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時の中洲
Sometime we'll go to Promised Land


 ずぶずぶと足が沈む。ため息をついて、彼は空を仰いだ。少し小やみになったとは言え、雪はちらちらと降り続けている。
 ここは、ザクソンの北に位置する村・ドゥナティスの近くである。暦の上では春であったが、シレジアはまだ雪深く、冬と言っても良かった。そのシレジアの冬を、それも街道筋でさえない道の一人歩きは自殺行為だ。それくらい、彼も知っていた。これは彼の意に添ったものではないのである。
 彼の名は、アミッドという。父は反帝国活動の旗手で、彼自身も当然、反帝国の陣に名をおく戦士――となる予定である。彼はまだ、若干十三歳。戦場に出るには些か幼すぎるのであった。しかしながら、役に立たないわけではない。今日は、父に頼まれて同志を迎えに行く、その途中なのだった。彼らの拠点は俗に言う『隠れ里』のため、不案内な者はたどり着けないのである。
 負けじと踏み出した足が、膝まで沈む。
 自分が女に生まれていたら、絶対ペガサス乗りを選んだに違いない。その方が、きっと父の役にも立てるものを。だが、それは今いくら愚痴っても仕方のないことだった。
 一休みすることを決めて、雪の上に座り込む。ごそごそと襟元を探り、ペンダントを引っぱり出した。美しい翡翠は楕円の形を取り、光の加減で雷の紋章を浮かび上がらせる。
 それは、母が作ってくれた物だった。八年前、妹と共に行方不明になるまで、家族は四人、幸せに暮らしていた。八年前の夏――妹を連れてザクソンに出かけたまま、母は戻ってこなかった。父は、同志を頼って八方手を尽くして捜したのだが、結局「国外へ連れ去られたらしい」ということ以外、何もわからなかった。
 手先の器用だった母は小さな装飾品を作るのに長けており、普通のペンダントの他に、こういった護符の類まで作って商っていた。妹と揃いで作ってもらったのは、物心がつくかつかないかの頃だ。
「アミッドを守ってくれますように」
 そう言っていたのは覚えているが、それがいつだったのか、定かではない。風使いである自分に、何故『雷の紋章』なのか、その頃は疑問に思わなかった。そのくらい、幼かったのだろうとは思うのだが……。
 思い出に浸ってから、アミッドはふと、視界に緑を見たような気がした。ペンダントの翠ではない。若葉の、新緑の緑。慌てて目を凝らすと、確かに緑色が見えた。
 ――こんな季節に……?
 訝りつつも這うようにして雪を漕ぐ。近くまで行って、それが行き倒れた人であるのがわかった。
「大変だ!」
 髪の色からするに、シレジア人、あるいはその血を引く人であるのは間違いない。それが雪中行軍など、考えにくいことだった。だが、現実に人が行き倒れ、そして凍死しかけている。
 抱き起こしてみて、初めて自分と同年代の少年だとわかった。冷え切った体は、うんと冷たくて氷のようだ。
「ど、どうしよう……」
 ここからなら、村に引き返すことが可能だ。しかし、自分は使いの途中。迎えに行かなければ、今度は同志がこうなってしまう可能性がある。かといって、まだ息のある人を放置していくのも躊躇われた。同志を連れて戻ってくるまでの間に、死んでしまうだろう。
 逡巡すること数秒。
 アミッドは少年を肩に引き上げると、今来た道を戻り始めた。一人で来るのでさえ苦難の道である。人一人を担いで歩くとなれば、かなりの重労働となるのが目に見えた。
 ――でも、放ってはおけない。
 彼を置いてきたらすぐに戻るつもりで、アミッドは足を急がせた。
 村が霞んで見えるようになった辺りで、村の入口に人影が見えた。こちらに気づいたのか、走ってくる。途中で、父であるのがわかった。
