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The sky remind me of you


三 アグストリアの挽歌

「フュリー殿の報告によりますと」
 蝋燭の光の中で、オイフェの指が動いた。指し示されたのはシルベール城の間近に広がる平原である。
「ここにアーマーが配備されています。ボウアーマー部隊も出ているそうです」
「ならばフュリーは前線には出せないな」
 腕を組んで、キュアン。
「ボウアーマーが出ているなら俺やミデェールを配置すれば」
 とジャムカ。だが、オイフェは静かに首を振った。
「確かに中距離攻撃ができるに越したことはありませんが、このアーマー部隊が気になります。できれば、弓兵には後方支援をお願いしたいのですが」
 それに、とオイフェは指を滑らせた。
「この機に、オーガヒルの海賊が動くと思われます。念のため、人員をこちらにも割いておきたいのです。機動性のある、中距離攻撃が可能な人員を」
 不平を唱えるかと思われたジャムカは、しかし至極あっさりと頷いた。
「エルトシャン王の弔い合戦だからな、お前達に任せる。今回は後方に徹させてもらうさ」
 シグルドとキュアンは顔を見合わせ、期せずして同時に息を吐いた。
「弔い合戦か……エルトは嫌がるだろうな、そういう戦いは」
「ああ。だが、私たちの気持ちが収まらないのも事実だ」
 言って、シグルドは小さく苦笑した。彼に似つかわしくない笑いだった。
「あれほど重かった王命が、今は嬉しくさえ思えるよ。少なくとも、エルトに対しては言い訳が立つ」
「違いない」
 キュアンもつられたように苦笑した。
「では、具体的な人員を選びましょう。夜明けとともに出陣したいと思います」
 オイフェの言葉に、三人は頷いた。

 フィンが戦列に加わりたいと言い出した時、キュアンは驚きはしなかったものの、呆れたような気分にはなった。
「……昨夜、ちゃんと眠っていないだろうが」
「それはキュアン様も同じではありませんか?」
 一人前に口答えするようになったか。
 鼻でため息をついて、キュアンは年若い家臣を見遣った。
「正直言って、おまえが来てくれれば楽なところもあるんだが……その、大丈夫なのか?」
「何がですか?」
 何ってお前、と言いかけ、キュアンは口を閉ざした。まぁ、いい事にするか。俺達が納得できないのと同じくらい、こいつにも色々あるのだろうから。
「俺から離れるなよ」
 嬉しそうな頷きを見て、キュアンは自分に対して笑いたくなった。まだまだ、主君としては甘い事この上ないな、と。
 それと同時に感じた一抹の寂しさもまた、笑い話なのだろうとキュアンは思った。

 シルベールの守りは、さほど厚いとは思われなかった。確かにアーマー部隊は強力であったが、絶対数でシグルド軍が勝っていた。連戦の疲れも見せず、兵士はよく戦い、着実に数を減らした。
「城門が開いた!」
 雪崩れるように兵士が殺到する。その中に、シグルドの姿も、キュアンの姿もあった。オイフェは安全な後方にいてくれるよう進言したのだが、彼らは聞く耳を持たなかったのである。この軍では、指揮官は常に陣頭にあった。例えどのような戦いであろうとも、それを違える気持ちはシグルドにもキュアンにも皆無だった。
 その背中が、なんと頼もしく誇らしい事だろう、とフィンは思う。アグストリア王シャガールがもし自分の王だったとしたら、エルト王のように忠節を守れたろうかと思うと、甚だ自信がなくなる。自分の忠誠はキュアンが主君であるからこそ向けられるものであり、キュアンがキュアンでなくなった瞬間に、失われてしまうだろう。
 エルトシャンがどのような思いでシャガールに従ったか、フィンには想像できない事だった。それでも、フィンはエルトシャンを愚かだとは思えなかった。一度だけ、エバンス城で見たエルトシャンの姿。それは威風堂々とした、王者たるに相応しい姿だった。ラケシス王女が憧れ、理想とするのは解る気がする。あの王に、自分はどうやっても敵う筈がないというのも。
 だからこそ。
 シャガールを討つのは自分でありたいと思うのだ。
「無茶をするなよ」
 察したのか、キュアンがそう声をかけた。
「最近、無茶ばかりしているように見えるからな、お前は」
 とっさに何か返そうとして、しかし何も思い浮かばず、フィンは黙って俯くしかできなかった。

