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The sky remind me of you


二 シルベールの森

 シルベールのクロスナイツ、出陣。
 その報せは瞬く間に広がり、アグスティを震撼させた。クロスナイツの出陣は、事実上の最終決戦を意味する。陣頭に兄がいるであろう事を、ラケシスは疑いもしなかった。シグルドの軍が城の近くにあると聞けば、尚のこと。自分を戦場へと駆り立てる思いに、ラケシスは逆らえなかった。
 兄上にお会いしなくては。
 会って、シグルド様とは戦わぬように言わなくては。
 兄は騎士としての道に囚われて動けずにいる。親友同士が戦うのは騎士の道だろうか。盲従するのが真に騎士の道なのか。それを兄に問い、思い止まらせねばならない。それができるのは自分だけだった。
 しかし。
 親友とさえも戦おうとしている兄が、自分に対しても害意なく接してくれるだろうか。いや、兄はともかく、クロスナイツは? ……一人で行くには不安要素があまりにも多かった。しかしながら、頼れる人がいない。一瞬だけフィンの顔が過ぎったが、頼める筈がなかった。
 彼を思いきり傷つけてしまったのは、つい先日だった。あれ以来、気まずくて顔さえも見ていない。マントの端なりとも見ないところをみると、彼の方でもラケシスを避けているのかも知れなかった。そう思うと、胸が疼くような感じがする。痛いような、そんな感じが。

 アグスティ城を出、ほっと息をついた時だった。
「貴女という人は……」
 ぎょっとして振り返ったラケシスの目に、黒い影が映った。誰であるかは声から知れる。
「フィンっ!?」
「こんな夜更けにどちらへ?」
 静かな声の中に、僅かながら怒りが滲み出ていた。何に対する怒りなのかは、言わずと知れたところである。
「シグルド様の所よ」
 こうなればヤケだ。ラケシスは開き直り、昂然と言い放った。
「今のうちなら、まだ間に合う。私が兄様を説得しに行きます。そう言えば、きっとシグルド様も考え直して下さるわ」
 深々とため息をつき、フィンは肩を落とした。ある程度、予想していたのかも知れない。
「ラケシス様、それは非常に危険だと申し上げた筈」
「わかっているわ。でも行かなくてはならないの。お兄様だって、シグルド様と戦いたくはない筈だもの。友と戦うなんて、たとえ主命であっても騎士のすべきことではないわ。違う?」
 だから行かなくては、とラケシスは繰り返した。
「止めても無駄よ」
 再び、ため息。
「誰が止めると言いましたか?」
 ラケシスは驚いて顔を上げた。淡い月光の中で、それでもフィンが微笑んでいるのがわかった。
「私に命じられたのは、貴女がアグストリア軍と戦わぬようにする事。お止めするようには命じられておりません」
 むしろ、とフィンは淡々と告げた。
「姫を危険に曝せば、それこそ主命に逆らう事になるでしょう。――お供いたします。決して危険なことはなさらないと約束していただけますね?」
 ラケシスは一も二もなく頷いた。足が少し震えたのは、緊張から解放された為だろうか。
「一頭しか持ち出せませんでしたので……失礼」
 ひょい、とフィンはラケシスを馬上に乗せ、自分もそれに続いた。相乗りする格好になり、ラケシスは戸惑った。が、
「飛ばします。明け方には追いつくでしょう」
 と走り出され、抗議も何もあったものではなくなった。
「お休み下さい。着いたら起こしますから」
「でも、それでは……」
「姫には大切な役目があるでしょう。体力を無駄になさいません様に」
 申し訳なく思いながら、ラケシスは目を閉じた。眠れるかどうかはさておき、休んでおかなければならないのは確かだった。フィンは槍騎士で有名なレンスターの人間だ。乗馬の腕を心配する必要はない。
 それにしても。
 ラケシスは胸の内でだけ、くすくすと笑った。笑いたくて仕方がなかった。ケンカ別れした筈のフィンが、ちゃんと自分の事を察して来てくれた事が嬉しかった。また手の届く所にフィンがいてくれる。そう思うと、自然と胸が温まった。

