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裁きの日
The idea of crime and punishment


一 黒に染まる

「アルヴィス様が、公子にお会いしたいと」
 夜営地を訪れたアイーダがそう言った。僕は、何の疑問も抱かずにその提案に乗った。後になってみれば、どうしてついて行ってしまったのだろうと思う。だが……そう、何度くり返しても、僕は同じ道を選ぶような気がするのだ。

 アイーダが使者に立って、シグルドの誤解が解けたことを伝えてきた。手紙の主は誰あろう、アルヴィス兄さんだった。
 アイーダはヴェルトマー城への駐留を勧めたのだけれど、シグルドはそれを断った。「そこまで面倒はかけられない」というのが彼の主張で……まぁ、らしいなと僕は思った。
 そんな彼に呼ばれ、アイーダが僕を兄に会わせたがっていると伝えられた。
「久しぶりに会えるんだ。行ってくるといい」
 シグルドが笑って言う。僕は漠然とした不安から、彼から離れたくなかった。いや、彼だけじゃない。ティルテュからも、レックスからも……この軍から離れたくなかった。
 でも、こんなに勧められているのに断るのも悪いと思った。それに、兄がどうして今まで沈黙を保っていたのかも、訊いておきたかった。
 本当に、後々思い返してみても、僕は不安こそ感じても疑いは抱いていなかった。兄が何を考えているのか全く解っていなかったが、それでも僕は、この時までは確かに、兄を信じていたのだ。
 僕はティルテュに軍から離れるように伝え(彼女の父上が、逆に反逆者として処罰されるらしいと聞いたからだ)、シレジアで落ち合うことを約束した。元々、この戦いが終わったらシレジアに行こうと約束していた僕達だ。ティルテュは何か言いたげにしていたが、結局は何も言わなかった。とにかく体を大事にするように言って、僕はアイーダと共にバーハラへと向かった。
 ――これが、僕とシグルド軍のみんなとの、今生の別れだった。

 バーハラへは、ワープで行った。一応、僕の馬も一緒に送ってもらう。ワープを抜けたその時、かしゃんと音を立てて、ペンダントが落ちた。
「……きれいなペンダントですね」
 アイーダが拾い上げてくれる。鎖は古い物ではなかった筈だけれど、と不思議に思いつつ受け取った。
「ティルテュからの贈り物なんだ」
「ティルテュ公女から?」
 怪訝そうに言われ、僕はそれを手の中で傾けた。
「こうするとファラの紋章で、こうすればトードの紋章。細工物だよ、護符にもなる」
 不思議そうにペンダントを見るアイーダに、僕は声を潜めて言った。
「僕達、シレジアで結婚したんだ。次の冬には子供が生まれる」
 途端にアイーダが苦い表情を浮かべた。それもそうだろう。今となっては、フリージは反逆者の一族だ。ヴェルトマーとしていい縁組みとは言い難いかも知れない。
「公子……」
「わかってる。言わなくていいよ」
 僕はペンダントをしまうと、アイーダに向かって笑いかけた。
「でも、僕は後悔してはいない。ティルテュを愛しているから……兄さんにも、解ってもらう」
 アイーダは何も言わなかった。じっと、僕を見つめるばかりだった。
「なに?」
「いえ……大きくなられた、と思いまして」
 この言葉に、苦笑以外の何が出来るだろう。確かに以前の僕なら、兄に対して説得なんて出来はしなかっただろう。考えさえしなかったかも知れない。正直に言えば、今でも兄は恐ろしい。いつでも僕には優しかった兄なのに、僕は兄に畏怖さえ感じていた。早くに父を亡くした僕にとって、父にも等しい人であるのに。
「アルヴィス様は、こちらでお待ちになっています」
 アイーダは一礼して立ち去った。僕は深呼吸をひとつして扉を叩いた。返答を待って、押し開く。
「アゼル」
 びりっと、何かが走るような感じがした。僕と同じ色の瞳、同じ色の髪。なのに存在感がまるで違う。僕は久しぶりに、息が詰まる感じを覚えていた。
「久しぶりだな。……少し痩せたか? もっとよく顔を見せてくれ」
 僕が動くより速く、兄さんが腕を伸ばしてきた。抱き寄せられ、僕はそっと、兄の肩に頭を寄せた。切ない懐かしさが胸にわき上がり……だが、僕は心の何処かが冷めている事に――この腕から逃れたいと思っている自分に気がついた。息が、できない。
「兄さんも、変わりがなくて」
 腕が緩められて、僕は内心でほっとした。兄さんは一度僕に笑いかけ、卓に歩み寄って手ずからお茶を淹れた。
「かけるといい。長旅で疲れただろう」
 浅い呼吸をくり返しながら、僕は兄の向かい側に腰掛けた。甘い匂いのするお茶だった。
「私は変わった――いろいろとな。結婚もした」
「風の噂で聞きました。クルト王子の姫だとか。おめでとうございます」
「ありがとう。後でお前にも紹介しよう」
 僕は強烈な渇きを覚えていた。そろりと手を伸ばし、お茶を口へと運ぶ。ちょうどいい熱さが喉を滑った。
「兄さん」
 一呼吸置いてから、僕は思いきって口を開いた。ん? と兄が首を傾げる。
「今まで、何故シグルド公子を弁護して下さらなかったのですか? 反王子勢力が強かったというのは――嘘なのでしょう?」
 ――そう。
 僕はアイーダの口上の半ばを、嘘だと思っていた。いや、『思う』などではなく、『信じている』と言っていい。兄が、この兄が、(こう言っては悪いが)レプトール卿やランゴバルト卿に押されるなど、有り得ない事だと思った。事実、この二人はシグルドの軍によって殺され、兄だけは無事にバーハラの都に在り、クルト王子の姫と結ばれている。言うなれば、兄は次代の王となるのだ。
 これは僕の偏見だろうか。兄は、どんな人の下風にも立てない人だと、僕は思っている。ましてそれが、同位の公爵であれば尚のこと。次代の王になるならば、尚更。
 では何故、兄は今まで沈黙していたのか。答えは簡単だ。それが利益になるから。では、黙っていて益になることとは何だろう。レプトール・ランゴバルト両公爵の粛正? それが一番もっともらしく見える。だが……僕の知っている兄ならば、たかがそれだけのことに、こんな大がかりなことをしないような気がする。僕は兄の真意が知りたかった。
「アゼル」
 やんわりと僕を呼ぶ声。それが何故かこだましているように聞こえ、僕は顔を上げた。顔を上げて、兄を見ようとした。しかし、僕の視界にはぼんやりとした赤が見えるだけで、兄の表情は見えなかった。
「……?」
 目の前が速やかに暗くなる。酒を飲んだ時のような軽い酩酊感さえ覚え、頭を振った。
「兄、さ……」
 僕は兄を呼ぼうとした。実際、呼んだのかも知れない。だが僕は、それを感じることができなかった。

