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咲かない花、笑わない娘
Please smile!


 血の臭いがしたの。噎せ返るくらいに濃い、生臭い鉄の臭い。
 目の前が真っ赤。そして。
「こんな時でも……――」
 聞こえ、ないよ。
 聞こえないよ、父さん……。

 ジャンヌは目を開いた。見慣れぬ天井を見る度に、解放軍に従軍して久しいような気になる。
 ――今日は自由行動って言われていたっけ。
 髪を掻き上げてから、いつものように額に帯を巻く。廊下に出たところでレイリアに行き会った。
「おはよう。走ったりしたら危ないわよ」
「あ、ジャンヌ、おはようっ!」
 跳ね回りそうな勢いで、黒髪の少女が前を行き過ぎる。それが急回転で戻って来て、勢い良くジャンヌの手を握って振った。
「デルムッドと一緒に、街を見てくるの。誘ってみるものねっ!」
 デルムッド様が?
 微かな棘が、胸の内を引っ掻く。そんなジャンヌの様子に気づかぬまま、レイリアは元気良く身を翻し、駆け去って行った。
 ――全然そんなそぶりは見えなかったけれど……やっぱり、デルムッド様もレイリアの事がお好きなのかしら。
 くすんだ金髪の青年を思い浮かべる。命の恩人の、息子。兄と共に仕えるべき相手は、父親譲りの、晴れ渡ったトラキアの空を瞳に宿していた。声色こそ違え、父親と同じように人を安心させる口調で話す。その所為か、初めて会った時から近しいものを感じた。事によっては実の兄以上に親近感があったかも知れない。
 フィン様とラケシス様のお子だもの。そう思っても当然だわ。
 胸の内で呟いて、ジャンヌはレイリアとは反対方向に歩き出した。外に出る意欲は失せてしまっていた。