「アミッド! お前、何処に……」
 怒鳴りかけた父が、はっと顔を強張らせた。
「父さん、この人、助けて」
 アミッドの肩から少年を抱き取って、父は静かに尋ねた。
「……どうしたんだ」
「途中で、行き倒れて、たんだ。このままじゃ、死ぬと、思って」
 荒い息の所為で、途切れ途切れになる。父は無言で頷くと、少年を抱き直した。あとはもう、アミッドの出る幕ではない。呼吸を落ち着けて、父を見上げた。
「じゃ、もう一度行って来る」
「馬鹿を言え。そんな状態で行ったら、今度はお前が遭難する」
 父は瞳を和ませ、顎をしゃくった。
「来なさい。彼らはもう、着いているよ」

 アミッドの父・ヴィダルは、この村を拠点として動く反帝国勢力の指導者である。王であるレヴィンに託され、シレジアを帝国の手から奪い返すべく、各地の同志と連絡を取り合い、かつ蜂起の準備を進めている。彼を慕い、この村に住まう者も多い。
「ヴィダル様!」
 家に戻ると、見慣れない人が二人いた。穏やかな、茶色い理知的な瞳をした青年と、シレジア人に多い、緑の髪と瞳をした少女。アミッドは一目でわかった。彼らが、自分の案内すべき『同志』であったのだ。
「彼女がペガサス乗りでね。天候を見て、空から来てくれた」
 ヴィダルが簡単に説明する。そうと知っていれば迎えになど……と思いかけ、アミッドは慌てて首を振った。もし自分が迎えに出なかったなら、この少年は確実に死んでいたのだ。
「ホーク、すまないがシスターを呼んできてくれ」
「はい」
 立ち上がったのは、青年の方だった。すれ違い様に軽く会釈をされ、アミッドの方が恐縮してしまう。
「フェミナ、君はアミッドから聞いて、お湯を沸かしてくれ。なるべく多くだ」
「はいっ」
 勢いをつけて少女が立ち上がる。アミッドと目を見交わして、にこっと笑った。
「ヴィダルさまのご子息ですね? わたし、フェミナです。よろしく」
「こちらこそ、よろしく」
 自分より、若干年上だろうか。差し出された手を、アミッドは握り返した。
「台所はどちらですか?」
 フェミナを案内し、お湯を沸かせる準備をしてから、父の元へとって返す。自分に用事を言いつけなかったということは、側にいろという意味だからだ。
「父さん」
 呼びかけてから扉を開く。父は少年を寝台に寝かせ、そのままの姿勢で凍りついていた。
「父さん?」
 弾かれたように、ヴィダルが振り返る。アミッドを見て、わずかに安堵の息を吐いた。
「ああ、アミッド……」
「どうしたの? そんなに酷い?」
「ああ……いや」
 曖昧に応え、父はアミッドを目で呼んだ。側に寄って、示されるままに覗き込む。
 少年は眠っていた。指先が酷いしもやけを起こしているのがわかる。そして……はだけられた服から覗く肌の上に、アミッドの目が止まった。左の肩の付け根。鎖骨から肩にかけてのそこに、くっきりと浮かんでいるのは――。
「セティの、聖痕……?」
 思わず呟いた声に、ヴィダルが頷いた。
「間違いない。このシレジアの世継ぎであらせられる、セティ様だ」
 アミッドは一度止めた息を、大きく吐き出した。
「……見捨てないで良かった」
「本当にそうだな。……何があってもお助けせねばならん」
 独り言のように呟いてから、ヴィダルはアミッドの名を呼んだ。
「お前の服を持ってきなさい。それから……レヴィン様を呼んで来るんだ。場所はわかるね」
 全身に緊張が走るのを感じ、アミッドは浅い息をついて、頷いた。
 シレジアの王であるレヴィンは、三年前からこの村の外れに身を隠している。それを知っているのは、ヴィダルとアミッドだけであった。それを呼んで来いとは。
「なるべく早く、だ」
「わかった」
 狭い廊下を走り、自室に飛び込む。上着やら何やら一式を抱えて飛び出した時、折悪しくフェミナに衝突しかけた。
