行けない事もない。
 思いを定めれば、行動は早かった。トリスは寝間着に軽く上着を羽織ると、大きく窓を開け放った。

 既に、どの窓の明かりも落とされていた。しかしその部屋だけは、奥から滲むような橙の光が洩れている。
 まだ師範がいるのだろうか。
 そう思って覗き込めば案の定、黒い影が動いていた。灯りが向こうにあるのだ。こちらから向こうは見えても、向こうからこちらは見えないだろう。トリスは身を乗り出した。やはり、黒い影は師範のものだった。
 窓際の机に、師範の手が置かれている。その脇には、白い薬匙が月光を弾いていた。
「具合はどうだね」
 ええ、と応じる声は低く。トリスはどきりとした。それは確かにネスティの声ではあったが、常の彼の声らしくない、力無く弱々しいものだった。
 嘘みたい。
 そりゃ、あたしだって具合の悪い時は、元気のひとつやふたつ、無くなったりするけど。
 あんな、声。
 あんな声を、自分は知っていた。路上での生活。倒れていった隣人達……。我知らず、拳を握っていた。這い上がる冷たさに抗おうとする、手。
「それにしても、薬はどうしたのだ? お前の事、無くなる前に気づいたであろうに」
 ――薬?
 ひやりとしたものが、背中を走り、すぐさま戦慄となってトリスを貫いた。
 数日前の光景が、目の裏に甦る。話しかける自分、応えないネスティ。向こうから話しかける時は煩いくらいなのに、こちらからの呼びかけには応えてくれなくて。つい、物にあたった。ひっくり返った彼の小箱。中から、白い粉が零れ落ちたのを見た。それを見る彼の目を見て……何だか解らなかったが、八つ当たりが功を奏さなかったと、そんな風に思ったのだ。ネスティはあの時、清々したような目をしていたから。
 あれは、きっと何か大事な薬だったんだ。トリスは思う。もしかしたら、あの時から具合が悪くて、それで薬を飲んでいたのかも知れない。……でも、だったらどうして、あんな目をして、駄目になった薬を見ていたのだろう。
 でも、その前に。
 ネスティがそれを師範に喋ったら、どうしよう。いくら師範でも(大事な薬だったとしたら)黙って終わらせてはくれないに違いない。
 だが、ネスティの返答は、トリスの予想とは違った。
「……失くしました」
 そうか、と師匠は問いつめる気はないようで。
 ほっとしたような釈然としないような複雑な気持ちのまま、トリスは木の上から動けない。
「もう、僕は平気ですから。義父さんも休んでください」
「無理はしていないか?」
「大丈夫です」
「そうか。ならば、私は戻ろう。朝一番に様子を見に来るからな」
 静かな足音に、扉の閉まる音が続いた。そろりと部屋の中を窺い、ぎょっとする。そこには兄弟子が上半身を起こしており、しっかりこちらを見ていたのだ。

「降りて来い」
 掠れた、静かな声。逆らう理由も思いつかず、トリスは木から滑り降りた。ネスティが内側から開いた窓に、ぽんと飛び込む。
「まったく、君という子は」
「……へへ」
 追及する事も億劫そうに、ネスティはそれ以上を継がなかった。ため息をひとつつき、ベッドに腰かける。眼鏡越しではないネスティの視線は何故か、いつもよりも柔らかく思えた。
「何の用だ」
「えっと……ネスのお見舞い」
「僕の?」
 その声には、多く驚愕が含まれていた。うん、と頷き返せば、彼は本当に意外な物を見る目で、トリスを見た。
「……どうして」
「師範が、ネスが具合が悪いって言ってたから。心配しちゃ、いけない?」
「別に、いけないとは言っていない」
 そう言ってから、ネスティは常の調子を取り戻したかのように、続けた。
「それにしたって方法はあるだろう。どうして夜中に窓から入ってくる必要があるんだ」
「それは……うん、そう、近道!」
「今、思いついたんだろう」
「う……」
 ネスティはもう一度、ため息を落とした。
「もう――」
 いい、と振られかけた手を、トリスは思わず掴んでいた。そして驚く。その手の、なんと冷たい事か。
「……トリス?」
「あ、あたし、看病してあげる」
「何だって?」
「せっかく来たんだもん。そのくらいしてあげる」
 ほら寝て、と。
 トリスは上掛けを取り、ぽんぽんとベッドを叩いた。渋々といった体で、ネスティが横になる。トリスは、出来る限り静かに丁寧に、布団を掛けた。ついでとばかりにぽんと叩いたのは、具合の悪い時に師範がそうしてくれたのを、覚えていたからだ。
「……ネス」
「何だ」
「あの……あのね」
 ――具合が悪いのって、あの薬の所為?
 そう尋ねようと思ったのに、言葉は喉につかえて出てこなかった。もしそうだとしたら、自分はどうすると言うのか。謝って、それで終わりでいいんだろうか。
 現にネスティは、とても辛そうに見えるのに。冷たい手。あんな冷たさは……。
 そろ、と。
 布団から出された手を、トリスは握った。怪訝そうに、ネスティがそれを見、トリスの目へと視線を上げる。
「トリス?」
「ここに来る前、ね」
 冷たい手だった。血の流れなど無いかの様に、冷たい手。
「何度も、死んだ人、見た。死んでく人を見たの」
 だから嫌だ。こんな冷たい手。
「……ネス、死んじゃ嫌だよ」
 そう言ってしまったら、まるで本当になりそうに思えてきた。言わなければ良かったと思ったけれど、もう遅い。喉元から迫り上がってくるそれは、言葉にならずに喉を越え、とうとう涙になって溢れた。
「ネス」
 冷たい手に、頬を押し当てた。自分の熱が、少しでも染み込むように。
 握りしめていた手が、ふっと握り返された。見ると、ネスティは珍しい表情を浮かべていた。たとえるならそれは、心底困り果てた表情、だろうか。
「泣かなくていい。僕が、そんな簡単に死ぬわけないだろう」
「でも」
「いいから、泣くな。見舞に来て泣かれたら、滅入るじゃないか」
「ん……」
 冷たい手が、火照った目を拭う。気持ちが良いと思う反面、温まらぬそれに軽い苛立ちも覚えた。
「見舞に来たんだろう? 看病もしてくれるんだったな」
「……うん」
「じゃあ」
 きゅ、と。
 トリスの手を握る、冷たい感触。
「僕が眠るまで、こうしていてくれ」
 その時のネスティの表情は、初めて会った時の笑顔に、とても良く似ていた。
「……うん!」
 繋いだ手の温かさが、少しでも伝わればいい。

 あのね、あのね。きっと知らないと思うけどね。
 あたしはね、ネスが大好きなんだよ。師範と、同じくらい。
 二人より好きな人が、この世界にいないくらい。
 だから。
 早く、元気になって。
 あたしの元気が、この手から伝わりますよう――。

 翌朝。
 早くにネスティの部屋を訪れたラウルは、思わず笑みを洩らした。
「……さて、何処から入ってきたのやら」
 彼の二人の弟子は、仲良く手を繋いだまま眠っていた。


update:2002.02.12/written by Onino Misumi

Background:Little Eden

TOP < Site map < 傍観する詐欺師 < SummonNight_index < SummonNight-2- > お寝坊さんを起こす五つの法則
>>掲示板>>メール