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常若の国
Maybe I will kill if war begins


 正式に騎士の叙任を受けた、その日。
 待ち望み、願っていた筈のその日が、別れの日となった。

 ゴトゴトと荒れた道を進む。こんな道を進むに馬車は不向きと言えたが、連れている人を考えれば、これが妥当と言えた。
 手綱を握っているのは、今年十七歳になるオイフェである。シグルドから子供達を託され、イザークへと落ち延びる途中であった。騎士として、そして主君との約束を果たすためにも、この子供達を守って行かねばならない。他の大人が誰も同行できなかったことを思えば、自然と気持ちが引き締まった。
「オイフェ、少し替わろうか」
 ひょいと顔を覗かせたのは、十一歳になるシャナンだった。オイフェが辛うじて自分を保っていられるのは、実は彼の存在がある。彼はオードの末裔であり、これから行くイザークの王子であった。今後組織すべき解放軍の、旗手たりえる人物なのである。
「いや、大丈夫。それにシャナン、馬は扱えるの?」
「大丈夫だよ。……多分」
 オイフェの隣に座って、シャナンはじっと手綱さばきを見つめている。少しでも負担を軽くしよう、という心遣いが、オイフェには有り難かった。シャナンは同志だった。子供達を守る役目を担う、唯一の同志。
「疲れたら頼むから、今は中にいていいよ。セリス様を見ていてくれれば」
「うん」
 頷きつつも、シャナンは幌の中に戻ろうとしなかった。足をぶらぶらとさせながら、自分の膝の辺りに目を落としている。
「シャナン?」
「あのさ、これからイザークに行くんだよね」
 思い切ったような口調だった。
「そうだけど」
「だったら、やっぱりぼくが外にいた方がいいんじゃないかな。イザークは、グランベルに滅ぼされたも同じでしょう? そんな所にオイフェが行ったら、きっと殺される」
 確かに、オイフェはイザークの民には見えない。髪の色も瞳の色も、薄すぎるのだ。
「でも、国境はまだ先だよ?」
「そんなの関係ないよ。あれから何年経ったと思ってる? 国境なんて、無いのと一緒だよ」
 言われてみれば、そう考えられなくもない。オイフェは少し思案するように手元に目を落とし、うん、と頷いた。
「わかった。じゃあ、ここにいてくれるかな」
 嬉しそうにシャナンが頷いた、その時。幌の方から泣き声が届いた。
「シャナンさまぁ」
 トリスタンが顔を覗かせる。
「セリスさまが泣きやみませんー」
 シャナンは少し眉をひそめ、オイフェをちらと見遣った。
「しょうがないな……」
「あまりトリスタンを責めてはダメだよ。まだ五つなんだから」
「わかってる」
 でも子守くらいできるようになってくれないと、と言いながら、シャナンは幌の中に戻った。泣き声や笑い声がいくつも交錯する。それを聞きながら、オイフェは少し、笑みを浮かべることが出来た。