「アミッドさま」
「あ、フェミナ」
 双方で安堵の息を吐き、同時に笑い出す。
「ごめん。急いでいたから」
「いいえ、こちらこそ」
 にっこりと応じられて、アミッドもつられたように笑顔を浮かべる。ヴィダルの所に戻りかけ、ふと思いついてフェミナを呼び止めた。
「何でしょう」
「敬語とか丁寧語とかいらないよ。多分、僕の方が年下だから」
 はぁ、と応じつつも、フェミナは何処か釈然としないようだった。父が父だけに様付けで呼ばれることもあるアミッドだが、実はそれが嫌いだったのである。王子でも貴族でもない自分が様付けで呼ばれると言うのが、どうにも重くて仕方がない。
 自分の意向を伝えたことで満足しながら、アミッドはヴィダルの部屋の戸を叩いた。

 先刻よりは歩きやすい雪道を登り、アミッドは大きく息を吐いた。視界が白く煙る、その先に小さな小屋が見える。小屋と言っても大きさだけの話で、石造りの堅牢なものだ。雪深いシレジアに、木や土の建造物は皆無である。作っても、一年と保たないからだ。
 戸口の側に人影を見て、アミッドは目を凝らした。微弱な太陽光が、きらきらと弾かれている。
「ユリア!」
 呼びかけると、影がこちらを向いた。あ、とでも言うように口を開き、ふわりと笑顔が浮かぶ。
 アミッドと同年の少女で、ユリアという名だった。名前以外の一切の記憶を失い、レヴィンと共にこの小屋に隠れ住んでいる。生来のものか記憶を失った故かは定かではないが、人見知りが激しく、彼女の存在を知っている村人は少ない。自然、訪れる者も限られている。
「アミッド様。どうかしたんですか?」
 ユリアは、レヴィンもヴィダルもアミッドも、様を付けて呼ぶ。一年がかりでも直らなかった時点で、アミッドは諦めてしまっていた。
「父さんの使いで来たんだ。レヴィン様、いるかな」
「はい、先程戻られて」
 ユリアの背後で、扉が開いた。見目も鮮やかな緑が、アミッドの視界を染める。
「おう、アミッドじゃないか。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております、レヴィン様」
 丁寧に頭を下げてから、アミッドは真っ直ぐにレヴィンを見つめた。
「ヴィダルの使いか?」
「はい。失礼ながら、至急、来ていただきたいと申しております」
 レヴィンは微かに眉をひそめた。人目を忍んでいる身であるのは、アミッドもヴィダルも、重々承知の上だ。それを敢えて、というのが、レヴィンの感覚に引っかかったらしい。
「何か、あったのか」
「セティ様がお見えです」
 ぴくりとレヴィンの頬が動く。ユリアが、気遣わしげにレヴィンを見上げた。名前くらいは、ユリアも知っていたのであろう。
「俺は会えない。そうヴィダルに伝えろ」
 どきん。
 心臓が冷たい音を立てるのを、アミッドは間近に聞いた。呼吸を整え、必死に言葉を選ぶ。
「レヴィン様、そこを敢えてお願いいたします。セティ様は遭難しかけておいででした。父がレヴィン様を呼んでくるように申しつけたのです。口に乗せるのも憚られますが、あるいは」
 ユリアの顔に驚きが走った。縋るような視線をレヴィンに向ける。レヴィンもわずかに目を瞠り、そして瞑目した。
「……わかった。一緒に行こう」
 アミッドがレヴィンを連れて来た時には、すでにホークが戻っており、村のシスターが治療を終えた後であった。ホークとフェミナが同時に礼を施したが、レヴィンは軽く応じただけで、アミッドに案内するよう命じる。
「父さん、レヴィン様をお連れしました」
 応じる声を聞いて、扉を開ける。アミッドの服を着せられて、シレジアの王子は昏々と眠り続けていた。
「……容態は、どうなんだ」
 押し殺すような声でレヴィンが尋ねる。席を外そうとしたアミッドを目で制し、ヴィダルは淡々と答えた。
