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遠い楽園
We're looking at a happy tomorrow


「結婚してくれ」
 いきなりアレスにそう言われて、トリスタンは面食らってしまった。いや、トリスタンでなくても、いきなり主君にそう言われては、誰でも面食らうだろう。
「……アレス様と、ですか?」
「俺と結婚してどうするんだ」
 アレスの脇で、デルムッドが呆れたような、笑いを含むようなため息を洩らした。
「最初から説明しないと解りませんよ、アレス様」

 話は、今から五分程前に遡る。
 グラン歴七八〇年。アレスのアグストリア統一まで、あと三歩くらいになっていた。軍(民衆の間では「統一軍」や「アレス軍」などと呼ばれている)は現在、アグスティに拠点を移し、次に戦うであろうマディノ城を睨んでいるところである。
 このマディノから、一通の書状が届けられた。内容は――くどくど語っても仕方あるまい。端的に言うと「無血開城をしたい。とは言え、すぐには信じられないだろうから、城主の娘を嫁として差し出す。相手は問わない」だったのである。
 書状に目を通し、アレスは眼前に立つ従弟に向かって言った。
「受け入れるのが得策だろうな。相手が何を考えているのであれ」
「私もそう思います。余計な血が流れないに越したことはありませんから」
 頷いて、アレスは机に肘をつき、従弟を見上げた。
「デルムッド、側室を持つ気はないか?」
「恐れながら、一度に二人の女性を愛せるほど、器用ではないと自覚していますので」
 アレスは一度瞬きをして、僅かに目を細めた。
「……それ、レイリアに言ってやれ。喜ぶぞ」
「言えるわけないでしょう」
「本人に言わずしてどうするんだ。俺に言っても意味無かろうが」
 話題が脱線しかけている。軌道修正と報復の必要を感じ、デルムッドはせいぜい冷たい声音で言った。
「そう言うアレス様こそ、どうして側室に迎えられないのですか? 王たる者、妻帯は複数でもよろしいと思われますが」
「………」
 苦虫をまとめて三匹ばかり噛み潰したような表情で、アレスは顔を背けた。
「リーンに嫌な思いはさせたくない」
「ならばそれを、家臣に押しつけないでいただけますか」
 アレスは一瞬だけ、傷つけられたような表情を閃かせた。
「お前……アグストリアに来てから口調は堅くなったが、言うようになったな」
「有り難きお言葉」
 とは言え、まさか城主の娘――いわゆる姫君――を一兵士に嫁がせるわけにもいくまい。それなりの家臣、となれば、自ずと数は限られてくる。
「失礼します」
 と、そこへジャンヌが現れた。デルムッドが指示して、マディノの動向を探らせていたのである。彼女はその報告に来たのだが……。
「いたな、適任者が」
「一人いましたね」
 訳がわからないでいるジャンヌに向かって、アレスが言った。
「報告は後で聞く。今すぐトリスタンを呼んできてくれ」

 ――と、いうわけだったのである。
「しかし……」
 突然の話に、当然ながらトリスタンは戸惑っていた。主君たるアレスも、そして生涯の忠誠を誓っているデルムッドも、恋人こそあれ婚姻までは結んでいない。「統一が完成するまでは」と二人共が言っている所為だが、その主君達ですら結婚していないものを、自分が、それも姫と呼ばれてしかるべき人物と結婚などして良いのだろうか。
「悪いが、選択権はない。これは命令だ」
 と言われれば
「……ならば異論はありません」
 としか、言い様がない。実はそう言うようアレスに仕向けたのはデルムッドであったのだが(それが一番トリスタンに効くことを、経験上よく知っていたのだ)、そんなことは知る由もないのである。
「ご用がお済みでしたら、失礼してもよろしいでしょうか」
 トリスタンの言葉に、アレスとデルムッドは等しい表情を浮かべた。驚いたのである。
「おい……相手がどんな人なのか、訊かなくてもいいのか?」
「必要ありません。では閲兵がありますので」
 折り目正しい礼をして、トリスタンは二人の前から退出していく。呆気にとられて見送ってから、アレスは軽いため息をついた。
「……誰に似たんだ? あれは」
 デルムッドは返答せず、書状と一緒に送りつけられた細密画に目を落とした。淡い茶色の髪は波打ち、花とリボンで飾られていた。瞳はアグストリア人に多い宝玉の青。顔立ちは――愛らしいと言ってよかった。
「トリスタンは、今年で何歳になるんだったか」
「二五です。貴方と一緒ですよ」
「……あれだな、オイフェとフィーに比べればマシだな」
 それは比べる対象が悪い、とデルムッドは思ったが、敢えて口には出さなかった。