 戦争の爪痕、というものは、人の心や家屋の他にも、こういう形で残る。
 月光の下、オイフェの前には十人ほどの男達がいた。服装から察するに、軍から脱落したグランベル兵だ。そういった手合いが山賊や盗賊となり、戦争の悪しき爪痕を更に大きくする。
「ここには子供しかいません。お金になるようなものは、何もありませんから」
 一応の説得を試みたものの、男達は意に介さなかった。それもそうだろう。一般庶民は馬車など使えない。使えるのは、貴族か商人か。そしてそのどちらも、まとまった金品を持っているものなのだから。
 仕方なく、オイフェは剣を抜いた。シグルドより託された、銀の剣だ。男達の間から口笛が上がったのは、その剣の良さが判ったからであろう。
「過ぎた剣だな。こっちに寄越しな」
 じり、と男達が近寄る。馬車の側を離れるわけにはいかず、オイフェは幌を背に、半歩後ろに下がった。
 その時だった。
 一陣の風が、幌から飛び降りた。翡翠の燐光が視界の隅を染め、オイフェは事態を悟った。
「シャナン!」
 人という名の嵐を、オイフェは知っていた。それはアイラという名を持つ女性であり、イザーク王家の王女だった。王家秘伝の流星剣がシャナンに受け継がれている事を、オイフェは完全に失念していた。
 ――いけない!
 止めようと思った時には、もう遅かった。オイフェはシャナンの腕を知っていた。シャナンが負ける筈はない事も、傷を負うようなことがないのも知っていた。……彼が守らねばならないのは、シャナンの他の部分だった。
「ああああぁッ!」
 血と剣の乱舞を、オイフェはもはや見ているしかなかった。迂闊に止めようものなら、流星剣に巻き込まれてしまう。
「シャナン、もういい!」
 肩で大きく息をついて、シャナンは剣を止めた。立っている者は、オイフェとシャナンの二人だけになっていた。
「もう、いい」
 もぎ取るようにして、シャナンの手から剣を奪う。それは、アイラから託された勇者の剣であった。柄まで血にまみれ、オイフェは滑らないように注意する必要があった。放り投げられていた鞘を拾い、収める。
 シャナンは目を見開き、身じろぎひとつせずに突っ立っていた。
「シャナン」
 ゆっくりと振り返る。返り血が、シャナンの顔と言わず服と言わず、全身に飛び散っていた。
「オイ、フェ」
 倒れるように、オイフェの腕に縋る。肩を抱いて、オイフェは御者台にシャナンを座らせた。隣に自分が腰かけ、馬を走らせる。
「少し戻ろう。川があったから」
 虚ろな瞳から、するりと透明な涙が落ちた。オイフェは一刻も早く、惨劇の現場から離れる必要を感じていた。
『オイフェ』
 記憶の向こうから、懐かしい、優しい声が呼びかける。
『もう、大丈夫だ』
 差し伸べられた手を、一生忘れるなんてできない。この人についていこうと、幼心に誓ったのだ。
 ――シグルド様。あの時のことを、覚えていらっしゃいますか?
 僕に、貴方がなさったのと同じ事ができるでしょうか――

 満月なのが幸いだった。きらきらと光る川面を、容易に見つけることが出来た。
 手を引いて、シャナンを川に入れる。オイフェは、丁寧に血を拭った。セリス達が静かに眠っていてくれるよう、心の中で祈りながら。
「ぼく……人を殺した」
 呆けたように、シャナンが呟いた。
「あの人達だって、待ってる家族とか、大好きな人とかいた筈なのに……」
 水に濡れていても、涙はそれとわかってしまう。――涙は、温かいから。
「シャナン」
 泣きじゃくる頬を拭い、オイフェは下から覗き込むようにして、シャナンの目を見つめた。
「怪我は、ないね」
「……ない」
「そう。良かった」
 すっと、シャナンの瞳に光が宿った。
「どうして良かったなんて言えるんだ!? ぼくはあんな、あんな酷いことをしたのに!」
 ぼろぼろと落ちる涙。オイフェはそれが、どれほど貴重なものなのかを知っていた。守らなければならないのは、この心。シャナンの、優しい心だ。これを失えば、シャナンは王として、何処か欠落した治世を布くようになってしまう。だが、戦っていく上では、どうしても邪魔なものであるのは間違いない。
 戦いとは、即ち人を殺すことであり、戦略とは、いかに効率よく敵を殺すかにある。そうと割り切らなくては、これから生きていくのは辛いだろう。だが、割り切ってしまうには……シャナンはまだ幼い。
「僕は、人を殺して良かったなんて言っていないよ。シャナンが無事で良かったって言ったんだ」
 黒い瞳が、大きく瞬いた。
「ねぇ、シャナン。戦うって事は、人を殺すと言うことだよ。僕たちは生きるために、生きていくために戦わなくてはならない。人を殺すのは、確かに悪いことかも知れない。殺されても、殺してはいけないのかも知れない。でも、ここで僕たちが殺されたら、誰がセリス様をお守りできるだろう」
 唇を噛んで、シャナンは俯いた。
「忘れろとは言わない。鈍くなれとも言わない。慣れろとも言えない。……シャナンが泣けるのは、いいことだと僕は思うよ。ただ――」
 シャナンの肩に手を置く。涙に洗われた瞳が、真っ直ぐにオイフェを映した。
「溺れないで欲しい。罪悪感に溺れれば剣が鈍る。それはシャナンを殺してしまうから」
 肩が小刻みに震えた。手を放した瞬間、シャナンはオイフェに抱きついて、声を上げて泣いた。