 シルベール城の玉座で対面したシャガールの姿を、フィンは侮蔑を込めて見つめた。現れたシグルド達を見る目は、少なくとも騎士の国、アグストリアの王の名に相応しくはなかった。
「貴様ら……」
 喘ぐように、シャガールは吐き出した。
「私はアグストリア王だぞ! 無礼者、下がれ!」
 シグルドはキュアンと目を見交わした。戸惑うような色を、フィンは斜めから見取った。
「降伏を」
 シグルドの言葉に、シャガールは哄笑した。
「血迷うたか。アグストリア王が膝を折るなどあり得ぬ!!」
 魔法が繰り出される。とっさの事に避け損ねたシグルドを、キュアンが無理に引き寄せた。脇をすり抜ける炎の嵐に、シグルドが安堵の息を零す。
「すまん、キュアン」
「無駄だぞ。いっそ殺してやるのが情けというものだ」
 最後のアグストリア王として。
 キュアンの言葉の意味を、シグルドも、そしてフィンも悟った。だが、そういう形で誇りをくれてやるのも、フィンには不快な事だった。
「剣の錆にしてくれる。それとも焼き殺された方が良いか?」
 高笑いを続けるシャガールに向かって、フィンは手槍を投げつけた。それは過たずシャガールの脇腹に突き刺さる。絶叫が辺りに響いた。
「おのれ……」
 血走った目がフィンを見据える。王たる自分を傷つけた、下賤の者として。
「キュアン様、シグルド様、どうぞお下がりください」
 勇者の槍を構え、割り込むようにしてシャガールと対面する。キュアンが戸惑った風に声をかけた。
「フィン、何を」
「キュアン様達が剣を交えるにのに値する男ではありません。お下がりください」
 きっぱり言い切って、今一度シャガールを見据える。与えられた屈辱によって、顔色が紫に変化していた。
「……下賤の輩がッ!」
 放たれた魔法を間一髪で避ける。一瞬吹き出した汗を拭いもせず、フィンは突撃した。
「シャガール王、覚悟!」
 槍は深々と、玉座に王を縫い止めた。流れた血は、シャガール王が流させた血に比べれば微々たるものであった。

 全軍がシルベールに集結する中、フィンは大きな包みを抱えてうろうろと歩いていた。目指す人物を見つけ、駆け寄る。
「ホリン殿」
 あれだけの連戦で大した怪我も疲れも見せず、金色の剣士は余裕でフィンを振り返った。
「聞いたぞ。たいした活躍だったそうじゃないか」
 先に口火を切られ、フィンは真っ赤になった。
「そんなことは……」
「キュアン王子が自慢げに話して歩いていたぞ」
 あの方は……。引きつり笑いをしてから、フィンは用件を思い出した。
「ホリン殿に、これを」
 包みを広げる。銀で作られた大剣であった。
「ほう」
「シャガール王の物だったから良い曰くとは言えないが……」
「誰の持ち物であれ剣に罪はない」
 ホリンは剣を手にし、二、三回素振りをした。剛毅な戦いぶりを見せるホリンが持つと、シャガール王が持っていた時よりも輝いて見えるから不思議だ。
「ちょうどいい重さだな……気に入った」
 剣を鞘に収め、だが、とホリンは声を潜めた。
「いいのか? 褒美だったんじゃ……」
「槍騎士には使えない物だろう?」
「それはまぁ、そうだが」
「貴方には世話になったから。その礼」
 世話ってほどの事は何も、とホリンは思ったが、ありがたくもらう事にした。銀の大剣など、そうそう手に入る物ではない。くれるというものを拒む理由もなかった。
「ときに、会ったか?」
 訳がわからず、フィンは首を傾げた。
「会ったって、誰に?」
 ホリンは何か言いたげに口を開いたが、首を振っただけで何も言わなかった。