「外傷は、先程シスターが治療を。ただ、意識が戻るまで楽観はできないそうです」
「そうか」
 アミッドの前を横切り、レヴィンは寝台の脇に立った。見下ろす瞳は、意外に冷たい。
「ヴィダル、このまま預かっていてもらえるか?」
 アミッドは驚いてレヴィンを見つめた。離れて暮らしているという一点でも理解しがたいものを、何故レヴィンは息子を手元に置こうとしないのだろう。
 戸惑い、アミッドは視線を父に転じた。だが、
「御意」
 即答であった。さらに驚いて二人の顔を見比べる。
「すまんな。お前にしか頼めない」
 苦笑に似た表情が、レヴィンの顔に浮かんでいた。ヴィダルは、限りない無表情である。こういう顔をしている時の父は、何か考えがあるのが常であった。後で聞こう、と思った、その刹那。
「……父上?」
 弾かれたように、三人は等しく寝台を見遣った。上半身を起こし、緑の瞳が真っ直ぐに父親を映している。
 誰かが、唾を飲み込む音が聞こえた。意外に大きなその音は、案外、その場にいた全員のものであったのかも知れない。
「帰って来たんですね、父上」
 ――?
 アミッドは思わずヴィダルを見た。ヴィダルは、はっきりと驚愕の表情を浮かべレヴィンを見つめている。レヴィンは凍りついたように動けずにおり――そしてセティは、本当に嬉しそうな笑顔で、己の父親を見ていた。
「話したいことがたくさんあって……あれ? 母上……フィーも何処に行ったんだろう」
「セティ……?」
 レヴィンの声が、微かに震えていた。

 軽度の記憶障害。
 それが、村のシスターの見立てであった。生死の境を彷徨ったことで、記憶が混乱しているのだろう、と言うのである。落ち着けば自然と治るだろうとのことに、三人は等しく息を吐いた。が、
「いかんいかん。治らないという可能性もあるんだった」
 そう言った声が若干弾んで聞こえたのは、気の所為だろうか。
「いずれにせよ、こちらでお預かりいたします」
「そうだな……それが一番良いだろう」
 大人二人が難しい顔を寄せ合うのをそのままに、アミッドは席を外した。一人で部屋に取り残されたセティが気がかりだったのだ。
 扉を叩き、返事を待って開く。セティは半身を起こし、穏やかな目でアミッドを見た。おそらく、自分の置かれている状況など、理解していないのだろう。話している内容から察するに、十歳以前に戻っているらしい、とレヴィンは言っていた。
「セティ様、何かお持ちしましょうか」
 側に立ったアミッドを見上げ、不思議そうに首を傾げる。
「君は……」
「あ、私はヴィダルの息子で、アミッドと――」
 遮るように、冷たい手がアミッドの手を握った。
「……アーサー?」
「はい?」
「アーサー! 会いたかったよ」
 目をきらきらと輝かせて、セティはアミッドを見つめている。誰かと間違われているというのはすぐに解ったが……間違うほど、自分に似ている人なのだろうか。
「いえ、あの、セティ様、私は……」
「良かった、元気そうで。お別れも言えなかったから、ずっと気になって」
 困惑し、何と言ったらいいか解らないでいると、背後の扉が開く音がした。振り返ると、それはヴィダルであった。
「セティ様」
 新たな人物の登場に、セティは手を放した。アミッドは一歩、後ろに下がる。
「レヴィン様より貴方をお預かりいたしました、ヴィダルと申します。何の心配もいりません。どうぞお体を治すことだけをお考え下さい」
 きょとんとして、セティはヴィダルを見上げた。
「父上は? 一緒にいられないの?」
「はい」
「そう……」
 しょんぼりとうなだれて、セティは声までも暗く沈めた。
「わかった。大人しくしてればいいんだね」
 だが、次に上げられた顔は、アミッドの予想に反して、笑みを浮かべたものだった。