「シャナンが剣を持つのは、あんまり感心しないんだけど」
 御者台で、オイフェはため息をついた。隣に座るシャナンは、大事そうに勇者の剣を抱えている。
「だって、どう考えたってオイフェよりぼくの方が強いし」
 ふっきれたのか開き直ったのか、はたまた悟ったのか。オイフェは苦笑するしかない。
「要するに、命の重さを忘れなければいいんだよね。流した血の分だけ、ぼくが何かをすればいいんだ」
 おいおい、とオイフェは思ったが、続けられた言葉に、その考えを撤回させた。
「そう思って戦うしかないんだよね。だって……セリスを殺したくはないから」
 ――僕は。
 シャナンを過小評価していたのかも知れない。この子は、剣の重さをちゃんと理解している。
「オイフェは、人を直接殺したことがあるんだね」
 何気ない口調だったので、うっかりオイフェは聞き流しそうになった。
「え?」
「さっき、そう思ったんだけど。違う?」
 軽く息を吐いて、オイフェは微笑した。そうするしか、ないように思った。
「そうだよ。シグルド様の所に行く前で……僕は十二歳だった」
 騎士見習いとしてシアルフィ城に上がる途中――先刻のように、山賊に襲われてのことだった。迎えに出たシグルド達が到着するまでの間に、オイフェは護身用の剣で、一人を殺していた。血を見たことでショックを受けていたオイフェの手を、シグルドは包むように握りしめて言ったのだった。オイフェが無事で良かった、と。
「流した血につりあうだけの何か、って言ってしまうと、陳腐だけどね。殺してしまった命は戻らないから、僕は生きて行かなくてはならないんだと思ったよ」
「そう……」
 シャナンは大きく息を吐き、剣を抱きしめた。
「セリス達が、そういうことを思わないで済むといいね」
 思わず、オイフェはシャナンを見つめた。なに? とシャナンが首を傾げる。
「いや……何でもないよ」
 ――そうか、そういう考え方もあったか。
 セリス様の成人前にすべて片が付いていれば、セリス様が戦場に引き出されるのを見ずに済む。こんな風に、苦い思いをさせずに済む。
 ……シャナンに教えられたのが、何となく嬉しかった。

 あてがある旅ではなかった。ただ、グランベル軍の手の届かぬ奥地へ、とだけ、オイフェは考えていた。途中の村で地図を買い、ついでに食料や水も整える。
「可哀想にねぇ、親を亡くして、苦労してるんだろう」
 子供ばかりというのが、異様であり珍しいのだろう。行く先々で、人々は同情的で優しかった。イザークの民の素朴さに触れ、オイフェはしみじみと、蛮族とは名ばかりであるのを思い知った。
「そう言えば、知ってるかい? この辺りのグランベル軍が、壊滅させられたって話」
 ぎくんと背中が強張ったのを覚えたが、オイフェは曖昧に笑った。
「そうなんですか」
「何でも、駐留していたところから少し離れたところで、皆殺しになっていたんだってさ。物騒な話だけれどね……ここだけの話、誰だか知らないけど、みんな感謝してるんだよ。あいつらときたら、女子供に乱暴はするし、略奪はするしで嫌われていたからねぇ」
 ……まさか、自分達だとは言えない。
 そそくさとオイフェは店を後にした。正当防衛とは言え、凄惨な光景であったのは否めない。だが、生かして返せばシャナンの所在が明らかになる。それはイザークの民に希望を与えるだろうが、同時にグランベルからの討伐軍を呼び寄せる事になってしまうだろう。それだけは、絶対に避けねばならなかった。
 自分には、まだ力がない。セリスを守れるだけの、シャナンを守れるだけの、そしてイザークを取り戻してやれるだけの、力が。
「おかえり、オイフェ」
 セリスを膝に乗せて、シャナンが笑って迎える。この無邪気に笑う少年が大量殺戮者であろうとは、誰が想像できようか。
「この間の一件、噂になってた」
 買ってきた果物を出しながら言うと、シャナンは顔を青ざめさせた。
「ぼくたちのことが?」
「ああ。でも、誰がやったかまではわからないみたいだ」
 安堵して、シャナンはセリスを抱き直した。
「まだ見つかるわけにはいかない……少し控えめにしようか」
「いや、下手に勘ぐられても困るんだよ。何よりシャナン、君にはオードの聖痕があるんだから」
 あ、とシャナンは口を開けた。考えもしないことだったらしい。
「そうか……調べられたら一発なんだ」
「殺しすぎても、逆に怪しまれる可能性はあるけどね。ただ、僕たちは子供ばかりだから網の目もくぐりやすい」
 だが、オイフェの視界には、わずかながら危惧すべき点が映っている。死体の異様な傷の具合から、流星剣の使い手――即ちイザーク王家の生き残りであるのが判明する可能性はある。今までのように、シャナンと二分する分担では、遠からず捕捉されてしまうかも知れない。
 とんとん、と頭を叩く。考えすぎても始まらないのだ。
「さて、行こうか」
「何処に行くか決めたの?」
 広げられた地図を、シャナンが覗き込んだ。国を去ったのは幼い頃だ。地図を見ても、ピンとくるものはないようだが。
「取り敢えず、奥に、だ。ソファラかガネーシャか……その辺りの村に、身を潜めようと思ってる。あんまり人里離れると情報が届きにくくなるから、適当な所を探さないとね」
 ふぅん、とシャナンは言ったが、オイフェに任せることにしたらしい。ぽん、とオイフェの肩を叩いて、終わりにしてしまったのだった。