 見知らぬ天井……いや、天蓋。
 僕は体を起こそうと右手をつき、重々しい金属音を聞いた。手枷には結構な長さの鎖が取り付けられており、寝台に繋がれていた。拘束されているのは右手だけで、左手にも足にも、枷はなかった。
 取り敢えず身を起こし、寝間着に着替えさせられているのに気づいた。慌てて辺りを見回したが、脇机にも部屋の中央の卓にも、僕の魔導書はなかった。一緒にしまっていた、ペンダントも。
 僕は、自分の身に何が起こったのか、全く理解できずにいた。兄と一緒にお茶を飲んでいた事までは思い出せたが、その後のことは真っ白になってしまったかのように思い出せない。
 整えられた、それなりの広さの部屋。天蓋付きの寝台など、まず僕の記憶にはないものだ。最後の記憶に頼るならば、バーハラ城の何処か、ということになるだろうか。窓から射し込む光は濃い赤みを帯びたもの。朝焼けなのか夕焼けなのか、それすらも僕には判別できなかった。
 ――あれから、どれだけの時間が経っているんだ?
 言い様のない焦りが、僕の胸に生まれていた。心の表面がざわつく。何かが僕を駆り立てる。……一体、何が?
 音も立てずに扉が開き、僕ははっとしてそちらに目を向けた。兄だった。何か、痛々しいものでも見るような目を、僕に向けている。
「目が覚めたのか」
 それは問いかけではなく、事実を述べただけだった。僕は兄に向かって身を乗り出した。鎖が、冷たい音を立てる。
「これはどういうことですか!?」
 兄は寝台の側まで来て、僕を見下ろした。冷たい紅玉色の瞳に怯みはしたものの、僕は負けじと兄を見つめ返した。
「……シグルド公子の所へ戻ります。これを外してください」
「戻る必要はない」
 一度、軽く目を閉ざしてから、兄は僕を見据え直した。
「シグルドには感謝せねばならんな。お前をここまで成長させてくれた。礼ぐらいは言っておくべきだったかも知れんが」
 その声に混じる不吉な風に、僕は兄を見た。
「シグルドは死んだ。あの軍はもう、この世の何処にも存在しない」
 淡々と動く、兄の唇を見た。
「事実には何の変わりもないと言うことだ。シグルドは反逆者として処刑した。それに連なる者も、すべて同罪として」
 ――すべ、て?
「兄さん、何を言っているんですか? 公子が無実であること、兄さんが一番知っているんでしょう?」
 僕の声は震えていた。どうして震えているのか、僕には判らなかった。
「アゼル」
 兄の手が伸び、僕の顎を捕らえた。凍りそうに冷たい手だった。
「あの軍のことは忘れて、これからは私の側にいろ」
 僕は言葉をなくし、ただ兄を見つめた。
「私はグランベルの王に……いや、この大陸を統一し皇帝となる。血による差別のない世界を見せてやる」
 ――何を、言っているのだろう。
「一緒に来い。そうすれば――」
「兄さん」
 その声は、僕が思ったよりもずっとか細いものだったが、兄の言葉を遮るには充分だった。
「さっき……すべて同罪……処刑って、みんな……全員を処刑……?」
 兄は肯定も否定もしなかった。その姿勢のまま、ただ僕を見据えているばかり。
「……レックス、も」
 ほんの僅か、顎を掴んでいる指に力がこもり――それが答えだった。僕はその手を振り払い、兄を睨み付けた。
「殺したんですね……」
 声は震えたが、それは先刻までとは違う意味でだった。冷たい目も、不思議と恐ろしくなかった。
「僕の友達を、仲間を、貴方は殺したんですね!?」
 わき上がってくるものがあった。胸の奥から、爪先から、僕を染め変えていく『何か』。
「そうだ」
 ――ああ。
「兄、さん」
 僕は変わっていく。『僕』ではない、何かに。胸が苦しくて熱くて、灼かれるようだ。
「兄さん。貴方という人は……」
 魔導書を手にしていないにも関わらず、魔法の発動に似た感触を、僕は感じていた。
「許さない……許せない!」
 ――殺してやる!!
 炎の刃が兄を襲った。兄は避けなかった。避けようとさえもしなかった。
「アルヴィス様!」
 それが誰の声であるのか、僕はわかっていた。
「邪魔をするな、アイーダ!」
 その声は、僕と兄、両方から発せられた。僕の炎は兄にぶつかり、その身を損なわせる。
「魔導書なくとも、か……さすが我が血族」
 傷の割に出血が少ない。心の冷静な部分がそう感じていた。傷口が炭化した所為だ。
「アゼル、私と共に来い」
「黙れ! 僕は貴方を許さない。絶対に許せない!!」
 ごうっと音を立てて、炎が燃え上がる。部屋中が燃え上がるような錯覚――あれは、本当に錯覚だったのだろうか?
「アゼル……っ!? 止めろ!」
「触るなぁッ!!」
 燃える、燃えていく。何もかもが燃えていく。僕も、僕の体も、心も。
「アゼル!!」
 ……最後に感じたのは、冷たい手。

