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 一族の記憶は膨大で、僕は時々、目を瞑る。
 そうしていないと、とても苦しくなる。息さえ出来なくなりそうになる。
 見ずにいれば、きっと感じずにいられる。そしたら、そうしたら――。


キミが教えてくれたコト−Nesty−


 何度目かのため息をついて、僕はこめかみに手を当てた。軽い頭痛がするのは、疲労ではなく苛立ちの所為だろう。
「まったく……今度は何処に行ったんだ?」
 言ったところで返答が返ってくるわけはないのに、つい口に出してしまう。……いや、むしろ言っておかないと、こっちがストレスでどうにかなりそうだった。
 今回の残骸は、丸められたシーツ。確か前回は予備も含めた枕三個で、その前は教本が詰められていた。どうしたって朝には露呈するだろうに、無駄な事をする。
 皺の寄ったシーツを片手にため息をついていると、遠く鐘の音が聞こえてきた。あれは広場の鐘の音。そろそろ捜しに行かないと、街道への門が開いてしまう。急がなければ。下手をすれば街の外まで行かなければならなくなり、些か面倒な事になってしまう。
「義父さん、僕が捜して来ます」
 確か今日は、相当に忙しかった筈。こんな些末事で、師範を煩わせるわけにはいかない。

 一月程前にやってきた妹弟子は、小さな嵐そのものだった。周りを巻き込めば被害甚大。何処へ走って行くかも判らず、対策を怠れば、この通りツケが回ってくる。
 つい最近までは、五月蠅いくらいに僕の後ろを歩いていたのだけれども。一体、何が彼女を変えたのか、僕には見当が付かなかった。どうせ変わるのなら、もっとましな方向に変わってくれれば良かったのに。
 脱走なんて。どうしてそんなことをする必要があるのだろう。以前の生活より、ずっとましな筈なのに。
 浮浪児だったと聞いた。それは酷い生活をしていたのだと。詳しくは聞かなかったが、彼女を見ていれば容易に察しがついた。決まった時間に起きること、目が覚めたら身支度を整えること、決まった時間に食事を摂り、寝る時はベッドの上で――そんな知っていて当たり前の生活様式を、彼女は知らなかったのだから。僕が一から教えなければならなくなったのだが、物心つく前からの慣習はなかなか抜けないらしく、朝は起こされるまで寝ているし、空腹を覚えればその辺の物を適当に摘む。ベッドに慣れるまでが一番酷かった。柔らかすぎて眠れないと、ベッドと床の、ほんの僅かな隙間に入り込んで寝てしまうのだ。本人に言わせると、それまでがそういった狭い場所に身を押し込める寝方であったから、その方が落ち着けるそうなのだが……朝が来る度に「いなくなった」と捜さねばならなかった、僕の身にもなって欲しかった。
 それらが、ようやっと落ち着いてきた今日この頃だったのである。そろそろいい加減、慣れてきていた筈だったのに。帰りたいのかとも思ったが、人並みの生活が慣れた身には、再びのあの生活は辛いだろう。あの町に帰るなどとは、有り得ない話だ。
「トリス、何処にいるんだ。隠れてないで出て来い」
 中庭で声を上げてみる。最初の脱走の時は、ここの、庭木の影にいた。その場所を覗いても見たけれど、あの小さな姿は何処にも見あたらなかった。
 やはり敷地の外に出たのだろうか。二回目の脱走以降がそうだった。僕は彼女のおかげで、塀の破れ目の場所や、生け垣の隙間、心持ち低くなっている塀の場所を熟知する羽目になったものだ。
「一体、何が不満なんだ?」
 派閥が天国だとは、僕は思っていない(当然のことだ)。だが、彼女が今までいた何処よりも、ましな場所ではある筈だ。
 そこから逃れ、彼女は何処へ行きたいのだろう。一体、何故?

