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The idea of crime and punishment


三 断罪は高く詠い

 おいで、と白い手が招く。
「アルヴィス、この子はあなたの弟ですよ」
 そう紹介されたのは、後にも先にもたった一人だけ。
 母の隣で、侍女の一人が泣いていた。その女が産んだ子であることを、私は知っていた。
「ほら、抱いてご覧なさい」
 生まれてから数日は経っていただろうか。差し出された赤ん坊は、白く柔らかな頬をしており、髪も目も、私と同じ宝玉の紅を宿していた。澄み切った紅がじっと私を見、ほわっと笑った……ような気がした。
「名前は何て?」
「まだ決めていないのですって。アルヴィス、あなたが付けて差し上げなさいな」
「とんでもございません、シギュン様」
 侍女が声を上げる。私は伸ばされる彼女の手を拒み、赤ん坊を抱き直した。
「ぼくが決める。ぼくの弟なんだから」
 染み一つない滑らかな頬、桜色の小さな爪、握りしめられた拳……私はそれらを見つめ、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「アゼル……アゼルがいいよ。人に英知をもたらした天の使い。天使みたいに可愛いもの、きっと幸せになる」
「そう、いい名前ね。そう思わない? エゲリア」
「……もったいない事です。ありがとうございます、アルヴィス様」
 侍女が――エゲリアが、顔を覆って泣き始める。その肩を労るように撫でながら、母がひっそりと微笑った。
「可愛がってあげましょうね」
 あなたがそう言うのならば。
 生涯かけて守ろう。この私の、たった一人の弟を。

 父が自害し母が姿を消したのは、それから間もなくの事。

 父は、多くの女を侍らせ、庶子を多くもうけていた。母を嘆かせる存在として、私は父を憎んでさえいた。その死に涙が出なかったのは、私が薄情であるからだろうか。
 そしてまた、母を蔑み辛く当たる側室達を、私は当然ながら良く思ってはいなかった。いや、父以上に憎んでいたかも知れない。異母弟妹である者達も然り。
 父がいなくなれば、かの者達も寄る辺がなくなり退けることもできよう、と私は漠然と思っていた。しかし実際はそうはいかない。貪欲な、人の皮を被った化け物ども……このヴェルトマーを牛耳ろうというのが、その化粧臭い肌から見え透いていた。
「アルヴィス様はまだ七つ。母親が必要です」
 そうかも知れない。だが、私に必要なのは『母』であり、お前達では断じてない!
 後見に立とうというのは、まだ甘い方だった。私には当主が務まらぬ、とあからさまに爵位を狙う者もある。私はもはや、誰を頼ればよいのかすら判らなかった。
「……エゲリア」
 小さな子守歌が止む。優しく深く、そして憐れみのこもった眼が、私を見た。少し前の私ならば、このような視線に侮辱を感じたことだろう。今は違う。この城の誰も、私を憐れんでなどくれない。
