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残照


「――て、もう――水――」
 くぐもった声が、そっと、労るように意識に触れた。
「それ――熱――」
「――じゃ、――から」
 囁き交わされるそれは、確たる意味を伝えてこない。何を話しているんだろうという疑問が、ゆっくりと、だが確実に意識を浮上させた。
 扉の開閉する音が意識を水面へと押し上げる。額に触れる大きな手。冷たいそれは、懐かしさを伴っていた。

 ――お兄、ちゃん?

「カシス? 気がついたか?」
 開いた瞳に映ったのは、彼女のパートナーだった。
「……ハヤト」
 掠れて、思うように声が出ない。自分は一体どうしてしまったのだろう。どうして、ハヤトが自分を覗き込んでいるのだろう。
「覚えてるか? 熱、出したんだぞ」
「熱?」
「そう。きっと疲れだろうって、セシルが。倒れるくらいに疲れてたんなら、ちゃんと言ってくれなきゃ」
 おかげで、俺達も休み貰っちゃったけどな、と。
 屈託無い笑顔が、カシスは好きだった。その笑顔を見ると、酷くほっとする自分を感じる。
「喉、渇いてるだろ? 水と白湯、どっちがいい?」
「んー……お水」
「はいはい」
 軽く笑って、ハヤトはグラスを手にした。横になっているカシスの首の下に手を入れ、起き上がらせる。
「ほら。……ああ、焦ると零すぞ」
 そうと意識はしなかったが、余程喉が渇いていたのだろう。冷たい水は、甘く芳しく感じられた。一口一口丁寧に干す。
「もっと要るか?」
 首を振ると、ハヤトはカシスの体を横たえ、布団を掛けた。大きな手が額に宛われる。
「うーん、大分下がったけど、もうちょっとかな」
 くしゃりと髪を撫でられ、くすぐったさに目を細める。

 ふと、何かの影が重なった。大きな手と、優しい低い声。
 あれは……誰?

「ああ、そうだ。カシス、兄さんがいたんだ?」
「えっ?」
 カシスは目を開き、ハヤトの顔をしげしげと見つめた。
「目が覚めた時、そんな事、言ってたような気がしてさ」
 ――夢じゃ、なかったんだ。
 頭の芯が鈍い痛みを囁く。
「うん、いたよ」
 鼓動が、耳の奥から響いてくる。痛みはそれに付随していて、酷く気分が悪かった。
「いた?」
「うん。小さい頃に別れて、それっきり。今頃、どうしてるかな」
 静かに笑う人だった。笑うと言うよりも、それは限りなく微笑に近いもので。物静かに在った、そんな風に覚えている。
 ハヤトが気まずそうに口を噤んだが、カシスはそれに気がつかなかった。天井を見上げ、ぽつぽつと継ぐ。
「二歳違いの兄さんだったんだ。ちょっとだけ、ハヤトに似てたかな」
「俺に?」
 視線を転じると、ハヤトは覗き込むようにして、カシスを見ていた。
「うん。手がおっきくてね、具合が悪い時は、ハヤトがしたみたいにしてくれたんだ」

 ――カシス。

「いっつも笑ってて、優しくて、頭が良くて……」
「おいおい。それ、本当に俺に似てるのか?」
「うーん……そう言われてみると、全然似てないかも」
「おい、カシス……」
 ハヤトが苦笑に顔を歪める。その様が可笑しくて、カシスは布団に伏せたまま、くすくすと笑った。

 ――逃げるんだ、カシス。

「カシスはその人の事、好きだったんだな」
「うん。大好きだった」
 目を閉じると、その微笑も眼差しも、まざまざと思い出せた。
「けど……どうしてかな。あたし、さっきまで兄さんの事、忘れてたみたいな気がする……」

 ――カシス……。

「いろいろ忙しかったからじゃないか? それに、別れたのは小さい頃だったんだろう? 無理もないさ」
「……うん」
 なんだろう。何だか、変な感じがする。
「けど、カシスの兄さんってくらいだから、カシスみたいに落ち着きがなかったりしたんじゃないのか?」
「そんな事ないよっ! 兄さんはうんと大人で、召喚術も、あたしよりずぅっと強くて」
 それから……それから?
「……カシス?」

 ――逃げ……カシ、ス……。

「カシス? 具合、悪いのか?」
 鈍痛の他に、これと言って具合が悪いとは感じられなかった。だが、心配そうに覗き込むハヤトの目には、酷く辛そうな表情の自分が映っている。
「……わかんない」
「話したから、疲れたんだな」
 立ち上がると、ハヤトは椅子を壁際に寄せた。目で追ったカシスの、その頭を撫でる。労るようなその掌に、何だかとても、泣きたいような気がした。
「今日一日くらい、大人しく寝てろよ」
「……ん」
「よし。いつもそのくらい大人しいと、俺も楽でいいや。それじゃ」
 ハヤトが扉の向こうに消える。カシスは深く息をつき、天井を見遣ってから目を閉じた。

 扉に背を預け、ハヤトは低く唸った。
 小さい頃に別れた、にしては、カシスの兄の話は、何処となく妙だった。何処がと問われると困るのだが。
「どうしたの? ハヤト。カシス、まだ酷そう?」
「え? あ、そうじゃないんだ。ちょっと……」
 首を傾げるリプレに曖昧に笑って、ハヤトはもう一度、カシスの言葉を思い起こした。
 ――兄さんはうんと大人で、召喚術も、あたしよりずぅっと強くて。
「小さかったんなら、それって変な話だよなぁ……?」

『逃げるんだ、カシス。ここに居てはいけない』
『……お兄ちゃん?』
『早く!』

『愚かな息子だ。この高邁な思想を理解できんとは』
『理想郷が作れても、カシスが犠牲になるなら意味はないんだ!』
『……所詮、その程度か。ならば、お前は要らぬ』
『カシス! 逃げ……っ』

 伸ばされる掌は、真紅。いつも包んでくれていた、大きな、優しい掌。それが一気に闇に飲まれて消える。足は竦んで動かなくて、闇が足元にまで迫って。
 いつも、夢はそこで終わる。
 ……どうして、そんな夢を見るのだろう。どうして夢の兄は、今の自分と同じ年頃なのだろう。小さい頃に遠くへ行ってそれっきり、何処にいるのかも知らないのに。


update:2002.03.25/written by Onino Misumi

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