 既に何度目か数えることもできなくなった、グランベル軍との遭遇戦。オイフェは最後の一人を斬り倒し、剣を払った。
「シャナン、無事か?」
 呼びかけたが、返答はなかった。乱戦の中、はぐれてしまったのだ。オイフェは馬車の側を離れなかったが、シャナンは何処まで行ってしまったのだろう。見られたら、とにかく殺すしかないというのが、二人の共通の認識だった。下手に深追いして、更なる援軍を招いていないといいのだけれど。
 危険とは思いつつも、オイフェはもう一度呼んだ。
「シャナン」
 側の茂みが音を立てた。剣を握ったまま、オイフェは繰り返した。
「シャナン?」
 だが、茂みを割って現れたのは、シャナンではなかった。三十代半ばほどの男性。グランベルの軍服でないのは即座に見分けられたが、敵なのかどうかまでは判断が出来なかった。単なる村人ならば、殺すことはない。だが、グランベルに連なるものならば殺さねばならない。まさかそうと訊くことも出来ず、オイフェは剣を構えただけに留まった。相手も抜刀はしていたが、戸惑っているように見える。
「オイフェ、こっちは終わっ――」
 背後からの声が、途中で止まった。振り返ることが出来ないオイフェだったが、それがシャナンであるのは声で判った。
「来ちゃ駄目だ!」
 だが、シャナンはそれを無視した。駆け寄るや、男とオイフェの間に割り込み、剣を構える。
「シャナン!」
「オイフェ、下がって!」
 二人が同時に怒鳴る。眼前の男は、更に戸惑っているようだった。
「オイフェはみんなを守んなくちゃいけないんだろ? 何やってるんだよ!」
 苛立ちのこもった声に、オイフェは胸を突かれた。それは、そうなのだが……。
「でも、シャナン……」
「シャナン?」
 男が、呆然と呟く。はっとして、オイフェとシャナンは同時に緊張を走らせた。だが、男は二人が想像していたのとは、全く別個の行動をとった。剣を放り投げ、大地に跪いたのである。
「マリクル様が一子、シャナン王子であらせられますか」
 きょとんとして、二人は目を見交わし、跪く男を見下ろした。男は顔を上げた。シャナンを認めると、見る間に涙を溢れさせる。
「おお……マリクル様によく似て……」
 戸惑い、シャナンは剣を下ろした。その切っ先近くに自分をおいて、男は恭しく頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、シャナン様。私たちは王子のご帰還を、一日千秋の思いで待ちわびておりました」
「……誰だ?」
 シャナンの声が強張ったのは、警戒のためであったろう。
「マリクル様のお側近くに仕えておりました者にございます。どうぞ、私と共においで下さい。隠れ里ティルナノグには、王家に忠誠を誓う者が集っております故」
 イザークの民は独立不羈の民族だと、オイフェは文献で見たことがあった。ならばグランベルに膝を屈するを潔しとしない者は少なくないだろう。だが……。
「信用できない。父の側に仕えていたのが本当なのかどうかさえ、ぼくは確かめられないからな」
 シャナンの声は、相変わらず固い。男は顔を上げ、静かに言った。
「では、ひとつ証拠を差し上げましょう」
 すっと手を伸べて、男は人差し指でシャナンの右肩を示した。
「右肩の後ろに、オードの聖痕がありますでしょう。それは王子が生まれてより三月目に現れたものです。最初に見つけられたのは、叔母君アイラ王女であらせられた。そうでしたね、王子?」
 シャナンが目を瞠った。覗き込むと、小さく頷く。
「アイラが、よく話してくれたんだ。ぼくの湯浴みを手伝っていたら、見ているその前で、聖痕が顕れたと……」
 男はにこりとし、頭を垂れた。
「王子、信じられぬのならば、その剣で私の首を落とされませ。それで終わりです」
 シャナンは困ったようにオイフェを見た。オイフェは、頭を下げる男を見つめた。
「シャナン……ティルナノグに行こう」
 二対の瞳がオイフェを凝視した。
「信じることも大切だからね。万一、ここで騙されたなら」
 一呼吸おいて、オイフェはシャナンに笑いかけた。
「僕が君を守るよ」
 だが、危惧したようなことにはならなかった。ティルナノグは真実、イザークの解放を望む人達が集う隠れ里だったのである。シャナンは大歓迎を受けた。グランベルの貴族ということで迫害されるかと思ったオイフェだったが、それは杞憂に終わった。シャナンを守ってくれた人物として、シグルドの名はイザークまで届いていたのである。その子であるセリスも、そして臣下であるオイフェも、シャナンに劣らぬ歓迎を受けてしまった。
「いい人達だね」
 そう言うと、シャナンはどことなく嬉しそうに見えた。
「でも、すぐ信用するのは危ないかも知れない。オイフェ、しばらくは同じ部屋に寝泊まりしようよ。セリスや、他の子達も一緒に」
 それはそれで逆の意味で危ないと思ったオイフェだが、何も言わずに承諾した。ティルナノグの人達に、裏があるとは思えなかった。
 小さな安全圏を手に入れ、オイフェは久しぶりに、ぐっすり眠ることが出来たのだった。