「まぁ、アルヴィス様。どうかなさいましたか?」
「うん……アゼル、眠ってる?」
「いいえ。なかなか眠らずに困っているところです」
 私の意を汲んだのか、エゲリアは腕を差し伸べた。私はアゼルを抱き取り危なっかしく抱き直した。エゲリアの隣に座ると、エゲリアはそっとアゼルの髪を撫でた。
「アゼル、アルヴィス様ですよ」
 わかってかわからずか、アゼルは声を立てて笑った。その頬を透明な雫が流れる。……私は、知らず知らずのうちに泣いていたのだ。
「アルヴィス様……」
 ためらいがちな手が私の肩に触れた時、私は声を上げ、エゲリアに縋りついていた。呼応したように、アゼルも泣き始める。このような赤ん坊にわかる筈もないのに、まるでアゼルも悲しんでくれているように感じられ、私はしばらく、涙が止まらなかった。
 エゲリアだけが、私の泣ける場所だった。何の裏も考える必要なく接することのできる、唯一の人だった。
「マイリージァ将軍を頼られませ」
 そのエゲリアが、ある時、私にこう言った。
「マイリージァ?」
「はい。ヴィクトル様に仕えていらっしゃった将軍様です。シギュン様にも何かとお心を砕いて下さった方。きっとアルヴィス様のお力になって下さいます」
 私は即座にその男を調べた。父の側近として出仕をしていたが、諫言をしたために不興を買い、近年は城から退いている、との事だった。細密画に描かれた顔は、朧気だが見覚えがある。実直な、軍人気質が服を着て歩いているような、そんな風貌の男だった。
 私はすぐ、彼を呼び寄せた。エゲリアが薦めるほどの男がどんな人間なのか知りたかった。味方にしようという気持ちは、それに比べればずっと弱いものだった。
 執務室に通されたマイリージァは、細密画そのままの男だった。父より少し年長だろうか。曲がった事が嫌いだというのが顔に現れており、私を見る眼は、媚びるものも嘲るものも、一片すらないものだった。裏を返せば、無関心な眼とも言えるだろう。
「お前がマイリージァか。何故、礼を取らぬ?」
 私の言葉に、彼は憮然として答えた。
「私はヴェルトマー公に忠誠を誓う者。それ以外に垂れる頭は持ち合わせておりませぬ」
 一種、不遜とも取れる行為。私はそれが大いに気に入った。エゲリアの目の確かさを内心で賞賛しながら、私は椅子を立ち、彼の前に進んだ。自分を見下ろす赤の視線に、手を差し伸べる。
「私はヴェルトマーの当主となる。力を貸してもらえるか」
「……それは命令ですか」
「いや、お願いだ」
 彼は私を見つめ、軽く息を吐いた。すい、と身を屈め、膝をつく。
「空が頭上に落ちぬ限り、大地が裂けぬ限り、海が割れぬ限り、このマイリージァ、公子の元に爵位をもたらし、我が一族の忠誠を捧げましょう」
 彼はこの誓いを、生涯守り通した。
 私はエゲリアに次ぐ味方を、他ならぬエゲリアの言葉から手に入れたのだった。