「ぼく、平気だよ。だってアーサーがいてくれるもの。ね、アーサー」
「ええ、まぁ、はい……」
 曖昧な返事を返し、ヴィダルを見る。ヴィダルは、訝しげにアミッドを見ていた。
「……何か、誰かと間違えられているようで」
 ふむ、とヴィダルは小さく息をつき、セティに向かって言った。
「取り敢えず、今日のところはお休みください。明日になったら、この辺りを散歩されるとよろしいでしょう」
 こくん、と頷く。
 その仕草があまりに幼く見えて、アミッドの胸を突いた。

「何故レヴィン様はセティ様のお側にいて下さらないのですか?」
 か細い蝋燭の光の中、アミッドは父にそう問うた。自分と同じ緑の瞳が、橙の光を弾いて不思議な色合いに染まる。
 夜。ホークとフェミナがそれぞれの部屋で休むのを待って、アミッドは昼間の疑問をヴィダルにぶつけた。ヴィダルは、まるで仮面でも被ったように無表情であった。
「レヴィン様は、変わられた」
「え?」
「かつて、レヴィン様は諸国を廻られ、反帝国の組織を作られた。イザークにはセリス皇子が、レンスターにはリーフ王子があらせられる。そして、このシレジアにはレヴィン様が。帝国の治世は最初こそ理想的だった。我々が付け入る隙など、まるでなかった。だが……何かが変わった」
 どこからか風が入り込んだのだろう。蝋燭の炎が揺れ、ヴィダルの影が揺れた。
「暗黒教団が政治に介入を始め、皇帝は何故かそれを粛正しようとしない。子供狩りが始まり、虐殺が起こった……三年前からだ」
 三年前。
 そんな程度だったろうか、とアミッドは思った。帝国の支配が苛烈さを増して、暗黒教団の活動が活発化した。それは……ああ、確かにそうだったかも知れない。だが、冬の記憶というものは、往々にして長く感じられるものなのだ。
「すぐにレヴィン様はバーハラへと潜入され、ユリアを連れて戻られた」
 そうか、ユリアが来てもう三年にもなるのか。
 ふと、アミッドは思い至った。それからではなかっただろうか。レヴィンが家族の元へ戻らなくなり、この村へ長く滞在するようになったのは。
「その時から、レヴィン様は変わられた。私にはそう思える」
「父さん……」
「以前はもっと……もっと明るく笑われる方だった。あれではまるで別人のようだ」
 ぎくっと、アミッドは身を強張らせた。別人……別人だとしたら、レヴィンはどうしてしまったのだろう。あの男は、一体誰なのだ?
 そんなアミッドを見て、ヴィダルは手を振った。
「いや、違う。あの方は間違いなくレヴィン様だ。セティの聖痕をその身に持つ、シレジアの王だ。それは間違いない。ただ……」
 ため息をついて、ヴィダルは軽く目を閉じた。
「今でも引っかかっている――三年前のあの日を、私は忘れられない。あれも、こんな雪の多い年で……覚えているか? アミッド」
 いつをさしているのかわからず、アミッドは首を振った。
「あの日、酷い吹雪の後、風が凪いだ。その時私は、まるで風が哭いているように思ったのだよ。声もなく、ただ悲嘆にくれて……レヴィン様の身に何かあったのかと、そう思った。あの時の背筋の凍るような思いを、私は忘れられないでいる」
「……その日のことなら、覚えています。僕も、わけがわからないままに泣きました」
 ただ、悲しくて切なくて、涙が溢れた。周囲の風の精霊が、一斉にアミッドの心に呼びかけているようで、伝えたがっているようで……解ってあげられないのがもどかしかった。
「あれからですよ、僕が真面目に風魔法の勉強を始めたのは」
 そうすれば伝えたいことの少しは、解ってあげられると思ったから。
「そう言えば、そうだったな」
 ふっと笑顔を浮かべ、ヴィダルは息子を見遣った。
「……あれほど子煩悩だったレヴィン様が、セティ様を心配されていない筈がない。きっと何か、事情があるのだろう」