 金色の髪を靡かせて、ラケシスは人の間を縫って駆けていた。探し人は一向に見つからなかった。向こうもあちこちに移動しているらしいから、じっとしていた方が会う確率が高いだろう。だが、じっと待つなどできなかった。無事な姿を、一刻も早く目にしたかった。
 空色が、ちらと視界に入った。慌てて目を向けた先に、空色の髪と目を持つ少年の姿。
「フィン!」
 その声に気づいたのか、フィンがこちらを振り返った。
「ラケシス様」
 にこ、と微笑まれ、ラケシスは無性に悔しく思った。こっちがどれだけ心配して待っていたのか、知りもしない。きっと、想像さえしていないだろうと思うと悔しくてたまらなかった。
「黙って行ったでしょう! 誰があなたに仇を討ってくれと言ったのよ」
 困ったようにラケシスを見ていた瞳が、ふっと和んだ。
「ご心配をおかけしまして」
「誰が心配していたと言いましたか!?」
 周囲の人が微笑ましく見守っているのに、二人はまるで気づいていない。フィンは心配されたのが嬉しかったし、ラケシスはそれを見透かされたのが悔しかった。
「無茶をしすぎるのよ、あなたは」
 ラケシスの言葉に、フィンはにこりとした。温かみのある笑みに、知らず知らずのうちにほっとしてしまう。
「怪我は?」
 応えようとしたのであろうフィンの体が、不意に傾いだ。抱きしめられる格好となり、ラケシスは焦ったのだが
「きゃぁあっ!」
 重さに耐えかね、もろともに転んでしまう。冷やかしの声がかかったが、実際はそれどころではなかった。
「ちょっと……フィン、重いっ……」
 けれどフィンは身動き一つしない。すぅっと、背筋が冷えた。
「フィン?」
 ぐったりとして意識がなくて。自分の鼓動だけが変に大きく響いて、ラケシスは怖くなった。
 フィンはいつも応えてくれた。名を呼べば、すぐに。
「フィン……?」
 背中に汗がにじむ。冷たい、不快な汗が。
「誰か……誰か手を貸して!」

 丁寧に毛布をかけ直して、エーディンはにこりとした。
「疲れが出たみたいね。一晩眠ればよくなりますから、大丈夫ですよ」
 安堵のため息が部屋を満たした。キュアンなど、安心のあまりにフィンを殴りつけそうな雰囲気だった。
「考えてみたら」
 とエスリン。
「ラケシス王女を連れてきてからこっち、まともに眠っていなかったんじゃないかしら」
 そうかも知れない、とラケシスは思い返してみた。夜駆けして自分を連れてきてくれた。そしてその日のうちにクロスナイツと戦って……休んでいたのは、怪我をした、あの日くらいだ。それだって一晩丸々眠っていたわけではなかったし……。
「実直な男だとは思っていたが、馬鹿だとは思わなかったな」
 キュアンは肺を空にするほどの深いため息を吐いた。
「キュアン……」
 エスリンは苦笑したが、否定もしなかった。ラケシスはフォローしようと思ったのだが、言うなれば諸悪の根元たる自分に、何が言えるのかわからなかった。
 と、ドアをノックする音が響いた。顔を出したのはオイフェである。
「ラケシス王女、シグルド様がお呼びです」
 力無く立ち上がり、オイフェに連れられて部屋を出ていく。三人は、何とも言えない気まずさの中に残されてしまった。
「……キュアンが悪いわ」
「俺!?」
「そうよ。まるでラケシス王女が悪いみたいに」
「俺はそういうつもりで言ったんじゃ……」
「でも、そう聞こえなくもないじゃない。気にしてしまったのよ、きっと」
「しかしだな」
 まだまだ続きそうな舌戦にピリオドを打ったのは、エーディンの静かな一言だった。
「お静かに。フィン殿の目が覚めてしまいますよ」