 マイリージァは思っていた以上の人物だった。有能な軍人であり、能吏だった。根回しも巧みであり、またそれを逐一私に報告した。七歳の子供(そう、私はまだ子供であったのだ)にも解るように言葉を砕いて話してくれる様に、私は信頼を傾けるようになっていった。最初こそ、彼が私心を出し権力を振るうようになったら、などと考えた私だったが、一年と経たないうちに考えは覆ってしまっていたのである。マイリージァは分を知っていたし、何より、私の意を尊重した。「ヴィクトル様は」を連発する者の中にあって、彼の存在がいかに特異であったか。私は彼の存在と、彼を薦めたエゲリアの存在を誇った。
 だが、当然ながら、私の決断はことごとく掣肘された。他ならぬヴェルトマーの血族達によって。私は歯痒くてならなかった。私が然るべき年齢であれば、このようにはならない。このようには、絶対にしない!
 マイリージァがクルト王子の名を出し始めたのは、私が――お飾り的に――ヴェルトマーの当主となって、一年が経とうという頃だった。何故ここでグランベルの王子の名が出てくるのか。訝る私に、マイリージァはこう言った。
「権力を願い、また権力を持つ者の弱点を御存知でしょうか」
「……いや」
「より強い権力です。権力は道具。使いようで良薬にも毒にもなります」
 潮が引くように、不満の声は消えていった。私は「勝手に名前を使ったりしていいのだろうか」と思っていたのだが、後日、クルト王子から正式に私の爵位を擁護する旨の書簡が届き、驚いた。マイリージァは、そこまで手を回していて、その上で王子の名を利用したのだろうか。いずれにしても、動きやすくなったのは確かだった。
 そんなある日。
 私はいつものように執務室で書き物をしていた。政務のほとんどはマイリージァ経由であったので、私は署名をするか否かの決断だけで良かった。この時は、歴史の勉強をしていたように思う。
 そこへ乱れた足音が聞こえた。私は眉をひそめ、廊下へと顔を出した。ちょうどそれと同時に、エゲリアが飛び込んできた。私は驚き、さらに驚愕した。エゲリアの服が、血に汚れていたのだ。見れば、明らかに剣によるものと思われる傷が各所にある。
「エゲリア!?」
「ああ、アルヴィス様……」
 エゲリアが泣き崩れる。何があったのか解らなかったが、嫌な予感はした。
「何があった?」
「アゼルが、アゼルが……」
 私は即座に走り出していた。通りがかった使用人にエゲリアを託し、彼女の部屋へ急ぐ。
 殺風景なほどに整えられていた筈のそこは、嵐が通り過ぎたかのように乱れていた。辺りに点々と血痕があり、そして……ひっくり返された赤子用の寝台に、あるべき姿がない。
 私は、足下が揺らいだような錯覚に襲われた。
 ――殺されはしない。殺すのが目的ならば、ここでやる。
 そう思っても、震えは止まらなかった。恐怖ではない。怒りで、だ。
 私は視察に向かわせていたマイリージァを即刻呼び戻し、捜査をさせた。私もマイリージァも、犯人が誰であるか確定はできずとも、どういった人間であるかは正確に把握していた。ヴェルトマー城の警備は万全であった――外部からの侵入に対しては。
 案の定、犯人もアゼルもすぐに見つかった。金で雇われた実行犯本人になど興味は無い。私は何としても主犯を吐かせるように命じ、マイリージァはこれに従った。結果として実行犯の男が死んでしまったのは、仕方のないことだった。
 父の側室達の犯行――私が唯一、気にかけている異母弟アゼルを、疎ましく思っていたのだろう。その母であるエゲリアにのみ、私が心を砕くということも。
 それまで、私は自分が耐えれば良いと思っていた。よもやアゼルやエゲリアに害意を向けるなどとは、考えてもみなかったのだ。
「……放逐する。もう、決めた」
 私の言葉に、マイリージァは恭しく頭を垂れた。『争乱罪』という罪状を貼り、私は父の側室とその子供を臣下へと下した。完全に放逐されなかっただけ有り難く思って欲しいくらいだが、彼らは不満であるらしい。だが私はその声を無視し、耳を貸さなかった。
 それでこの一件を片づけようとした私は、マイリージァから思わぬ進言を受けた。彼は、アゼルをこの城から出すよう求めてきたのである。
「何故だ? アゼルは今や、たった一人の公子。ここで育てるのが筋だろう」
「違います。だからこそ、お手元から離すべきです」
 マイリージァの言い分はこうだった。一人だけ残せば、要らぬ猜疑を招きかねない。何処か、信用できる所で密かに育てるべきだ、と。
「此度のような事が、無いとも限りません」
 知らず、私は唇を噛んでいた。私に笑いかけるようになったアゼルを、この手から離すのは辛い。だが、私の側にあることがアゼルの危険に繋がるのであれば……。
「――わかった。バーハラにある離宮がいいだろう。あそこは、王都に出仕する時にしか使われない」
 私はエゲリアの事を考えた。子供には母親が必要だ。アゼルと共に、バーハラへ送ろう。そうするべきだ――そう思いつつも、心に暗雲が立ちこめるのを止める手だてはなかった。
 だが、エゲリアはバーハラへは行かなかった。自分で信用できる乳母を選び、私の元へと残ったのだ。
 正直に言えば、私は嬉しかった。彼女が私を選んだのは、情によるものではない、義務感からだ。それでも充分に嬉しかった。エゲリアはもはや、私には欠くことのできぬ人となっていたのだ。しかし同時に、アゼルに対する後ろめたさが首をもたげた。結果として、私はアゼルから母を奪ってしまったのだ。
 一日も早く、ヴェルトマーを平らげればよい。そうしたらアゼルを呼び戻し、一緒に暮らせばいい。そうすれば、全部が丸く収まるのだ。私はそう思った。
 誰よりも強くなりたかった。守りたいものを守れるだけの強さを、私は欲した。