 フィンの言うとおり、明け方にはシグルド達の本隊と合流できた。向こうが夜営をして足止め状態にあった事、フィンが夜駆けをした事などが幸いしたのだ。
 しかし、ラケシスの申し出には誰もが難色を示した。乱戦の中ラケシスのみが無傷でいられる保証はなく、またエルトシャンが意思を撤回するまでの犠牲は、無視できなかったのである。
「でも、シグルド様!」
「すまない、ラケシス王女。これ以上、兵を無駄に死なせるわけにはいかないんだ」
 無駄に。
 その言葉が、ラケシスの胸に重くのしかかった。シグルドとて、悪気があってそう言ったのではない。しかし、もし兄が自分の説得に応じなかったならば、それまでに払われた犠牲は、まさに無駄になるのだ。そして人命は、無駄にするべきものではない。
「……解りました」
 ラケシスは唇を噛んで引き下がった。もはや、尽くす手はないように思えた。
「ラケシス様」
 天幕を出たところで、フィンに呼び止められる。フィンは別の天幕で、キュアンに絞られていたのだった。
「ごめんなさい。私の所為で……」
「いいえ」
 些かもこたえた様子を見せず、フィンはいつも通りに微笑んだ。
「それで、シグルド様は何と?」
「……ダメですって」
 当然、そのくらいの予想はしていたのだろう。フィンは別段、表情を変えなかった。
「そうですか……」
「当然だわ。無駄に兵を死なせられないもの」
 自嘲気味に言ったラケシスに、フィンは少しかがみ込んだ。周囲の者に聞こえぬように耳打ちする。
「え……? でも、それじゃあ……」
「後悔したくないのでしょう?」
 でも、と言いかけ、ラケシスは唇を引き結んだ。フィンがどういう思いでそれを言ってくれたのか。自分はどうするべきなのか。
「フィン、私……」
 言いかけるラケシスを遮り、フィンは歩を進めた。
「行きましょう。そろそろ戦闘が始まります」
 迷っている時間はないのだ。ラケシスは頷くと、祈りの剣を握りしめた。

 血の臭いで、息が噎せる。
 ラケシスは身を屈めて辺りを見回した。すぐ側にフィンがいる。前線をかいくぐり、クロスナイツの包囲を隙を抜けて。エルトシャンに会う為だけに、ラケシスはそこにいた。
 フィンが戦闘に参加しているのを、キュアンやシグルドは知っているのだろうか。知っているとして、どのくらい? だが、そんな事を考える余裕はすでに無い。辺りは殆どが敵であり、乱戦状態にあった。
 勇者の槍があるおかげ、とフィンは言ったが、それを差し引いてもフィンは強かった。これほどに強いとは、正直ラケシスは思っていなかったのである。見習いであるから前線に出されないのだと思っていたが、案外、キュアンが一番信頼しているからこそ、自分の護衛につけたのかも知れないとさえ思った。
 立ち塞がった最後の一人を突き倒し、フィンは肩で息をした。兵の厚さを考えるに、エルトシャンはこのすぐ近くにいる。
「姫、お早く」
 ラケシスは慌てて馬から滑り降りた。一応の護身用に、祈りの剣を抜く。
「私はここに残ります。……お気をつけて」
 頷いて、ラケシスは駆け出した。ここは一時的な過疎に過ぎない。すぐ別な兵力が投入される。その前にエルトシャンに会わねばならなかった。
 だが、走り出して間もなく届いた鬨の声に、ラケシスは思わず振り返った。視界に飛び込んだのは、フィンが地に膝をつき、パラディンと争っている姿だった。
「フィン!」
 慌てて戻りかけた足を、鋭い声が止めた。
「駄目だ!」
 声に違わぬ鋭い視線が、ラケシスを射竦める。
「何の為にここまで来たんです! 後悔したいんですか!? 行きなさい! 早く!!」
 それでも、ラケシスは動けなかった。今進めば二度と彼に会えないような気がした。
「行けッ!!」
 その声に弾かれたように、ラケシスは走り出した。溢れる涙が視界を曇らせたが、足が揺らぐことはなかった。

