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片方の翼


 飛べないと、そう思った。飛べないという焦りの中で、ふと気づく。
 飛べる筈がない。私の羽根は、片方が落ちてしまっているのだから。愕然とした、その拍子に目が覚めた。
 ――粗末な孤児院の一室。朝の光は、いつもと変わらず降り注いでいた。それから起きる事の予兆を、僅かにさえ感じさせずに。

 そう。
 私はこの日、この朝に。
 彼らを裏切ったのだ。

「いつ、派閥に報告したの」
 それは詰問と呼べるものだった。妹弟子にあたる彼女は、真っ直ぐな視線で私を射抜いていた。私は一度だけその視線を見つめ返し、すぐさま逸らせた。
「ギブソン」
「……先の報告の、すぐ後だ」
「どうして」
 含まれる多分な苛立ち。私がため息を吐くと、きつい声が再度、私を呼んだ。私は微かに笑って見せる。
「見損なったんじゃなかったのか、ミモザ」
「……っ」
 その唇が、物言いたげに震えた。私はもう一度、目を逸らす。彼女が何を言いたかったのか、何となく判る気がした。おそらくは非難の言葉だ。
「どうあれ、明日にはゼラムへ発つ。今夜は早めに休んでおくといい」
「質問に答えて」
 そこに混じる微かな震えは、怒りなのだろうか、苛立ちなのだろうか。私は、判断がつきかねた。
「質問?」
「私には解らない。どうしてあの子達を引き渡す必要があるの?」
 その声で、私は彼女が、酷く苛立っているのだと判った。
「魔王であってもなくても、彼らは危険だ」
 彼女は顔をしかめた。それは何か、痛みを耐えるような、そんな表情に似ていた。
「ギブソン、あなた、解ってる? 一度そう判断されてしまったら、あの子達は二度と外には出られなくなるのよ? 保護って名目で幽閉されて、それで終わりになるのよ?」
 私はひとつ、息をついた。昨夜、何度も自分に向かって言い聞かせた言葉を、彼女に向かって繰り返す。
「君こそ、解っているのか? 一度明るみに出たら、彼らは世間から抹殺される。その時、彼らを守れるのは派閥だけだ」
 そして、と継ぐ。その時ミモザがどんな顔をしていたのか、私には判らない。私は彼女を見ていられず、顔を伏せてしまっていたから。
「彼らの潔白を証明するには、これしか方法がない。それはナツミも解ってくれた」
「そうじゃないでしょう?」
 それは、叫び出す寸前の声。
「貴方はそれに、本当に納得してるの?」
 咄嗟に顔を上げて、私はしまった、と思った。それは肯定を示したに他ならない。
「時間はまだあるわ。今すぐそうしてしまう理由が何処にあるの? あの子達はエルゴに選ばれた。それを、貴方も私も見たんじゃなかったの?」
「……これは派閥の決定だ。そして、ミモザ、彼らを守るには他に――」
「私が聞きたいのは理屈じゃないわ!」
 とうとう、ミモザは声を張り上げた。この小さな孤児院の静かな夜、周囲に聞こえるのも憚らずに。
「人は理屈だけで生きてるんじゃないわ。感情があってこその人間でしょう? 貴方自身が納得せずに、どうしてそれが出来るの!?」
 私は咎めるのを忘れた。激昂した彼女は、頬を紅潮させ、そして……。
「ギブソン、貴方、何にも解ってない。解ってないのよ」
「ミモザ……?」
「誰でもない、貴方が納得しなくて、どうしてあの子達を引き渡せるのよ」
 ぐい、と。
 乱暴な所作で自分の涙を拭う。ずれた眼鏡を直す事さえ、彼女は失念しているようだった。
「……私、一緒には行かない」
「ミモザ?」
 上げられた目にあるのは、挑むような光。
「派閥を抜けるわ。こんな決定、納得できない」
 莫迦な、と思いながらも。
 私は彼女を引き止める事が出来なかった。どうしても、それだけは出来なかった。