 マイリージァが、出仕の度に娘を連れてくるようになった。私が十歳を迎えた辺りの事だ。初めて会った時はおどおどしているばかりだった彼女だが、次第に私にうち解けたようだった。マイリージァからの話を、私と共に聴く。マイリージァが自分の跡継ぎにと望んでいるのが、ありありと窺えた。それは即ち、私の側近になると言うことに他ならない。
 マイリージァの娘ならば、と私はアゼルの話をした。自分が動けない分、彼女に代行してもらおうと、私は密かに企んでいたのだ。マイリージァに任せると埒が明かない。未だ私の地位は盤石ならず、そんな状態でアゼルと繋がりを持つことを、彼は断固として反対していた。そうしたい気持ちは、私にも解る。私が手を差し出す度に、アゼルは危うい立場になる。そしてそれは、そのまま私へと跳ね返るのだ。気を揉むのは当然だろう。
 だが、私はアゼルを――血を分けた弟を、心から愛していた。叶うならば、今すぐ呼び戻したいほどに。私の中で、アゼルはまだ一歳の幼児だった。三歳にもなれば、話もしよう、走りもしよう。どんな風に成長しているものか、気にかかって仕方がなかった。
 だから、アイーダに頼んだ。私の代わりに、アゼルを見てくれるように、と。アイーダは私の意をよく酌んでくれた。折に触れバーハラに行ってくれるようになり、アゼルの手習いを見せてくれ、その時々のアゼルを話してくれた。私はアゼルが側にいるような錯覚を覚えたが、その次の瞬間には、近くて遠い場所にいることを思いだして気を滅入らせた。
 背は伸びただろう。腕に収まるほどではなくなったことだろう。
 私は切ない想いにかられ、すぐにエゲリアに思い当たった。彼女にとっては身を痛めて産んだ子だ。愛しくない筈がない。私以上に切ない想いをしている筈だ。
 そこまで思い、私はぎくりとして思考の迷路で立ち止まった。
 母は何故、私を置いて姿を消したのだろう。そもそも、どんな理由があったのだろう。
 母は、私を愛してはいなかったのだろうか……。
 考えるまいとした。私を捨てた母など、忘れてしまえと思った。私にはアゼルがいる、エゲリアがいる。マイリージァやアイーダもいる。私をこの世に捨て置いた父。この家に捨て置いた母。――私に親など必要ない。一度、この世に生を受けてしまえば。