 それから五日後。マディノ城で婚姻の儀が行われた。アレス、デルムッド、トリスタンの三人だけがマディノに招かれ、全軍はマディノの南にある平地に待機することになった。
「まぁ、動くことも無かろうが」
 アレスの言葉には、若干の落胆が見て取れる。後世、「戦いを嗜む」と言われるアレスであったが、別に嗜んでいるわけではなかった。そもそも彼は、マディノの城主アゲノルという男が嫌いだったのである。確かに、彼は反帝国を掲げ、帝国の支配からアグストリアを救うのに、一役買った。だが、その後が悪かった。オーガヒルの海賊とは手を組んでいたし、民への搾取も酷かった。シルベールにいるカドモスと手を組み、反アレスの先頭に立っていた人物でもある。一時、暗黒教団と手を結びさえしたのだ。無血開城を、娘を人質に出してまでも請われた為に受諾はしたが、一刀のもとに殺せなかったのは口惜しくあった。むしろそんなアレスの感情を知っていたからこそ、アゲノルは無血開城を決めたのであろうが。
 丁重な出迎えを受け、聖堂へと通される。既に花嫁は、聖堂で彼らを待っていた。
 ――妻とは言っても、要するに人質なのだ。
 トリスタンはそう思っていたし、現実にそうだった。人質を預かるように言われたものだと覚悟を決めたのだが、実際にその相手を目にした時、訊かなかったことを少々後悔した。知っていれば……否、知っていても断れはしなかったろうが。
 豪奢な婚礼衣装を身に纏ってトリスタンを待っていたのは、今年十五になったばかりという城主の娘、イゾルテ姫だったのである。年端もいかぬ、子供と言ってもよい少女。幼さの強く残る顔立ちは、成長すればそれなりに美しくなるであろう事が予想できたが……それにしたって。
 神の前で誓約をし、婚礼の宴へと移る。トリスタンの隣で、イゾルテ姫はじっと身を固くしているばかりだった。ちらちらと自分に向けられる視線をトリスタンは知っていたが、敢えて気づかないふりをし続けた。向こうも戸惑っているのだろうと、そう思った。
「そろそろ花婿と花嫁を解放して差し上げよう」
 との声が挙がる。トリスタンは席を立ち、アレスとデルムッドに目礼をしてから、先刻妻になった少女に手を差し出した。震える手がそれを取る。従者に導かれて、用意されていた寝室へと入る。二人きりになってから、初めてトリスタンは息がつけるようになった気がした。華美な宴。民から搾取した結果の豪華さ。それと知っている所為だろうか。あの場にいること自体が、息の詰まることのように感じられた。
 ――本当に、これで良かったのだろうか。
 主君の決断に異を唱えるつもりはない。だが、「無血開城」という、敵味方に被害のでない方法を提示されては、ある意味でこちらには選択権がなかったとも言える。マディノ側としては、シルベールを裏切った報復のことも考えて、どうあってもアレスの兵力が欲しいであろう。娘一人で済むのならば、案外、安い話なのかも知れない。
 トリスタンは典礼用の上着だけを脱ぐと、側の長椅子に横になった。
「あの……」
 戸惑い気味の声に目を向ける。寝台の側に立って、イゾルテ姫はトリスタンを見つめていた。
「そちらで休むといい」
「でも、あの」
「貴女は大切な人質だ。危害を加えるようなことはしない」
 トリスタンは目を閉ざした。それ以上の問答を必要としないと言うのを、態度で示す。少しの間、姫は困惑していたようだったが、ややあって着替えを済ませ、寝台に横になったようだった。
 ――疲れた。
 我知らずため息をついて、トリスタンは本格的に眠りに落ちた。
 ……どれくらいの時間が経ったろうか。
 殺気を感じて、トリスタンは反射的に跳ね起きた。視界に飛び込んだのは、月明かりを弾いて銀に輝く剣だった。トリスタンが起きるとは思わなかったのだろう。相手が怯んでいる隙に素早く手を伸ばして、手首を捕らえる。易々と長椅子の上に組み敷いて、トリスタンは改めて相手を見た。
「……何のつもりだ」
 トリスタンの手の中で小さく震えているのは、先刻結婚したばかりのイゾルテ姫であった。かしゃんと音を立てて、剣が床に落ちる。トリスタンのものではなかった。
「父上に命じられたか」
 低い嗚咽が聞こえた。トリスタンは剣を拾い上げると、姫の手を放した。糸でも切れたように、姫は床に座り込み、顔を覆って泣き始める。
「わたし……わたし、殺されるんですか?」
「場合によっては。だが、さしあたって今じゃない」
 トリスタンは姫の前に膝をつき、顔を覗き込んだ。
「父上の命か」
 ふる、と姫は首を振った。では独断か、と思ったトリスタンに、姫は驚くべきことを言った。
「あの方は、父ではありません」
「なに?」
「アゲノルさまに女のお子さまはいらっしゃいません。わたし、このお城にメイドとして上がって、それで……あなたが眠ったら、殺すようにって」
 ――どういうことだ?
 ここで自分を殺して、一体どんな利がマディノ側にあるというのだろう。自分を殺しても、アレス様の軍に差し障りなど――。
「デルムッド様……?」
 ぽつ、と、トリスタンは無意識のうちに呟いていた。
「え?」
 姫――否、イゾルテが首を傾げる。トリスタンはそれに構わず、剣を携えたまま廊下へ飛び出した。