「ネスティ、ネスティ・バスク!」
 中庭を過ぎた所で、呼び止められた。あれは……確か、シラー師範の所の。
「トリスがいなくなったって、本当なのか?」
 息せき切って尋ねられ、僕は少々面食らった。
「あ、ああ、そうだが」
 ちくしょう、と。何故、彼が悔しがるのか、僕には判らなかった。判ったのは、どうやら彼が、トリスの脱走の理由を知っていそうだという事。
「何か知っているのか?」
 言っていいのかな、と、彼は逡巡を見せた。
「何か知っているのなら、どんな些細な事でもいいから教えて欲しい。見つからないと、大変な事になる」
 そう言いながら、僕は奇妙な感情を覚えた。この派閥の中で、師範と僕以上にトリスを知る人間がいるだろうか。何故、僕は彼に、そのトリスの事を問わねばならないのだろう。
 そんな僕の想いなど知る由もなく、彼は躊躇い躊躇いしながら、口を開いた。
「昨日の事なんだけどさ、自習になった授業があったんだ。その時、トリスを成り上がりだってバカにした奴がいて、ちょっとケンカになったんだよ」
「ケンカに?」
「そう。よっぽど頭に来たんだろうな。ナイフまで出す騒ぎになってさ」
「……なんだって」
「あ、いや、向こうも悪いんだよ! 女の子一人を相手に、三人がかりでさ。おれ、見てらんなくて止めに入ったんだ」
 唐突に、僕は思い出した。昨夜、確かに三人の師範が、ラウル師範の元を訪れていた。洩れ聞こえた、教育がどうの、成り上がりがどうのという文句に、またトリスが何かやったのだろうと思った。あまりにいつもの事だったからすっかり忘れていたけれど、きっと、あれがこの事なのだろう。刃物まで持ち出したのなら、苦情を言われるのも無理はない。
「幸い、誰もケガはしなかったんだけど。トリス、随分落ち込んでたみたいだったから、心配してたんだ。その所為でってわけでも、ないだろうけど」
 所為ではなくても、きっかけになるには充分だったろう。前々から脱走を繰り返していたトリスだ。その度に連れ戻され、結果として不当な侮辱を受けるのであれば、もう一度、と思うのも無理はない。
「ありがとう。なら、きっと本部の外だ。街を捜してみるよ」
「あ、おれも手伝うよ」
「いや」
 間髪入れずの拒否。それに驚いたのは、多分、彼よりも僕の方。
「……僕一人で充分だ。気持ちだけ受け取っておく」
「そっか。じゃあ、見つけたら伝えてよ。マグナが心配していたって」
「わかった。必ず伝える」
 軽く手を上げて、僕は彼と別れた。
 ゼラムの街は広い。それでも今からなら、夕方までには余裕で一巡り出来る時間だった。

 木の上にいるトリスを見つけたのは、僕の影が、僕自身をゆうに超す長さになってからだった。
「トリス」
 木の下に立ち、呼びかける。一度、びくりと肩を震わせて、トリスはおそるおそる、僕を見下ろしてきた。
「早く降りて来い。君のおかげで、僕はもうくたくただ」
「……頼んでないもん」
「いいから、降りて来い」
 だが、トリスは動く気配がなかった。登って引きずり降ろしたい衝動にも駆られたのだが、如何せん、僕の体力は限界だ。この上木登りなんてした日には、無事に派閥本部までたどり着けそうにない。
「トリス」
「……やだ」
「マグナが心配していたぞ」
 それで、僕が昨日の事を聞き及んだと察したのだろう。トリスはいっそう頑なに、身を小さくした。
「降りて来い。暗くなる前に戻れば、叱られはしないだろう」
 届かないと判っていながら、手を伸べる。ほら、と促す声に、首は横へと振られた。
「だめだよ」
「何が駄目なんだ」
「汚いから」
 脈絡のないそれに、僕は目を瞬かせるしかなかった。
「何を言ってるんだ?」
「だって、成り上がりは汚いって。触ったら汚いのが伝染するぞって」
 そんな事を言われたのか。……何て下らない、低俗な物言いなのだろう。
「気にしなくていい。そんなのは嘘だ」
「でも」
 じり、とトリスが後退ったそこに、ちょうど斜陽が差し込んだ。梢の加減か、今まで影になっていたものが、赤い光の下にさらけ出される。ああ、と僕は思った。そこで泣いていたのか。ずっと、僕が来るまで、一人きりで。
「でもその所為で、マグナまで悪く言われた。ネスまでそんな風に言われるの、やだよ。だったら一人でいる。もう帰らない」
「そんな事を気にする必要は無い。いいから来るんだ」
「やだっ! わたし、汚いもの! 汚いから、傍に居ちゃいけないんだもの!」
 汚いなんて。どうしてそんな事が思えるだろう。
 この滅んでいく太陽の、血色の余光を浴びる君は、こんなにも……こんなにも刹那的で。捕まえておかないと何処かへ行ってしまいそうなのに。
 もし穢れているとするなら、それは僕達に流れる一族の血。その罪と業。だがそれは、トリスを罵った連中は与り知らない話だ。今、ここにいるトリスを指して言える言葉じゃない。けれど、今の僕はそれと言う事を許されない。いや、仮に許されていたとしても、言えない。それはトリスを、同じ桎梏に繋ぐことにしかならない。
 なら、どうしたらいいのだろう。どうしたら、今の彼女に、それが単なる中傷だと解らせる事が出来るだろう。