 私は、敢えて耳を塞いだ自分の声を、はっきりと聞いていた。
 愛されたいから。
 愛して欲しいから、誰かを愛そうとしている。所詮、見返りを求めているに過ぎない。
 ――違う! 私は本当に、本当に――

 エゲリアが病に倒れたその時でさえ、私はアゼルを手元へ呼べなかった。エゲリアの死と前後して、私の身辺に刺客の存在が認められたからだ。
 私には象徴的な出来事のように思えた。
 エゲリアが、まるで私の不運を背負い、代わりに死んでしまったように思えたのだ。
「見ていろ、エゲリア。私は必ず、必ずヴェルトマーを掌握してみせる」
 そしてアゼルを呼び戻す。ずっと一緒にいて、守ってやる。
 雨の葬式で、私はそう誓った。
 もはや、そうすることでしかエゲリアに報いてやれないのが、悔しかった。
 その二年後、アゼルは十歳の誕生日を迎えた。祝ってやれるのは私しかいない。しかし、ヴェルトマーの完全掌握まであと一歩と言うところにあった私は、迂闊に動けなかった。
 それでも、何を贈ればいいかと考えるのは楽しかった。逆に言えば、私が心から祝える『誰か』はアゼルしかいなかったのだ。悩んだ挙げ句、私は父と同じものを選んだ。魔導書を与えたのだ。
 特別に作らせたファイアーの書に、私は丁寧に字を綴った。
「我が弟アゼルに アルヴィス」
 きっと迎えに行く。すぐに会える。それまではこれがお前を守ってくれるように――。
 私は願いを込め、それをアイーダに託した。アゼルが喜んだとの報告を聞いた時、情けなくも相好が崩れるのを自覚した。何でもやれそうに感じる自分が、酷く薄い人間のように思えたのだが、少しも不快ではなかった。
 もうすぐ、もうすぐだ。あと少しで、すべてが私のものになる。そうしたら……。
 しかし皮肉なことに。
 私がヴェルトマーを掌握する寸前で、マイリージァは凶刃に倒れた。私をかばっての事だった。私はこれをきっかけに反対派を粛清し、ヴェルトマーを完全に統一したのだった。

 私は十八になっていた。父の死から十一年。それは、そのままアゼルの年齢となる。
 馬車の中、私は苛立たしさを装って緊張を隠そうとしていた。十年ぶりにアゼルに会えるというのが、思っていたよりも強い緊張となって私をさいなむ。アイーダが終始無言であるというのが、少々癪に障った。察しているのかいないのか。いずれにしろ、私は気に入らなかった。仕方あるまい、情緒が不安定であるのだから。
 離宮に着くと、アイーダが慣れた風に使用人に尋ねた。アゼルは、中庭で魔法の練習をしているらしい。私は一人で行く旨を伝え、中庭へと足を向けた。
「全然ダメじゃない。火花さえ出ないわよ」
 甲高い声がした。少女の声だ、アゼルのものではない。客がいたとは聞かなかったが。
「本当にヴェルトマーの血を引いてるの?」
「本当だよっ!」
 私は一時、足を止めた。子供らしく抗弁する声は、少年にしては少し高いものだった。
「じゃあ、やって見せてよ」
 私は彼らに歩み寄った。紅い髪の少年がこちらに背を向け、必死に魔導書を繰っている。こちらに顔を向けていた少女は、すぐに私に気がついた。銀紫の髪――フリージ家の者か。
「あ」
「え?」
 振り返ろうとした少年の肩を、私は両手で制した。ぴくん、と肩に緊張が走る。私は心持ち身を屈めた。
「肩の力を抜いて」
 訝る気配はすぐに消えた。次第に肩の力が抜ける。
「魔法はイメージに大きく左右される。強く想像するんだ。お前にとっての炎は?」
「ぼくにとっての炎……」
 呟いて、彼は魔導書を抱き直した。
「あったかい暖炉や、明るい燭台の火、それから――」
「それから?」
 促すように尋ねると、小さな声が答えた。
「兄様。ぼくのことずっと見守ってくれてるって、アイーダが教えてくれた」
 私は不覚にも、目頭が熱くなっていくのを感じた。
「……それを強く心に思い描きながら、もう一度、呪文を唱えてみなさい」
「『炎神ファラよ、我に力を。灼熱の炎をもて、我が前に立ちふさがりし愚かなる者を討ち滅ぼせ』、ファイアーっ!」
 ごぅっと炎が生じる。少女が悲鳴を上げたが、炎は庭木の一枝も傷つけることなく宙で散じた。威力がまだ弱いのだ。だがそれは、れっきとしたファイアーの魔法であった。
 満面の笑みが私を振り返った。先刻の炎に劣らぬ、澄み切った紅の瞳。それが私を認め、表情を改めた。
「兄様……アルヴィス兄様、ですか?」
 私は応える替わりにアゼルを抱きしめた。十年ぶりに抱いた肩は、ずっと大きくなっていた。それでもまだ、私の腕に収めておける。
 遅くなってすまなかった、と。そのようなことを、私は口にしたように思う。さすがに泣きはしなかったが、前後不覚になってしまったのは否めない。
 やっと、長く暗い道を抜けられたと、そう思った。