 寝台の敷布をはがし、アレスは剣と手を拭いた。
「戦場でならいざ知らず、皺首の男に寝台の上で殺されたとあっては、あまりにも不様だな」
 聞くべき相手は、既に動かなくなっている。軽く息を零してから、アレスは全身を緊張させた。誰かが廊下を走ってくる。ノックもなしに扉が開き……だが、現れたのは敵ではなかった。
「ご無事で」
「……デルムッドか」
 室内の惨状を見ても、デルムッドは顔色ひとつ変えなかった。おそらく彼の元へも、刺客が差し向けられたのだろう。
「どういうつもりでしょう」
「ふん、端から無血開城する気などなかったということだな。俺達を殺し、さもなくば捕らえて、人質にでもするつもりだったんだろう」
 そこへトリスタンも駆けつけ、推測は確信に変わった。
「いずれにしろ、早々にここを出た方がいいな」
 心なしか嬉しそうにアレスが決断を下す。トリスタンとデルムッドが頷いたところへ、新たな人物が現れた。入口から影が延び、三人は等しく視線を向けた。
「イゾルテ姫……」
 トリスタンは思わずそう呟いたが、もはや姫という呼称は正しくはない。が、他に言い様もなかった。かたかたと震えて、少女は立ち尽くしていた。おそらく、トリスタンの後を追いかけてきたのだろう。
「トリスタン」
 アレスが、冷たい声で言った。
「殺せ」
「アレス様!?」
「騒がれるとまずい。殺せ」
 少女は蒼白になって目を見開いている。動けずにいるというのは一目瞭然。
「ですが……彼女も利用されて――」
「利用されたと見せかけて、アゲノルと通じている可能性もある。第一、俺の家臣の寝首をかこうとした時点で死に値する」
 トリスタンはデルムッドを見た。アレスと同意見であるのは、表情で判る。だが、丸腰の上に子供と言ってもよい年齢の少女だ。それに剣を向けることを、トリスタンは躊躇っていた。戦場で敵を相手にするのとはわけが違う。
「わたし、父も母もいません。家族もないので、誰も悲しみませんから」
 かたかたと震える度に、涙が落ちる。
「でも、あの、痛いのは怖いんで……一回で終わるようにしてください」
 イゾルテはぎゅっと目を閉じて、首を垂れた。トリスタンはますます剣を抜けなくなり、困惑してアレスとデルムッドを見た。こちらの二人も、さすがに後味が悪そうだという気になってきたらしい。互いの目を見交わす。
「アレス様、デルムッド様」
 抜きかけた剣を収めて、トリスタンは思いきって言った。
「私が責任をとります。彼女を連れて行かせてください」
「トリスタン」
 咎めるような声は、果たしてどちらのものだったろう。
「私にはできません。形ばかりにしろ、神の前で誓った妻を、殺すなんてできない」
 デルムッドがアレスを見、アレスはトリスタンを見た。軽いため息が零れる。
「仕方ない。後はどうなっても知らんぞ」
 そう言って、アレスが足早に部屋を出かけた、その時だった。何か、風を切るような音を、トリスタンは聞いた。戸口を出かけたアレスの長身が揺らぐ。
「アレス様!?」
 壁に手をついて、アレスは辛うじて自分の体を支えた。何か――おそらく矢であったのだろう――を抜き取って放り捨てたが、そこで力尽きたのか、壁に沿って座り込む。
「……まずいな」
 低い声で、アレスは言った。自嘲気味の声色だった。ばたばたと走ってくる足音が聞こえる。
「アレス様!」
 デルムッドが側に膝をつく。今度ははっきりと、アレスは自嘲の笑みを浮かべた。
「酷く眠い……ふ、殺すつもりはないらしい」
 冷たく冴えた青玉が、デルムッドを見据えていた。
「――行け」
 デルムッドが無言で頷く。放たれた矢のように駆け出すのに半瞬遅れて、トリスタンが従った。走りざま、イゾルテの手を取る。引きずられるように少女も走り出した。
 廊下の角を曲がったところで、銀の光が閃いた。すかさずデルムッドが剣を抜き、二合とせぬうちに斬り捨ててしまう。何としても逃がすまいとする中を、デルムッドとトリスタンは文字通り屍山血河を築いて逃げおおせたのだった。
 白い朝日が、大地に最初の光を投げかけていた。