 ――なんだよ。

 不意に。
 一族の記憶、そのデータの海から、その底から、何かが囁いた。

 ――ったら、そうと感じた心が綺麗なんだよ。

「……トリス」
 ある種の鉱物に似たその瞳は、今は赤銅に輝いて見えた。不覚にも、とても綺麗だと、僕は思った。
「夕陽が見えるか?」
 きょとんと瞬いて。自分の顔を照らす光に、彼女は目を向ける。
「……うん」
「どう思う?」
「赤くておっきくて……きれい」

 ――何かを見て、それを綺麗だと思ったら、そうと感じた心が綺麗なんだよ。

 ああ、そうだ。これは『彼ら』の言葉。
 クレスメントの一族の、誰かが口にした言葉だった。
「なら、君は汚くなんかない」
「……ネス?」
「綺麗なものを見てそうと感じられるうちは、その心は綺麗なのだから」
 琥珀色の綺麗な滴が、惜しげもなく零れて。
 僕はぼんやりと、まだそうと感じられる自分がいることに、気づかされていた。

「良かったー。あんまり遅いから、何かあったのかと思って心配したんだ」
 本部の入口でうろうろしていた彼は、僕達を目敏く見つけて駆け寄り、屈託のない笑顔を見せてくれた。それに応えるトリスは、すまなそうでいて嬉しそうでもあり、なかなか複雑そうだった。
「早く入ろう。おれ、もう腹ぺこなんだ」
「別に、待ってる必要は無かったんだが」
「そういう言い方ないだろ。これでも、喉が通らないくらいには心配してたって言いたいんだからさ」
「あたしも、お腹空いちゃった。早く食べに行こ」
「こら、ちょっと待て」
 僕は慌てて、その腕を捕まえた。
「食事の前に師範の所だ。心配をかけた事、きちんと謝ってくるんだぞ」
 あ、そうか、と。……まったく、これだから目が離せない。
 彼に先に行っていてと告げて、トリスは勢い良く方向変換した。入口まで走って行き、くるりと振り返る。
「ネスーっ」
 すでに空は暮れ夜陰が落ち始めていて。彼女のその髪も瞳も、いっそう深い色に染まっていた。振り回される腕の、その白い袖が、妙に浮き立って見える。
「なんだ?」
「今日は、ありがとーっ」
 それに笑顔のおまけが付いて。機嫌良く走る背中を、僕はただ、見送っただけだった。

 その時、僕はどうやら笑っていたらしい(後日のマグナの証言による)。
 礼を言いたいのはこっちのような気もしたけれど、それも変な話だと、そんな事を思ったのは覚えている。
 一族の記憶も悪いばかりじゃないなと、そう思えた初めての日。


update:2005.04.30/2002.05.03 written by Onino Misumi

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 作中におけるクレスメント一族の台詞は、以下をモチーフに創作しました。
「貴方が教えてくれた」(歌:吉成圭子/作詞:大川七瀬/作曲:村田和人『魔法騎士レイアース〜オリジナル・ソングブック〜』収録)