 シグルドは、かつて王付きの従者が使っていたという執務室にいた。玉座を己の座とするのは、この堅物とも言える青年には苦であるに違いない。
 自分が呼ばれた理由を、ラケシスはちゃんと知っていた。だからシグルドが歯切れ悪く言い出した時には、とうとう来た、と思うところが強かった。
「――会います」
 冷たい地下室に安置された兄の首と対面したのは、訃報を聞いてから三日後。城を制圧するまでの二日、夏の日に晒されていたという。シグルドが渋った程だ。よほど見るも無惨だろうと覚悟していたのだが、面差しはそのままだった。むしろ安らかと言える顔で、ラケシスは思わず涙が出た。あれだけ泣いて、まだ涙が出るのが不思議だった。
「エルト兄様……」
 変わらないから余計に、死んでいるのが嘘のようだ。
「その……遺体は探したんだが、城内にはなかったんだ。ミストルティンの行方もつかめなくて……すまん」
 ラケシスは首を振った。涙を拭い、毅然としてシグルドを見つめる。
「ミストルティンは正統な持ち主にしか扱えません。……必ず、アレスの元に」
「そうだな」
 少しだけ、シグルドはほっとしたような顔を見せた。
「葬儀はノディオンに戻ってからにした方が良いだろうか」
「いえ……夏は傷みが激しいですから、できればここで。シルベールはノディオンの離宮です。霊廟もここにありますし」
「そうか」
 お義姉様やアレスには何て話をしよう、とラケシスは鈍い頭で考えた。いくら何でも、遠いレンスターからでは葬儀に間に合わない。遺髪を持って、自分がレンスターに行くのが最も早い手段だろう。
 事実上、アグストリアは滅んだ。結局お兄様はこの国に殉じたのだ、とラケシスは思った。それが騎士の生き方ならば……いつかフィンも、レンスターに殉じるのだろうか。
 ――いけない。
 ふる、とラケシスは首を振った。厭世的になっていい事など何もない。そもそもレンスターまでがアグストリアと同じ運命を辿るなど、想像するだけでも不吉というもの。
 先に戻っている、とシグルドが扉の向こうに消える。彼なりに気を使ってくれたのかも知れなかった。
 ラケシスは、今一度、兄に目を向けた。跪き、礼を施す。
「エルト兄様」
 私は大丈夫ですから。
 乗り越えられますから、お兄様。
 ……あの人の側にいれば、きっと強くいられますから。
『ああ、ラケシス』
 応えが聞こえたような気がして、ラケシスは顔を上げた。
「……お兄様?」
 首がものを言う筈もなく、空気は沈黙に澱んでいる。
「お兄様……」
 不思議。まだ涙が出るなんて。
 たまらず、ラケシスは顔を覆って座り込んだ。

 凶報がもたらされたのは、その日のうちであった。シグルドの妻・ディアドラが失踪したのである。

 オーガヒルの海賊達がマディノ城に向かって進軍しているという情報も届き、シグルドの軍はにわかに慌ただしくなった。エルトシャンの葬儀が済み次第すぐさまマディノに軍を戻し、先発隊と合流する事が決まる。
 葬儀は、アグストリアの略式で行われた。祭司はラケシスが務めた。本来ならば一国の王の葬儀。それなりの使者を立てて各国に通達するものだが、このような情勢ではそれも叶わない。
「いいんです。兄は……シグルド様とキュアン様、それに皆様に見送ってもらえれば、それで十分だと思うでしょうから」
 ラケシスの言葉は、おそらく真実であったろう。エルトシャンの訃報を聞き、近隣の民衆が挙って弔問に訪れたのである。彼がいかに慕われていたかを示す結果だった。
 一方、シャガール王の葬儀はアグスティで行われた。こちらは、シグルド軍から参列者は出なかった。討ち取った軍の者が葬儀に参列するというのも奇妙な話である。ラケシスは一度は参列を考えたのだが、偽善だという結論に達して止めた。その死を喜びこそすれ、悲しんではいないのだから。
 これを機に、シグルドは一時的にアグスティを解放する事に決めた。シャガール王の遺体と入れ違いに、アグスティに駐留していた軍はマディノに移され、若干ながらマディノに駐留していた軍と合流することになる。
 また、アグスティに残されていたキュアンの娘・アルテナはシルベールに送られた。すぐにマディノへ向かわねばならぬキュアンとエスリンだったが、娘に会えるのは素直に喜んだ。さすがにマディノに連れて行くのは危険と判断され、またしても家族は離ればなれになってしまうのだが。