 季節が春から夏へ、そして秋へと移っていく中、オイフェもシャナンもティルナノグでの地位を確立した。オイフェは軍師としての卓越した能力を認められ、シャナンは剣士として一人前以上の腕を有することが認められたのである。一人の大人として扱われるのが、二人にとっては新鮮な事だった。
 秋の初めの週、ガネーシャで市が開かれた。周辺の民に混じって、ティルナノグからも何人かが買い物に出た。ある日、オイフェも市へと足を運んだ。買い物ではなく、市と共に運ばれる情報を収集するのが目的だった。
 ……グランベル国内では、ヴェルトマー公アルヴィスが王として即位した。
 ……イードの砂漠で戦争があった。トラキアとレンスターの戦いだったらしい。
 ……レンスターとシレジアが、対グランベルの声明を出したのだとか。
 ……いや、グランベルがレンスターとシレジアを討伐する旨を公布したらしい。
 数々の噂は、どれもオイフェにとって望ましいものではなかった。苦々しく思ったオイフェの耳に凶報が轟いたのは、間もなくだった。

「あ、おかえり、オイフェ。市はどうだった?」
 さすがに王子自らは偵察には行けないと、留守番を言い渡されていたシャナンだった。土産話を聞こうと、トリスタンやセリスも目をきらきらとさせている。
「オイフェ? 何だか顔色が悪い……」
 買ってきた土産を置いて、オイフェは無言のままシャナンを部屋の外へ引っぱり出した。閉ざされた扉の向こうで、子供達が土産を広げて騒ぐのが聞こえる。
「何か、あったの?」
 肩に手を置いて、オイフェは俯いた。声を抑制するのが精一杯で、表情まで作れなかった。
「落ち着いて、聞くんだ」
 唾を飲み込んで、続けた。
「シグルド様が、亡くなった」
 刹那の、だが永遠にも思える無音。
「うそだ……」
 やっとのことで表情を作ったオイフェが見たのは、表情をなくしたシャナンだった。
「嘘だよ。だってシグルド、迎えに来るって言ったじゃないか! それにアイラだって一緒にいる。シグルドが殺されるの、黙って見てるわけないよ!」
「落ち着いて聞くんだ!」
 びくっとして、シャナンはオイフェを見た。黒い瞳に、仮面を被った自分が映っている。
「バーハラで、反乱軍の処刑があったんだそうだ。筆頭にあげられていたのがシグルド様。ほとんどの人が、殺されたって話だ」
 そんな、とだけ言って、シャナンは絶句した。表情が変わらないのが痛々しい。
「生き残った人がいないわけじゃないみたいだけど、楽観は出来ない。処刑があったのは夏の終わりだったそうだから、もし生きていたら、とっくにイザークに着いているんだ」
「迷ってるだけなのかも知れない! ここがわからないだけなのかも知れないよ! ね、迎えに行こうよ、オイフェ。本当のこと、知らなくちゃいけないよ!」
「駄目だ!!」
 びくっとして、シャナンはオイフェを見つめ直した。訝しげな表情が、ほんの少しだけ浮かんだ。
「オイフェ……?」
「シャナン、僕たちの役目は何だったか、忘れたのか? 今、僕たちが動けば、ティルナノグは見つかってしまう。そうなれば、セリス様は誰が守るんだ?」
 オイフェがそれを口にしたのは二度目だった。その意味を、シャナンは理解し得たろうか。
「今、僕たちに出来るのは、ティルナノグを強くすることだ。それに……今から行っても、シグルド様達を助けることは出来ない。そういうことなんだ」
 しゃくり上げる声が、シャナンの喉から洩れた。扉越しに、無邪気にはしゃぐセリスの声が聞こえた。