「もう大丈夫ですよ」
 エーディンが肩で息をする。エスリンも額の汗を拭った。
「無茶をするんだから……ありがとう、エーディン」
「いいえ。お陰で戦闘は回避されたんですもの。ラケシス様とフィン殿には感謝をしなくては」
 救護用の小さな天幕の中で、フィンが静かな寝息を立てていた。あれから間もなくシグルドの本隊が到着し、フィンはなんとか一命を取り留める事ができたのである。今は近くの森で夜営を張り、今後に備えていた。
 天幕の隅にはラケシスが横たわっている。狂ったようにライブの杖を振るい、力つきて眠り込んでいるのである。その腕には、後生大事に大地の剣が抱かれていた。それに目をやり、エスリンは顔を曇らせた。
「エルト様はご無事なのかしら」
 エーディンはじっとエスリンの顔を見つめ、俯いた。
「私にはどうも言えません……」
 ふぅ、と息を吐く。
「そうね」
 エスリンも目を伏せる。
 ラケシスは何も言わなかったが、エルトシャンが軍を退いたと言うことは、説得は功を奏したのだろう。では何故ラケシスは何も言わず、エルトシャンの懐剣を抱いているのか。答えを導くのは苦ではない。
 殆ど音を立てずに天幕が開いた。振り返ったエスリンは、疲労の色濃い夫を見出した。
「キュアン……」
「容態は?」
 エーディンが微笑んで頷く。キュアンはほっとした表情を浮かべ、呆れたようにフィンを見下ろした。
「とんでもない無茶をしたな。らしくもない」
 勝手に死ぬなと言ったろうが、とぶつぶつ不平を漏らす。エーディンが軽く会釈をして天幕を出た後も、キュアンは納得のいかない様子でフィンを見遣っていた。
「大人げないわ、キュアン」
「大人げないとは何だ」
「フィンも大人になるのよ。いつまでもあなたの手の上にはいないわ」
 別に俺は……と言いかけ、キュアンは数秒黙り込み、頭を掻いた。
「……そうかも知れん。いや、そうなんだろうな。俺は、フィンがいつまでも子供でいると思っているのかも知れない」
 エスリンは静かな笑みで、夫と忠臣を交互に見遣った。
「あなた以外に命を懸けられるものを見つけるのよ、そのうちね。今のうちから妬いていたのでは、アルテナがお嫁にでも行くようになった時に大変だわ」
 家臣と娘は違う、とキュアンは思ったのだが、否定しきれないところもあったので黙っていた。実際、フィンを弟や息子のように思うところが、全くないわけでもない。
「さて、他の人を診なくてはね。ラケシスを起こさなくちゃ」
「あ、俺が看る。少し休ませてやればいい」
「……無粋よ、キュアン」
 少し悪いとは思ったが、エスリンはラケシスを揺り起こした。
「もう大丈夫だそうよ。フィンのこと、お願いしますね」
「あ、はい」
 がばっと起き上がり、ラケシスは慌てて乱れた髪を梳いた。だらしなく寝入ってしまったのが、口惜しくもあり恥ずかしくもあった。くすくす笑って、エスリン達が天幕を出る。顔が火照るのを自覚しながら、ラケシスはそろそろとフィンの枕元に這い寄った。
 大きな傷は塞がっているらしい。包帯は目に染みるほどに白く、先刻見た彼とは別人のように穏やかだった。
『何の為にここまで来たんです! 後悔したいんですか!? 行きなさい! 早く!!』
『行けッ!!』
 フィンの声が、まだ耳の奥に残っている。ラケシスは目を閉じ、傷だらけの手に自分の手を重ねた。
「ごめんなさい」
 こんなに傷だらけになってまで、私の願いをきいてくれた。叶えてくれた。
「ごめん、なさ……」
 すっと手が抜けた。歪んだ視界が、ぎこちない指に拭われる。
「……何を泣かれているのですか」
 笑おうとした傷だらけの顔が、微かに歪んだ。落ちかかる手を、急いで掴まえる。
「エルト王にお会いできなかったのですか?」
 言葉にならず、ラケシスは必死に首を振った。
「では、戦いに……」
 何度も首を振る。フィンは、怪訝そうにラケシスを見上げていた。
「では何故?」
 首を振りながら、ラケシスはフィンの手を抱きしめた。傷だらけで、ぼろぼろの手。
「ラケシス様?」
 かなり時間をかけ、フィンは身を起こした。泣き続けるラケシスを心配げに見つめる。
「ラケシス様……?」
 とうとう、ラケシスは顔を覆って泣き始めた。解放された手を、フィンは所在なげに彷徨わせる。
「あの、姫?」
「怖かっ……た」
 しゃくり上げる声の中から、辛うじてそれだけが洩れた。
「エルト兄様……もう一度説得してくれるって……」
「それは良かった」
 フィンの言葉に、ラケシスは思わず激昂して叫んだ。
「良くないわ! あなたが、あなたが死んだらと思ったら、私……」
 大粒の涙をぼろぼろと落としながら、ラケシスはフィンを見つめた。青い瞳が、戸惑いを込めて自分を見つめ返している。
 兄の前に立った時も。
 その瞬間さえ、あなたの青が離れなかった。
 馬鹿な自分。そんな時になって、やっと気がつくなんて。
「……あなたが好きなの」
 言葉の意味が脳に届くまで、かなりの時間を要したらしい。たっぷり十を数える時間をおいてから、フィンは顔を真っ赤にした。
「あ、いや、その、私と貴女とでは身分があまりにも……」
 ラケシスは首を振った。聞きたいのは、そんな事ではなかった。
「あなたは? 主命だから、私の側にいてくれたの?」
 フィンは大きく目を瞬かせた。深い空色が逸らされ、逡巡してからラケシスを見据えた。
「叶わぬ想いと思っていました。貴女は私にとって……」
 そこまで言って言葉を切る。ため息をついてから、フィンは小さく首を振った。
「姫」
「は、はい」
 思わず姿勢を正したラケシスを、フィンは穏やかに笑って見つめた。
「いつか、貴女をレンスターにお迎えしたい。今はまだ駄目ですが……国に戻って正式に騎士の叙任を受け、爵位や領地……貴女に相応しいものを手に入れたなら」
 ぎこちない手が、ラケシスの顔を拭った。
「私の、妻として」
「……あなたの国へ?」
「ええ、レンスターへ」
 嬉しいのに、とラケシスはフィンの手に自分の手を重ねた。嬉しいのに、涙が出る。
「あ、でもエルト王がお認めになられるかどうか……一介の、それも他国の騎士に大切な妹姫を――」
 ラケシスは勢い良く首を振った。
「私が幸せになるってわかったら、お兄様だって反対しないわ。一緒に説得しましょ」
 そっと寄りかかった胸は、大きな音を立てていた。
「……連れて行って」
 あなたが愛する国、広がる沃野へ。