 濁った眠りから覚めたアレスは、見たくもない顔を見出し、唾を吐きたい衝動に駆られた。マディノの城主アゲノルが、自分を正面から見据えている。
「……ご気分は」
「最悪だな」
 体の自由が利かない。まだ、薬の効果が残っているのかも知れなかった。もっとも、椅子に縛り付けられていては、切れていたところで自由はないだろうが。
「貴方の軍は出陣の準備をしているとか。主君を奪還しようと言うことらしいですな」
 ――違うな。
 アレスは胸の内でだけ呟いた。奪還だけではない。ここを陥落させようとしているのだ。
「それで? 俺は人質か」
 くつくつと、アゲノルは嗤った。
「その必要もないでしょう。頭を失った軍は弱いものです。なに、そう待たずに壊滅の報せが届きましょう」
 笑みを湛えたまま、アゲノルは立ち上がった。窓から外を見晴るかす。
「デルムッドとトリスタンを逃がしたのは惜しまれますが……所詮、彼らは貴方の手足。頭を失っては何もできますまい」
「手足?」
 嘲るような声であった。訝り、アゲノルは振り返った。
「違いますか? デルムッドという男、貴方の右腕と聞き及んでますが」
 嘲笑がアレスの顔に閃いた。一瞬、アゲノルは寒気を覚えて身を竦めた。
「俺がいなければ何もできないような輩を、手元に置くと思うか」
「……どういう意味ですかな」
 アレスは答えなかった。アゲノルは、彼を厳重に見張るように言いつけて、部屋を出た。