 レヴィンがティルナノグを訪れたのは、それから三年の月日が過ぎてからであった。一人ではない。エーディンを伴って、というのが皆を驚かせた。
「すまないな、おめおめ生き残ってしまった」
 それが、再会後の最初の言葉だった。
「いえ、またお会いできて嬉しいです。ところで、どうしてここが?」
 レヴィンはにやりと笑った。以前と変わらない、吟遊詩人の笑みであった。
「シャナン王子が解放軍を率いてるって噂を、去年耳にしてな。タイミングがあんまりに良すぎるんで、こりゃオイフェの仕業だな、とね」
 それでティルナノグを見つけたのならば、大した情報網と言えるだろう。オイフェは苦笑するしかなかった。レヴィンが敵でなくて、本当に良かったと思う。
「うまくやったと思ったのですが」
「だから、良すぎたんだよ。グランベルとトラキアが同盟結んだ、ちょうどその時ってのがな。
 行けば何とかなると思ったが、まさか公女まで見つけるとは思わなかった」
「驚いたのは私のほう。私が三年かけても駄目だったのに、半年足らずで見つけてしまうのですもの」
「ま、蛇の道は蛇ってね」
 楽しそうに言って、レヴィンは出されたお茶を口に含んだ。それを卓へ戻し、心持ち身を乗り出す。
「シレジアにはオレが、レンスターにはフィンがいる。どうだ、ひとつ手を組む気はないか」
「手、ですか」
「そうだ、反帝国の組織作りってヤツだよ。オレが仲介する」
 オイフェは目を瞠った。それはオイフェも考えていたことだったのである。ただ、自由に動けるだけの力を持った、信用できる人材がいなかったのだった。シャナンか自分が動ければよいのだが、それは叶わないことだった。レヴィンが仲介してくれるのならば、それに勝るものはない。
「ですが、国の方はよろしいのですか?」
 ふふん、とレヴィンは胸を張った。
「シレジアには、オレより腕のいい指導者がいるんだ。国内はそいつに任せてある。オレはあちこち回って、組織固めをすることにしたんだ」
 それに、とレヴィンは声を低めた。
「どうも何かおかしい」
「おかしい?」
「ああ。グランベル国内ではあのロプト教団が復活したという話だ」
 オイフェは一瞬、我が耳を疑った。あの暗黒神を崇める、ロプト教団が……?
「どういうことですか?」
「オレも解らん。それも併せて探ってみたいんだ」
 レヴィン本人が動くのは、おそらくそれを探りたいのが主であるのだろうが……レヴィンのことだ、一事にかまけて他が疎かになるようなことはないだろう。
 オイフェはひとつ、大きく息を吐いた。今や、ティルナノグの全権はオイフェとシャナンの手の中にある。そして、シャナンが反対するとも思えなかった。
「わかりました。シャナンと相談はしますが、協力させていただけると思います」
「そう言ってくれると思ってたぜ」
 笑ってから、レヴィンは辺りを見回した。
「ところで、そのシャナンとセリスはどうしてる? みんな元気にしてるか?」
 はい、と応じつつ、オイフェは顔を曇らせた。
「どうした?」
「ええ……ジャンヌが姿を消したのです。ここへ来て、間もなくの頃で……生きていれば、と思っているのですが」
 ふむ、とレヴィンは腕を組んだ。
「暇があったらそっちも探しておいてやるよ。お前ら、動けないんだろう?」
「ありがとうございます」
 頷いて、レヴィンは手を打ち鳴らした。
「よし。話も決まったことだし、子供達の顔でも拝んでくるか。公女も会いたいだろう?」
 そう言って、レヴィンは席を立った。オイフェも席を立ち、セリス達の元へ案内すべく、扉を開いた。

 セリス率いる解放軍が決起したのは、それから十四年の後。
 グラン歴七七七年、春のことであった。


update:1999.07.04/written by Onino Misumi

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