 我に返った時、僕は鉄格子のはまった牢の中にいた。およそ燃えるような物がない所。手枷足枷こそなかったが、囚われの身であるというのがありありと伺えた。
 一度起きあがったものの、また横になる。体が熱を帯びているのか、冷たい石床が心地よかった。
 ――あれは、何だったのだろう。
 僕は怒りに我を忘れた。それが魔力の暴走を引き起こしたのだろうか。あるいは、僕の怒りに周囲の炎の精霊が感応してしまったのかも知れない。いずれにせよ、僕は自分までも焼きそうになり、そして……おそらくは兄に助けられたのだ。
 爪が床に立ち、ぎり、と音を生じた。
 何を考えているのかは知らないが、兄は間違っている。屍の上に立つ理想郷など……僕には理解できない。ついて行こうとも思えないし、行きたくもなかった。何より、その為に仲間を殺されたということが、僕にはどうしても許せない事だった。
 軋む音がした。僕はてっきり兄が来たものだと思い、顔を上げなかった。だが、近づいてくるのは軽い足音。訝り、顔を上げ――僕は思わず声を上げた。
「ディアドラっ!?」
 そこにいたのは、間違いなくディアドラだった。シグルドが、必死になって探し求めた最愛の人……。
 かしん、と意外に軽い音を立てて、鉄格子の鍵が外れた。それをくぐって、ディアドラは僕の前に膝をついた。彼女の手には鍵の束と、抱えるくらいの袋があった。
「ディアドラ、どうして君がここに?」
「アゼル様ですね」
 ――えっ?
 今の……何か変な言い回しだった。まるで、僕のことなど知らないような、初めて会ったような。
「長くお話ししている時間はありません、どうぞお逃げください。あなたの荷物はここに。馬も、外へ繋いでおきました。どうか早く……」
「ちょっと待って。ディアドラ、どういうことなんだ? どうして君がここに?」
 ディアドラは首を振った。思い詰めたような表情でさえ、透き通るように美しかった。
「わたしにもわからないのです。ただ……あなたはアルヴィス様の側にいてはいけないような気がするのです。もっと他に、いるべき場所があるように思えて、わたし……」
 一度うつむかせた顔を上げて、ディアドラは僕を見つめた。
「あなたはわたしを御存知なのですね。アルヴィス様からお聞きになったのですか?」
「何を――」
 言いかけ、僕は愕然とした。バラバラだった欠片が、急に在るべき場所へと動き出す。
「――君は、クルト王子の姫なんだね?」
「そう……らしいです。わたしもよくわかりません」
「えっ?」
「わたしには記憶がないのです。アルヴィス様に助けられるよりも前の記憶が」
 ――最後の欠片が合う。一枚の絵が完成される。そう……そうか、その為にシグルドが邪魔だったのか!
 僕はディアドラから袋を受け取った。中にあったのは服と魔導書、それにペンダントだった。手早く羽織って、僕はディアドラに手を差し伸べた。
「君も一緒に行こう。ここにいては駄目だ」
 だが、ディアドラはそれを拒絶した。静かに首を振り、僕を見た。
「わたしは行けません。アルヴィス様の側にいなくては」
「でも、ディアドラ、君は――」
「本当は」
 薄い紫水晶の瞳が、見る間に潤んだ。白磁の頬の上を涙が滑る。
「あなたにも行って欲しくない。アルヴィス様の側には、心を許せる人が必要なのです。でも……あなたには行くべき所があるから。わたしには何もありません。こんなわたしを、アルヴィス様は愛してくださったのです。お側を離れるわけにはいきません」
 僕は。
 よっぽど教えてあげたかった。君を愛した人がいること、その人との子供がいること。でも、僕は言えなかった。その愛した人が既に死んでしまっていることや、殺したのが誰あろう『アルヴィス様』であることは、ディアドラの心に耐えられるものではないように思えた。
 何より。
 兄をこんなに愛してくれているというのが、少しだけ嬉しかった。
「……わかった」
 牢を出、ディアドラの案内で馬が繋がれている所へ行った。馬の足ならば、シレジアへもそう長い道程ではないだろう。
「どうぞ、お気をつけて」
 僕は馬上からディアドラを見た。その面影が、幼いセリスと重なって見えた。
「今はまだ、言えないけれど……君に話さなければならないことが、たくさんあるんだ。いつか、必ず伝えに来る。それまでは」
 僕は深く頭を下げた。そうするより他、ないように思えた。
「――兄を、よろしく」
「はい。アゼル様もお元気で」
 淡い月光の中を、僕は駆け出した。その夜が明けるまで、振り返らずに。