 はっ、とフィンが顔を上げた。信じられないものでも見るように、天井を見つめる。
「フィン?」
「……まさか!」
 その叫びに、誰かの声が重なった。
「敵襲ーッ!」
 枕元に置かれていた勇者の槍をすくい上げ、フィンは外に走り出た。自分も大地の剣を手に立ち上がったところで、止められる。
「状況が解るまではここにいて下さい」
 あなたは怪我人じゃない、とか、待つだけは嫌、とか、応じる間もあればこそ。あっという間に天幕から姿が消える。待てと言われたが……ただならぬものを感じ、ラケシスも外へ飛び出した。
 篝火が踊り狂う。風の音? ……否、これは……。
「グランベル王国シアルフィ公子シグルド殿とお見受けする」
 耳慣れぬ風に混じって、空からの不遜な呼びかけがなされた。夜空を埋める黒い翼の群。
「我はトラキア王国竜騎士、パピヨン。主命により首級を頂戴いたす」
 トラキア竜騎士団!?
 それは大陸を席巻する傭兵集団の名だった。トラキア王国はレンスター王国と長年敵対関係にある国である。フィンがいち早く気づいたのは、それ故であるのだろう。
「何故トラキアがここへ……」
「ハイエナみたいな連中だ。戦いがあればしゃしゃり出て来やがって」
 誰かがそんな事を呟いていたが、ラケシスの耳には届かなかった。
 あの誇り高い兄が、戦いを半ばにして他者に道を譲るとは考えられなかった。まして傭兵を雇ってシグルドを討たせるなど。では兄は? 兄はどうしたのだろう。また投獄されたのだろうか。
「どういうことだ!?」
 飛竜の羽音に紛れず、シグルドが叫んだ。
「エルトシャンが、傭兵の介入を許す筈がない。一体、シルベールで何が……」
 パピヨンと名乗った竜騎士は、淡々と言い放った。
「我らの雇い主はシャガール王。ノディオン王エルトシャンはシャガール王の逆鱗に触れ、シルベール城に首を晒している」
『俺にもしもの事があったら形見と思え』
 では、兄様はあの時、既に覚悟をされて……?
『死ぬな、ラケシス!』
 あの時……シルベールに戻るように言わなければ、兄様は死なずに済んだの? 説得してと頼んだから、だからシャガール王の怒りを買って?
 ……兄様を殺したのは、私?