 軍に戻ったトリスタンとデルムッドは、すぐさま出陣の準備をさせた。よもやこの事態を予想していたとは思いがたいが、アレスの命令で、すぐに出陣できるよう準備がされていたらしい。
「本当に、何を考えていたのやら」
 軽いため息を零して、デルムッドは剣の具合を見ている。愛用の剣は、先刻の戦いで刃毀れを生じ、今すぐには使い物にならなくなってしまったのだ。
「それで、どうなさるおつもりで?」
 トリスタンの問いに、デルムッドは首を傾げた。
「どうするって……決まっているだろう。マディノを落とす」
 はぁ? とトリスタンは目を点にした。
「いや、でも、あの、アレス様が捕まったんですよ? そんな、攻撃なんかしたら……」
「だから、だよ」
 剣の具合に満足がいかないのか、デルムッドは軽く眉をひそめた。
「人質というものは、生きていないと意味がない。アレス様の身に何かあるとすれば、それは私達が勝つ寸前だ。それまでは、むしろ戦場にいるよりは安全だろうな」
 だから、とデルムッドは冴えた笑みを見せた。
「思う存分やらせてもらおうじゃないか」
 ――似てない似てないと思っていたけれど、やっぱり血は争えない……。
 トリスタンはそう思い、ほんの少しだけ敵に同情した。これではまるで、アレスが二人いるようなものではないか。敵としては、たまったものではないだろう。
「それで、アレスを助けに行くのね?」
 どういうわけか、アグスティ城で待っていた筈のレイリアがここに来ていた。熱っぽい瞳でデルムッドを見つめる。デルムッドが、それに軽い笑みを向けた。
「いや、助けには行かないよ」
「どうして?」
「その必要はないと思うんだ。むしろ、余計な真似をするなと怒られそうな気がする」
「そ、それでいいんですか?」
 諦めたように、デルムッドは剣を収めた。立ち上がり、トリスタンの肩を叩く。
「そのくらいの事は、期待してもいいだろう。第一――」
「あのアレスが、やられっぱなしで黙ってるわけないものね」
 その声に、トリスタンはぎょっとした。レイリアがいる時点で、当然予想せねばならなかった人物が、背後に立っている。
「リーン、様……」
「なぁに? まるで幽霊でも見たみたいよ、トリスタン」
 にこやかに言って、リーンはデルムッドに目を向けた。
「勝てるんでしょ?」
「無論です」
「じゃ、気をつけて行って来て」
 デルムッドはリーンに向かって一礼し、レイリアに向かって微かに笑いかけると、踵を返した。慌てて追いかけようとしたトリスタンは、あることを思い出して立ち止まった。
「レイリア」
 きょとんとしたレイリアの前に、寝間着姿のままのイゾルテを連れてくる。さすがにそのままにはしておけず、トリスタンの上着を着てはいるのだが。
「彼女を頼む」
「うん、いいけど……誰?」
「私の妻だ」
 はい? と呆気にとられたのをそのままに、トリスタンは大急ぎでデルムッドを追った。