 自分が生まれる前からレヴィンとつき合いがある父が言うのだ。おそらくは、その通りなのだろう。だが……親が子と一緒にいられないほどの事情とは、何なのだろう。
「もう遅い。休みなさい」
「はい」
 席を立ち扉へ向かいかけ、ふと、アミッドはヴィダルを顧みた。
「父さん」
「ん?」
「僕……僕は、ずっと父さんと一緒にいるから。いつか一緒に、母さんとリンダを捜しに行こうね」
 父は微笑んだ。それが肯定の笑みであると、アミッドは疑わなかった。

 アミッドをアーサーなる人物と誤認しなくなったものの、数日経ってもセティはそのままだった。時折、酷く寂しげに外を眺めている他は、専ら部屋の中で時間を過ごす(もっとも、春の始めのシレジアでは他に過ごし方など無いのだが)。余程アーサーという人に似ているのか、セティはすっかりアミッドに懐いてしまっていた。
 夢を見ているように、曖昧な色がセティの瞳を占めている。それが、アミッドには何だかとても悲しいことのように思えた。
 このままでいい筈がない。
 けれど、どうしたらいいのか、アミッドには見当がつかなかった。
「セティ様、そこにいてくださいね」
 薪を取りに外に出ると言ったところ、手伝う、と言い出した。仕方なく外へ連れてきたものの、まさか王子に薪運びをやらせるわけにもいかず、アミッドは一人、奥へと向かった。残されたセティは、ぽつんと戸口近くに立っていた。やがて、雪玉を作っては投げる、という動作を繰り返し始める。
 ぎし、という、湿気を帯びた雪を踏む音。顔を上げて、セティは笑顔を浮かべた。
「父上」
 一度笑ったものの、セティは父の表情に訝った。何故か、酷く悲しそうに見えた。
「父上……?」
 そっと腕が伸ばされる。
「またお前を抱ける日が来るとは……背が、伸びたな」
 セティはぼんやりと、父の肩越しに雲を眺めた。
「どうしてここへ来た? 俺を、追ってきたのか」
 暗い雲から、ひとひらの雪が落ちる。少しずつ、その数を増して。
「俺の道は、もうお前達とは違ってしまったんだ……フュリーにもフィーにもお前にも、もう会えない。一緒にはいられないんだ」
 腕が緩められる。セティは、ただ父の顔を見つめた。
「一緒にいれば、それだけ危険が増す。それだけは絶対に避けねばならん。わかるな」
「わからない、わからないよ、父上。一緒に帰ろう」
「セティ……」
「母上が病気で、フィーも寂しがっ……て」
 言いながら、セティは自分の顔を覆った。手の中で、目を何度も瞬かせる。
「ぼく、は……父上……を……?」
 ふぅっと、セティの体が倒れた。レヴィンはそれを受け止めようとせず、倒れるに任せた。踏み固められた雪に、新緑の緑が接吻する。
「薄情と思うだろう、セティ。だが、もはや後戻りはできない。俺にはもう、道がないんだ。『彼』と共に在る他は……」
 ……数分後、アミッドは戸口に倒れているセティを見つけ、薪を放り出して父を呼んだ。

 目を覚ましたセティは記憶を取り戻していた。無くしていた数日間の記憶と引き替えに。
「父に会った……夢を見ました」
 セティはヴィダルに向かって、ぽつりと言った。
「貴方には、お世話になったようですね」
「いいえ。息子のいい遊び相手になっていただいて、こちらこそ感謝しています」
 どう贔屓目に見ても、セティの方が遊んでもらっていたのだが……同席していたホークもフェミナもアミッドも、誰も突っ込まなかった。
「これから、どうされるのですか?」
「父を捜します。国境を越えて、グランベルから南へ回ろうかと……元々、そのつもりだったんです。遭難しかけましたが」
 苦い笑みが、セティの顔に浮かんだ。自分と一歳しか違わない王子は、自分よりずっと大人びて見える。……初めて会った時が、幼すぎた所為だろうか?