 月日が流れる。「兄様」が、やがて「兄さん」へと変わり、アゼルは私が誇れるだけの公子となった。士官学校でも――主席とまでは言わないが――優秀な成績を修めていた。士官学校の入学を、私は反対しようかとさえ思っていたのだ。故に、アゼルの頑張りぶりは嬉しさを通り越し、誇らしささえ覚えるものとなっていた。
 笑って欲しい。私が入学を反対した理由は、ひとえに手元から離れる寂しさからだったのだ。もっとも、それから一年としない間に私は王から近衛の任をいただき、バーハラの離宮へと移り住む。結果として、同じバーハラにいることになったのだが。
 そんな中で、私は気づかざるを得なかった。
 私を見るアゼルの眼――見つめる目に、少しずつ怯えのような色が広がっていく事を。
 何がいけなかったのだろう。
 私は強くありたかった。大切な者を、いざと言う時に守り通せるだけ強くありたかった。それが恐怖心をもたらしているのであれば、私はどうすれば良かったのだろう。
 結局、アゼルは私の元から離れて行った。ヴェルダンの蛮族が侵攻してきた際、挙兵したシグルドの軍に呼応して参戦し、そのまま彼の元へ残ってしまったのだ。
 それでも、私は信じていたのだ。いや……信じていたかったのだ。
 アゼルはいずれ、私の元に戻ってきてくれると。愛しただけ、愛してくれていると。

 許さない、とアゼルは言った。
 ああ、それでいい。それでも構わない。
 憎んでもいい、命を狙うのもいい。だから、ここにいてくれ!

 十数年、私はアゼルの行方を探した。そしてその答えは、意外な形で明らかにされた。侵入した解放軍の戦士が言ったのだ。自分はアゼルの息子である、と。そして
「もう十二年も前だ。オレはあの日から、ずっと今日を夢見ていたんだ。貴様を……父さんの仇を討てる、その日を!」
 投げつけられたファイアーの書は、私が贈った物に相違なかった。どす黒く汚れ……それが血痕であるのを見て取る。多分それは、アゼルの血なのだ。私は軽い目眩を覚えた。踏みとどまった瞬間、私は甥である戦士が口にした言葉に、はっとした。
 彼は、私がアゼルを殺したと思い、それを恨みに思っていると言った。つまり――話していないのか? それ以上に憎まれるだけの事をしたのを。絶対に許さないと言った事を。
 私は目を覆った。妻を亡くして以後、流すことの無かった涙が落ちた。
 憎しみを伝えなかった。あのファイアーを、死の瞬間まで持っていてくれた。
 その二つが、私の前に答えを導いたように思えた。
 ――アゼルは、とうの昔に私を許していたのだ、と。
 私はアゼルの息子と戦った。私の命は討たれるべきものだ。だが、討つべき者はアゼルの子ではない。倒れ伏した甥の傷を、死なない程度に治す。いずれ解放軍の者も来よう。時間もあまりない。死なない程度が私の精一杯だった。
 手にしたファイアーを、その脇に置く。曇った宝玉が、あれからの年月を思わせた。
 逝ってしまった、私の愛した人々。父と母、マイリージァとエゲリア、アイーダ、ディアドラ、そしてアゼル。愛しただけ愛されたと、どうしても思えなかったのは何故だろう。
 形が違った。与え方も注ぎ方も違った。だが確かに、アゼルは私を愛していてくれた。私は、受け取るということができなかったのだ。愛されたいと、切望するあまりに。
「アゼル……お前が連れてきたのか? 私に知らせるために」
 答えのない問いを口にして、私は甥の頭を撫で、外へと足を向けた。
 私を討つべき相手が、そこに待っている――私の罪を高らかに詠う、声と共に。


update:1999.09.13/written by Onino Misumi

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