 今の時点でも後世でも、この時のアレスの軍――アグストリア統一軍というのが歴史上の呼称だ――は、往々にしてアレスの独裁と思われがちである。実際、アグストリア本土の戦いでアレス以外が軍の総指揮を執るのは、このマディノ攻防戦が最初で最後であった。この戦いをどう見るかで、統一アグストリア建国時に対する見解が変わる。王の独裁であったか、否か。
「橋を落とさせるな、死守しろ!」
「魔導士は前線に出るな! 迂回し、城の後背を攻めるんだ!」
 トリスタンとデルムッドは、普段アレスがそうしているように、陣頭で指揮を執っている。人質を考慮して戦いあぐねるであろうことを予想していたマディノは、即時対応という具合にはいかなかった。起こる事態に、随時対応がせいぜいだ。
 基本的に、アレスは兵士に人気がある。これは、末端に行くほど熱狂的なものになっていた。軍神の如き強さを発揮し、常に勝利へと導く。その上、今や伝説となりつつあるエルトシャン王の遺児であるのだ。アレス自身には血統を重視する傾向はないが、民はそうではない。七五七年の動乱以降、正統な王を戴いていないアグストリアの民は、アレスが王になり平和をもたらしてくれることを強く望んでいた。
 アレスの不在は兵の士気をくじくどころか、いっそう高いものにした。アゲノルの思惑は、言うなれば反対方向に作用してしまったのである。その勢いは、時としてトリスタンやデルムッドの制御を越えた。
「やれやれ。愛されているな、アレス様は」
 トリスタンとしては、苦笑するしかない。一時軍を引いてデルムッドと打ち合わせたいところなのだが……いっそこのまま城門を突破し、城内戦へ移行すべきだろうか。
 ふぅ、と息を吐く。徹夜に等しいのだ。正直なところ、疲れてもいるし集中力も落ちている。――それは多分、デルムッドも同じだろう。いい事とは言えない。判断を誤れば、全ての兵士を死地に立たせることになりかねない。
「トリスタンさまぁっ!」
 はっとして、トリスタンは振り返った。ごく間近に敵兵がおり……だが、彼は緩慢な動作でうつ伏せに倒れ込んだ。その背後に、息を切らした小柄の少女がいる。手に握られているのは、人の頭ほどもあろうかという石であった。
「イゾルテ、姫……」
 石を放り出して、イゾルテは駆け寄った。心配そうに馬上のトリスタンを見上げる。
「大丈夫ですか? トリスタンさま」
「あ、ああ……」
 どうしてこんなところにイゾルテがいるのだろう。トリスタンはその事態に混乱してしまっていた。彼女はジャンヌと似たり寄ったりの格好をしており、先刻とは随分印象が異なる。
「どうして貴女がここに?」
 にこ、とイゾルテは笑った。更に幼い印象に変わる。
「わたし、兄が五人おりまして、小さい頃から剣の稽古をしていたんです。兄達はみな、戦死してしまいましたけれど……少しでもお役に立ちたくて」
「何故、そんなことを」
 ほんの少しの間、イゾルテはしげしげとトリスタンを見つめ、ぱっと頬を染めた。
「イゾルテは……わたしは、トリスタンさまの妻ですから」
 そんな彼女の背後で、先刻の敵兵が起きあがった。素早く馬を返し、それを斬り捨てる。
「いずれにしても、貴女はこんな所にいてはいけない。戻られた方が」
「お願いです。お側においてください、トリスタンさま。あなたに助けられた御恩、お返ししたいです」
 トリスタンは迷ったが、引き返させても危険なのは変わりない、と思い直した。切り倒した敵兵から剣を奪う。
「丸腰よりはマシだろうから。使えるようならば」
「はいっ!」

 城内戦へと移行し、乱戦となる。その中で、デルムッドと行き会うことができた。
「完璧とは言い難いが、まあまあだな」
 そう言ってデルムッドが笑う。トリスタンは、少しほっとした。
「ところで、どうしてイゾルテ嬢がここに?」
「話すと長くなりますので。デルムッド様こそ、その包みは?」
 にっとして、デルムッドは包みを開いた。現れたのは、魔剣ミストルティン。
「何にしろ、得物は必要だろう?」
 敵地で何を捜していたのやら、とトリスタンは半ば呆れたのだが、確かに必要なものには違いないだろう。
「では、あとはアレス様ですね」
「多分あっちです。牢がありますから」
 イゾルテが案内するのに従って、二人は駆け出した。