 名のある召喚士にとって、派閥を抜けるというのは一切から抹殺されるに等しい。除名ならばいざ知らず、何故ミモザは、自分から抜けるなどと言い出したのだろう。それを聞けば、どれだけ師範は悲しまれる事か。
 何度となく寝返りを繰り返しながら、私は堂々巡りの問いを続ける。何故、どうして、と。
 そうする事が一番だと思った。派閥にはそれだけの力がある。ナツミとキール、二人を世間より守れるだけの力が。二人は既に充分に傷つき、疲れている。これ以上、戦場に立たせるのは酷だ。まして世界の存亡を賭けた戦いなど、以ての外としか言い様がない。
 私は、あの二人を守りたい。私自身に守れるだけの力が無い以上、それを派閥に求めて何故いけないのか。二人の大きすぎる力を、何故より確実に制御出来る所へ預けてはいけないのか。
 ナツミが魔王だなどと、私だって思ってはいない。それでも、その怖れがある以上、無視も出来ない。
 派閥に連れて行けば潔白は証明されるだろう。そうすれば、二人が置かれる立場は、幽閉ではなく保護になる。長い目で見れば、それが一番正しい事だ。
 ――本当に?
 私の中で反論が囁きかける。声にならない、吐息だけの言葉。
「そう、一番正しいんだ」
 私にとっても、二人は共に戦った仲間だ。大事でないと言ったなら嘘になる。大事に思う気持ちが無いかと言えば嘘になる。……二人の気持ちを無視していいのかと問われれば、嘘になる。
「それでも」
 派閥の手に委ねられれば、二人は一時的に――あるいはかなり長い期間――自由を奪われるかも知れない。だがそれは結局、二人を守る事に繋がるのだ。世間から、何より、あの狂った男から。
 キールがナツミをどうこうするつもりが無い事くらい、私にだって判っていた。皆に言われるまでも無かった。それでも言わずにいられなかったのは、一時でもキールが、そんな凶行に荷担していたのを許せなかったからだ。
 派閥の幹部が二人をどう思っているのか、想像はつく。危険人物として遇されるのが関の山だろう。無理もない。一時でも、というのがどれほどの重みを持って語られるか、想像に易い。それが、ここに集まった皆には、どうして解らないのだろう。
 私は出来る限りの事をしている。二人を守る為に、出来る限りを。……それで、どうしていけない?
 ――どうして、いけないと思うの?
 囁く反論の声は、いつしか彼女の声に成り代わっていた。閉じた瞼の裏で、強い光を込めた緑の瞳が、私を真っ直ぐに射抜いてくる。
 ――貴方自身が、それが間違いだと感じているからだわ。そうでしょう?
「違う……そうじゃない」
 ――違わないわ。何度でも言ってあげる。貴方自身が納得していないから、自分に言い訳しなきゃいけないんだわ。そうでしょう?
「……違う」
 私は目を開く。そうでしょう? と問いかける声が、意識の何処かで霧散していくのを感じた。
「ミモザ」
 私達はいつも一緒に行動しながら、一度で意見が合った試しが無かったな。それでも、最後には意見を一致させて……今度も、そうだろうか。
 今度も今までどおり、いつかひとつの意見にまとまるのだろうか。
 不思議と泣きたいような気持ちが迫り上がってきて、私は誤魔化す為に、布団へともぐり直した。明日の朝は早い。悩むのは脇に置いて、早く寝てしまわなくてはならない。
 そう思えば思う程、私は眠れなかった。

 翌朝。私達が発ってしまうまで、ミモザはとうとう現れなかった。

 もう決まってしまった事だ。
 私はそう、心の中で言い続ける。もう動き出してしまった。今更、後戻りなど出来ない。
 ……後戻り?
 何を迷うと言うのか。これが最善だと、私はそう思って決めたのではなかったか。
「僕は……」
 静かな語らいが洩れ聞こえる。ナツミとキールのささやかな会話を妨げるのは酷だと、そう思いながらも私は、ここから離れる事が出来なかった。半ば任務で、半ばは彼が実際はどう思っていたのかを、知りたくて。
「君達と暮らせて、本当に楽しかった」
 魔王を降ろす、ただその為だけに生かされた彼。楽しかった、との言葉を、彼は噛みしめながら語っているように、私には見えた。
「心から笑ったり、怒ったり、泣いたり。君達は、僕の知らないたくさんのものを見せてくれた」
 その目に、世界はどう映っていたのだろう。私は今更ながらにそう思う。その目に、滅ぼす事を命じられたこの世界は、どう映っていたのだろう。愛おしかったのか、それとも、憎かったのか。あるいは何も感じられなかったのか。
「それがとても大切だという事を、教えて貰ったんだよ」
 是非を問う事も許されなかったのではなかろうか。善悪も何もかも、彼の前には示されず。けれど……。
「僕は壊したくない。優しい人達が暮らす、この世界を……信じて、くれるか?」
 彼は、感じる心は失っていなかったのだ。だから迷った。善悪の是非さえ無く、ただ信じ込まされていたひとつの務めに、初めて疑問を抱いたのだとしたら……いや、だとしたら、ではない。彼は……キールは……。
 不意に、胸の奥が冷えた気がした。
 私は何か、大きな過ちを犯したのでは無かろうか。
 このまま彼らを派閥に送り、それでいいのだろうか。
 魔王の力を持つ者と、世界を滅ぼそうとしている男の息子。二人にその烙印が押されるのを、黙って見ていていいのだろうか。
 ――違う。仮に一度押されたとしても、必ず払拭される。だから、派閥に任せていればいい。
 本当に、それでいいのか? 彼は、キールは今、やっとヒトとして歩き出そうとしているのに。それを私達が奪ってしまって、それで本当にいいのか?
 私がしようとしているのは……同じではないのか? 唯一つを正しいと信じ、それを為そうとして……。
 ……これは本当に、正しいのか?

「悪いが、そいつらを返してもらうぜ!」

 どうしてこうも彼らが眩しく見えるのか。私は漸く、解った気がした。
 迷わないのではない、考えないのでもない。ただ、自分の気持ちに正直になろうとしているだけなのだ。自分の見てきた事を、感じた事を、何より信じているからだ。
 唯一つの、正しい道を選ぼうとしているのではない。自分がそれを正しいと信じる、ただそれだけなのだ。
「忘れていたよ……正しい答えなど、何処にも無いんだ。大切なのは、その答えを正しいと思えるかどうかだったんだ」
 ギブソンさん、と呼ぶ声がした。瞠る瞳は、深い色。私はそれに笑いかけたつもりだったが、上手く笑えた自信は無かった。
「帰るんだ! 君達の、本当の居場所へと!!」
「……ギブソン!!」
 喧噪を裂いた声。それは、聞き間違えようの無い声だった。いつも隣にいた、あの声。
「貴方もよ!」
「ミモザ……」
「早く!!」
 その手を取る意味を、私は知っていた。
 これは決別だ。今まで信じてきたものとの、派閥との、『唯一つ』との、今までそれを信じていた自分との決別。
 だが。
 私は信じたいから。自分が正しいと思う、この道を信じたいから。この道を歩いて行きたいから。……二人を、助けたいから。その為に今までの自分を捨てても、それでも……それでも。

 私は、後悔しない。


update:2002.03.23/written by Onino Misumi

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