「でも、ここへ来られて良かった。あなた達がいてくれるのなら、とても心強い」
 すっと、セティは頭を下げた。
「シレジアをお願いします――必ず、戻ってきますから」
 これには、さすがのヴィダルも慌てる。
「お顔をあげて下さい、王子。お言葉だけでも勿体ないものを」
 ややあって顔を上げたセティは、三人に平等に笑いかけた。

 早速出発するというセティを、アミッドだけが村の出口まで見送った。セティは見送りを断ったのだが、アミッドだけは、どうしてもと言ってついてきたのである。
 父は、レヴィンの意思を尊重するつもりでいるらしい。レヴィンのことはセティには告げず、そのまま送り出してしまおうと……。王の意思だ、自分は逆らうべくもないが……それでは王子の意思はどうなってしまうのだろう。
「ここまででいいよ。ありがとう、君にも世話になったね」
 笑いかけられると、後ろめたさが増す。アミッドはつい、顔を伏せてしまった。
「……ここは中州のような所だね」
 え? とアミッドは顔を上げ、そしてぎくりとした。セティの見つめている先――そこは村の外れ。レヴィンの住む小屋のある方角だった。
「かつての……私が生まれる前のシレジアが、ここにだけは残っているみたいだ。平和を愛する、天馬と風使いの国――」
 アミッドに視線を戻し、セティはにこりとした。
「私は諦めない。必ず父を連れ帰って、かつてのシレジアを取り戻す。アミッドも諦めては駄目だよ。諦めない限り、いつか叶うものなのだから」
「セティ様……」
「君のお母上と妹さんのこと、私も気にかけておく。きっと見つかるよ」
 ――セティ様、レヴィン様はここに在わします!
 喉元まで出かかった言葉は、ついに口に出すことはできなかった。そうしてしまうのが正しいのか、過ちなのか、アミッドには判らない。
「いつかまた、会えるね? それまで元気で」
「セティ様も」
 アミッドは膝をついた。父が時折、レヴィンの前でする仕草だった。
「王子のご武運を、お祈りしております」
 セティは最初こそ驚いたようだったが、少し照れたような笑みを、アミッドに向けた。
「ありがとう」

 それから三年。
「そろそろ弓兵が出てくる。左翼部隊は後退、魔導士は援護に」
 そう命令を出して、アミッドは剣を手に取った。もう少しで敵は敗走を始めるだろう。弓兵さえ叩いてしまえば、敗走のみではなく、完全なる敗北に突き落とすことができる。
「アミッド、貴方が出るの?」
「ああ。父上の部隊と連動できれば、これで終わる」
 あと一歩だ。
 脳裏に、新緑の緑が浮かんだ。王子は今、解放軍にいるという噂を聞いている――レヴィン王と共に。帝国の力は未だに強大なものではあったが、人心は急速に離反しつつある。ここで十数年ぶりにシレジア城を奪還できれば、民にとっても王子にとっても、心強いものとなるに違いない。
「わたしも行くわ」
「駄目だ」
 即答してしまってから、アミッドは少し笑った。
「弓兵を殲滅させたら呼ぶから。それまでここを頼むよ、フェミナ」
「ちょっと……待ってよ、アミッド。わたしに軍の指揮なんて、できるわけ――」
「大丈夫だよ。僕でもできたんだから」
 それ以上は言わせず、アミッドは前線へと足を向けた。
「ルーン、ミード、アミッドと一緒に――アミッド! もう、待ちなさいってば!」
 ――もうすぐ、もうすぐ僕たちの手に、シレジアが戻ってくる。
 グラン歴七七七年、冬。
 シレジア城は、反帝国勢力によって制圧された。
 この後、父であるヴィダルの命を受けたアミッドは、フェミナと共に解放軍へ参加すべく、グランベルへ向かう。


update:1999.08.06/written by Onino Misumi

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