「何をやっている! 何の為の人質なのだ。早く連れて参れ!」
 アゲノルの判断は遅かった。アレスを連れ出そうとした兵士のうち、一人は殴り倒されて剣を奪われ、他は全て斬り殺されてしまったのである。アレスは自分を使おうとするその時を待ち、牙を研いでいたのだった。乱戦となっている今では、再捕縛も難しい。
「ええい、どいつもこいつも! シルベールからの援軍はまだか!?」
「出陣はしたようでございますが……」
 歯ぎしりを立てて、アゲノルは眼下の戦場を見た。既に前線は城内に移動している。落とされるのは時間の問題だ。そうなれば、かのミストルティンが頭上に振り下ろされよう。
 皮膚が汗にまみれるのを、アゲノルは感じていた。

 出会い頭に互いに剣を抜き、だが、双方は慌てて剣を引いた。
「アレス様、ご無事で」
「やっと来たか。待ちかねたぞ」
 柄までもが赤黒く染まった剣を見て、トリスタンは「ただ待っていたわけではないな」と思った。やはりリーン様の仰るとおり、やられっぱなしで黙っていられる方ではない。
「こちらを」
 デルムッドが包みを差し出す。受け取って、アレスはにやりと嗤った。
「礼は敵将の首でどうだ」
「いりませんよ、そんなもの」
「そうか」
 ミストルティンを抜き放ち、アレスはぞっとするような冷たい笑みを閃かせた。
「屈辱は十倍にして返さねばな……。あとは俺がやる。すぐにシルベールの軍が来るだろうから、それに備えていろ」
「わかりました」
 駆け去るアレスを見送ったデルムッドは、トリスタンと目を合わせて小さく笑った。
「では、そろそろ投降を呼びかけるとするか。本気でアゲノルに忠誠を誓っている者がどれだけいるか、見物だな」
 トリスタンは見物だとまでは思わなかったが、もしこれが逆の立場だったら、うちの軍はどれだけの投降者を出すだろうと思った。全員が枕を並べて討ち死に、などというのは、流血にロマンを見る者だけの幻想であるのだが……もっとも、実際にそういう境遇にはなって欲しくないものだ。

 マディノ攻防戦、そして、これに続く平原での戦いで、アレスのアグストリア統一は、三ヶ月は早まったと言われている。

「時に、イゾルテ姫は元気か?」
 アグスティに宮廷を構え、即位の為の準備に追われているアレスは、自分以上に多忙なトリスタンに、そう尋ねた。
 実子ではないというのがわかっている以上、姫という呼称も奇妙なものだが、書類上は養女として籍が入っていたので、その後もイゾルテは『姫』と呼ばれ続けている。
「はい、元気ですが」
「仲良くやってるか?」
「まぁ、そこそこには。掃除やら洗濯やら、毎日くるくる働いていますよ」
 トリスタンとイゾルテの仲は、夫婦と言うよりは主人と小間使いのようである。もっとも、これはイゾルテが幼すぎるからなのかも知れないが……。イゾルテの方はトリスタンを憎からず想っているのではないか、とアレスは思っている。ただ、トリスタンの方はどうだろうか。からかい甲斐がないのは事実だ。
「ところでデルムッド、お前は結婚しないのか」
 派手な音を立てて、デルムッドは持っていた書類を床へとぶちまけた。
「……あの、アレス様?」
「頃合いとしてはいいんじゃないのか? 俺の即位の関係で、叔父上もこちらへ来られるんだ。ついでに紹介できるいい機会じゃないか」
 こちらはこちらで、そこそこにからかい甲斐があるようである。
「遊ぶのは構いませんが、お二人とも、それが終わらないと即位の儀がずれ込みますよ」

 アグストリアは、概ね平和になりつつある。


update:1999.08.06/written by Onino Misumi

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