「いやあーッ!!」
 絶叫に、周囲の目が向けられた。気を失ったラケシスが、地面に倒れ伏す。
「姫!」
 フィンが駆け寄るより早く、側にいたエスリンがラケシスを抱き上げた。すぐさま癒しの魔法をかけ始める。
「……大丈夫、気を失っただけみたいだわ」
 ほっとしたが、フィンはすぐに気がついた。本当に辛いのはこれからなのだ。ラケシスは兄を心から敬愛していた。命を懸けても構わない程の兄だったのだ。それが失われて、どれほど心を痛めたか。
 立ち上がろうとしたフィンの肩を、誰かが押さえた。剣闘士のホリンだった。
「側にいてやれ」
「しかし」
 ホリンは手を退けない。フィンは焦れて声を荒げた。
「トラキアの恐ろしさは、我々レンスター人がよく知っている。私が行かなくては……」
 すっと手が退けられた。わかってもらえたかと思った瞬間、ホリンが剣を抜いた。青光りする、美しい剣だった。
「さっき村で手に入れた。つばめがえしと言う。飛行系の敵に対して有効だそうだ」
 その剣で、ホリンは闇を差した。
「飛行系には弓も有効だったな。ここにはミデェールやジャムカもいる。少し任せておけ。……行くぞ、アイラ」
「私に指図をするな!」
 シグルド軍の二大剣士が、戦いの直中に突っ込んでいく。うっかり見送ってしまってから、フィンは息を零した。確かに、怪我をしている自分がどれほど役に立つかと訊かれれば、あまり良い事は言えないだろう。それに、ラケシスについていてやりたいという気持ちも皆無ではなかった。
「エスリン様、ここは私が」
 心得顔で、エスリンは頷いた。
「お願いね」
 ラケシスを抱き取りながら、フィンは堪らない気持ちになった。この細い肩にこれからかかるであろう重圧を思えば、自然と胸が痛んだ。
 私が支えになれれば。
『……あなたが好きなの』
 あの言葉が、義務や同情から発したものでない事を、フィンは心から願った。もし姫の好意が真実のものならば、きっと自分は支えになれるだろう。
 支えになりたいと思った。だから……その為に、アグストリアの戦火を走ることを厭わなかった。強くなりたいと切望した。
 ……こんな事を知ったら、キュアン様が怒るかな。
 そんな自分の考えに、フィンは小さく笑った。