 国境近くの街まで来て、僕は髪を染めることにした。シレジアでは赤い髪は目立ちすぎる。何より、この色はファラの直系に近しい者にしかない。いくらディアドラの手引きとは言え、兄の元から逃げたのには違いない。シグルド軍という、反逆者の一員でもある。追っ手がかかるのは当然であり、その為には、特徴を一つでも減らしておく必要があった。
 黒い染料を選んだのは、それが一番染まりやすいと聞いたからだ。宿で、鏡に向かって少しずつ髪を染めて、不意にぞっとして手を止めた。
 あの時の……兄に向かって炎を向けたあの時の感覚が、まざまざと蘇ってきたのだ。自分自身が、何か別なモノに変わってしまうように感じた、あの時が。
 ――ああ、そうか。
 あの時、僕を染めた色は……『黒』だったんだ。憎しみと悲しみと絶望の、黒。
 僕は一度止めた手を動かし始めた。少しずつ、炎の赤が失われていく。闇よりも深き黒に染まる。
 兄さん。
 僕はヴェルトマーを捨てるんじゃない。貴方と決別することにしただけ。これから鏡を見る度に思い出すよ。あの時の、どうしようもない怒りを、悲しみを、憎しみを、絶望を。そして……そこから生まれたものを、僕は見つめて生きていく。
 僕は生きる為に、黒に染まる。貴方とではなく、愛する人と、友と、仲間と生きる為に。生きてきた時間を否定しない為に。
 ――貴方にそれを語れるようになるまで……それまでお別れを言います、兄さん。
 僕は鏡に映る自分を見た。捨て切れぬ紅の瞳だけが、じっと僕を見据えていた。

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update:1999.08.21/written by Onino Misumi

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