 見張り用の塔に登る。ペルルークの冬空は、何となくトラキア半島の空よりも薄い色に思えた。遠く、霞むような気さえする。
 口を閉ざしたまま、ジャンヌは石柵越しに下を見た。城から出ていく人が見え、それがレイリアとデルムッドであるのを見て取る。遠目にも、レイリアがはしゃいでいるのが判った。デルムッドは……半ば、勢いに引きずられているように見えなくもない。それでも、嫌がっているようには見えなかった。
 レイリアは、同じ女性の目から見ても、躍動感に溢れた美貌の持ち主だった。踊っている時の玲瓏とした様もさることながら、笑顔がとても印象的で、ジャンヌは羨ましいとさえ思った。
 ――私は、あんな風には笑えない。笑い方なんて、もう、とうの昔に忘れてしまったもの……。
「我が軍の男どもは見る眼がないと見える。このような花を一人で立たせておくとは」
 長い口上の途中で、ジャンヌは振り返っていた。何処から持ってきたのか薔薇を一輪携え、ヨハンが扉に寄りかかるようにして立っている。ぽかんとしているジャンヌに構わず、遠慮のない足取りでジャンヌへと近づいた。
「君は街へ出られぬのか?」
「ヨハン王子こそ」
 その返答に、ヨハンはらしからぬ、淡い苦笑を浮かべた。
「私はもはや王子ではない。我が国は自ら滅んだに等しく、今では歴史の中にのみ、その汚名を残している」
 歌うような抑揚で、それも一息で言い放つ。それはそれで凄いことだと、ジャンヌはいささか的外れに感心してしまった。
「私のことはヨハンで構わない」
「いえ、やはりそういう訳には参りません」
 生真面目に応えるジャンヌに、ヨハンは手にした薔薇を差し出しながら
「ならば君の呼びたいように。その美しい唇が奏でるのならば、いかなる名前も甘美に響こう」
 完全に呆れ返り、ジャンヌはさり気なく身をずらして、向けられた薔薇から離れた。
「で、では……ヨハン公子、と呼ばせていただきます」
 ヨハンはにこりとした。そうすると、意外に幼い印象が顔を覗かせる。
「それで、君はここで何を?」
「何と言うほどのことは……」
 もう一度、下に目を向ける。二人の姿は、とうに見えなくなっていた。
「ヨハン公子は、何故ここへ?」
 薔薇の香りを慈しむようにしてから、ヨハンは口端を持ち上げるだけの笑い方をした。
「傷心を癒しに」
「はぁ……」
 釈然としないジャンヌに、ヨハンは意外そうな表情を浮かべた。
「君は、シャナン王子とラドネイの事は知らないのか」
「存じています。でも、それと公子とどう関係が?」
 今度はヨハンが呆れる番だった。良かれ悪しかれ、ヨハンとヨハルヴァの恋は全軍の知るところであった筈だ。ジャンヌが疎いのか自分が自意識過剰だったのか、難しいところのように思える。
 ジャンヌは首を傾げるようにしてヨハンの返答を待っていたのだが、彼は何も言わない。彼の手にした薔薇の花弁がひとひら落ちるのを見て、何気なく拾い上げようとした。その時、不意に吹いた一陣の風がジャンヌの指から花弁を攫った。紅はひらひらと風に舞い、ヨハンの足元に落ちる。何気なく目で追ってから、ジャンヌはヨハンを見た。こちらをじっと見る視線とかち合い、思わず逸らせる。
「私は、ラドネイのために父を捨て、この軍に来たんだ」
 大きく瞬いてから、ジャンヌは亡国の王子を見た。
「私は彼女を愛し――だが、彼女は私を愛さなかった」
 らしくない苦い翳りが、濃い茶の眼にたゆたっている。ジャンヌは、思わず息を飲んで、その様を見つめた。それに気づかぬのか、ヨハンは少し、遠くを見るように目線を上げた。
「女性は皆、花のような存在だ。陽の光、豊穣の大地、清らかな水……それらが揃って、初めて大輪の花を開かせる。
 ラドネイは、月光の下でのみ開く、月下香のような女性だ。私は彼女の月にはなれなかった。なりたいとは望んだが、叶う夢ではなかった。ただ、それだけのことなのだ……」
 何と言えばよいのか判らず、ジャンヌは口を閉ざしたまま、ヨハンを見つめ続けた。ヨハンは笑っている。だがその瞳が、泣いているように見えた。その表情を、ジャンヌは何処かで見たことがあるように思い……すぐに思い至った。フィンの表情に似ていたのだ。泣きたいのに泣けない、泣くことの出来ない表情――見ている方が、切ない表情だ。
「ヨハン公子……」
 そこで初めてヨハンは顔を上げ、にこりとした。ジャンヌの表情に、気がついたようだった。
「人は花だ。咲いてこその……。今は、セリス皇子を中心にして百花繚乱の時代になっている。私は、その中のひとつでいい、誰かの花を咲かせられる人物になれれば良かった。そうありたいと望んでいる。セリス皇子のように、シャナン王子のように……」
「なれますよ、きっと」
 その心さえ忘れずにいれば、きっと……この人は、いずれドズルを引っ張って行かねばならなくなる人だ。きっと、いい領主になれる。
 ジャンヌの言葉に、ヨハンは意外そうな表情を閃かせた。ややあって、にこりと笑う。
「君は、笑った方がいい」
「え?」
「君の花が笑うところを、見てみたくなった」
 ぽかんとしているジャンヌに構わず、ヨハンが続ける。
「君は人を和ませる雰囲気を持っている。きっと、笑顔はさぞほっとすることだろうと思うのだが」

ああ、こんな時でも……オ前ノ笑顔ハ、ホットスルナ……

「父、さん……」
「え?」
 ヨハンは驚き、かつ慌てた。ジャンヌがおもむろに顔を覆い、掠れるような声で呟いたからだ。
「ジャンヌ?」
 覗き込むようにして尋ねる。白い指――剣を学び、たくさん傷ついたそれ――から、はらはらと零れ落ちる雫に、手を差し伸べる。温かくてやわらかなそれは、ヨハンの指先を、ほんの少しだけ濡らした。
「思い出した……」
 ジャンヌは顔を上げ、ヨハンを見た。涙に濡れた茶色の瞳が細められ、表情が歪む。
「あの時……あの時に父さんが何て言ったか、思い出した」
 訝るヨハンの前で、雫に濡れた花が、ゆっくりと開いた。
「笑ってって……笑顔は、ほっとするって……」
 震える肩を、ヨハンはそっと(嫌ならば避けられる程度の力で)抱き寄せた。胸元に寄りかかる、微かな重み。
「ありが……とう……」
 掠れる息の下からの声。ヨハンは、見えない場所でそっと苦笑した。
 ――私は、笑顔が見たいと言ったんだが、な。
 でもまぁ。
 これできっと、彼女は笑ってくれるようになる、かな。
 涙に濡れた笑顔も悪くはないが、屈託のない笑顔は、もっといいものだろうから……。

 この日から、ジャンヌは少しずつ笑うようになる。
 でもその笑顔を引き出しているのが誰なのか、実の兄でさえ気づかなかったのだった。


update:1999.12.19/written by Onino Misumi

Background:Angelic

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