 ラケシスが目を覚ました時、側にいたのはエーディンであった。蝋燭に照らされた、その儚げな美しさについ見入ってしまっていると、エーディンがそれに気づいて目を瞠った。
「ラケシス姫!」
「エーディン様……私……」
 身を起こすと、慌てた様子のエーディンがそっとラケシスの肩を押しやった。
「まだ起きてはいけません。もう少し休まれて」
 されるままに、ラケシスは横たわった。頭がぼんやりする。どうして自分は寝ていたのだろう。
 天幕の天井を見上げて、ラケシスは息を吐いた。軽く目を閉じようとした刹那、声が、耳の奥に蘇った。
『ノディオン王エルトシャンはシャガール王の逆鱗に触れ、シルベール城壁に首を晒している』
 ラケシスは跳ね起きた。エーディンが怪訝そうに振り返る。
「ラケシス姫?」
 耳を塞ぎ、首を振った。聞こえない。自分は何も聞こえない、聞きたくない! お兄様が……エルト兄様が死んだなんて、そんな事……そんな事が、ある筈がない!!

 その声は、キュアンと共にいたフィンの耳にも届いた。とっさに走り出しかけ、彼は慌ててキュアンに一礼した。キュアンが声をかける間もなく走り出す。
「あいつ……」
 シルベール城攻略の大事な伝達事項だぞ、とキュアンは口の中でだけ毒づいた。
「妬かない妬かない」
 エスリンが背中越しにくすくすと笑っている。
「覚えがあるでしょう? 最初のうちは何も見えなくなるものじゃない」
「……俺は最初のうちだけではなかったが」
 エスリンは少し声を低めて笑っただけで取り合わなかった。
「お兄様が呼んでいるわ。相談したい事があるんですって」

「エーディン様!」
 天幕に向かって呼びかける。争う音が断続的に聞こえた。
「エーディン様!」
「フィン殿ですか!? 手を……」
 言葉の半ばで天幕を跳ね上げる。エーディンの腕の中で、ラケシスはもがいていた。耳を塞ぎ、目をしっかりと閉じて。
 エーディンが僅かに避けるのに合わせて、フィンはラケシスを抱き取った。腕の中に押さえつけた、と言った方が、よりしっくりくるかも知れない。
「ラケシス様!」
 びくっ、とラケシスは大きく身じろぎした。まるで、たった今目覚めたかのように、しげしげとフィンを見つめる。その目から、見る間に涙が盛り上がって溢れ出した。
「フィン……お兄様が」
 細い腕が首に絡むのを、フィンは止めなかった。無言のまま肩に腕を回す。
「お兄様が……ぁ」
 まだ、足りない。
 抱きしめる腕に力を込めて、フィンは苦く思った。
 早くキュアン様のお役に立ちたかった。早く大人になりたかった。でもまだ、自分には足りないものがたくさんある。腕の中で泣くこの人を、慰める術さえ持たないのだから。

 さすがに居づらくなったエーディンは、なるべく静かに天幕を抜け出した。火照る頬に手を当てながら、ため息をつく。
「どうした?」
 見咎めたジャムカが声をかけたが、エーディンは曖昧に笑っただけであった。

 ホリンは剣の手入れに余念がない。その横顔を眺めながら、アイラは口を開いた。
「知っていたのか」
 何を、と問いかける視線。何とか言葉を飾ろうとしたが果たせず、アイラはため息と共に、小さく吐き出した。
「フィンと、ラケシスのことを」
 ホリンは一度目を上げてアイラを見、すぐさま剣に視線を戻した。呟くように口を開く。
「互いにないものに気づけば、惹かれ合うのは当然だろう」
 一息で言ってから、ホリンはつと手を止めた。
「少し見ていればそのくらい解る」
 アイラは自分の剣に目を落とした。
 大人になろうと背伸びをしていた少年と、子供のままでいたかった少女と。否応なしに突きつけられた現実を前に、彼らはどう変わっていくのだろう。
 篝火に照らされる金髪を眩しそうに見つめながら、アイラはふと思った。
 この剣闘士にも、そんな想いの経験があるのだろうか。

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