 葬儀の後、フィンは三度目の後方待機を命じられた。二度目は命令無視をしでかしているだけに、否とは言えない。
「完全に傷が治るまでは絶対に動かないこと」
 をキュアンの前で誓約させられた。キュアンとしてはまだ足りないところだったが、フィンとしては大袈裟な事この上ない。
「それと、もう一つ」
 フィンの肩に手を乗せ、身を屈めて声を潜める。
「ラケシス姫を支えてやれ。事後処理は彼女の双肩にかかっている」
 真摯に頷く家臣を、キュアンは苦笑して眺めた。ぽん、と肩を叩く。
「ま、間違いを起こさん程度にな」
「キュアン様!」
「冗談だ。そう怒るな」
 ムキになると、まだまだ年相応の表情が覗く。何とはなしに安堵しながら、キュアンは後をフィンの手に委ねる事にした。
 ――フィンの一途さが、時折キュアンを不安にさせる。
 その気性故に、フィンが不幸になりはしないかと。
 気の所為だと思いたかった。実際、ラケシスはその一途さに惹かれたようにも見える。良い結果を導きこそすれ、不幸になると感じるのは、杞憂に過ぎないのではないか。
 ……他力本願は本意ではないのだが。
 自分の授けた勇者の槍が大切な部下を守ってくれるよう、祈らずにはいられない。

 シグルド達がオーガヒルに向かって数日になる。ラケシスは各地から寄せられる被害報告や嘆願に目を通し、裁決を下していった。時にはグランベルの役人と面会しながら。
「ふぅ……」
 目の前に重なる書状の山に、ラケシスは思わずため息をついた。王族として、公務と無縁だったわけではない。しかし、自分が裁決を下すというのは初めての経験だ。それも、海千山千のグランベル役人相手となれば、気苦労も倍である。折を見てアルテナを呼んで遊ぶのが、密かなストレス発散だった。
 早く片を付けて、シグルド様達に合流したい。
 窓から空を見上げて思う。フィンの傷が完全に癒えるまで、そう時間はかからない。彼の傷が治ったなら、すぐにでもオーガヒルに向かおう。彼の主君・キュアンが向こうにいるのだ。彼も反対はすまい。むしろ、ラケシスよりもずっと深刻に、オーガヒル行きを考えているだろう。
 フィンには、政務に忙しくて全然会えないでいる。
 それでも、ラケシスは不思議と不安ではなかった。庭で鍛錬している姿をよく見かけていたし、アルテナの相手をしているところも見かけている。眠ったのを見計らって、ライブをかけに通ったりもしていた。言葉を交わせずとも、顔を見られる、側にいられると思うだけで安心できた。
 どんなに辛い政務だろうと、後ろにいてくれると思うだけで、耐えていける。
 贅沢を言うなら、アグスティでのひとときのような時間を、また持てればいいのだけれど……。

 それからしばらくして。
 城付きの医師から太鼓判つきで、フィンは前線に立つ許可を貰った。今までの報告を兼ねて、とラケシスが同行を申し出ると、城の中はそれに向けての準備で大忙しになってしまった。フィンもラケシスもそれには加われずに、ただただ示される物に頷くしか仕事がない。
 ――出発の前夜。ラケシスは、やっとの事でフィンを捕まえるのに成功した。いざ会おうとすると、こんなにも障害があるものかと、不思議に思えた。
 かの人は露台から、遠くオーガヒルを見つめている。
「フィン」
 呼びかけると、半身を振り向かせた。ととっと歩み寄って、隣に並ぶ。夏の終わりの夜風は、随分涼しくなっていた。
「久しぶりね」
「ええ。お元気でしたか」
「もちろん」
 元気よく笑ってみせると、フィンも微かに笑った。
「やっとキュアン様にお会いできるわね。嬉しい?」
「そりゃ……やっと足手まといを返上できるかと思えば」
 微笑んで、そっと寄り添う。戸惑った風に、フィンが見下ろすのが解った。
「あの、姫」
「なぁに?」
「貴女は残られた方がよろしいのでは……まだアグストリアは落ち着いたわけではないのです。導き手が必要なのですから」
「もう言わないで。決めたんだから」
 ――そうやって困った風に笑うのが、好き。
「それに、あなたと離れたくないの」
 思いがけない言葉だったのだろう。フィンは真っ赤になって俯いた。
「あ……私も、その……姫が一緒にいらしてくれるのなら、こんな嬉しい事はないのですが」
「『が』?」
「……危険に曝したくはないのです。解ってくださいますね」
 ――そう、その眼も好き。私を見る眼が、大好き。
 だってそういう眼をした時は、いつも私を心配してくれている時なんだもの。
「あら、私こう見えても黒騎士ヘズルの末裔なのよ? 剣技に多少の自信があるし、それにフィンが側にいてくれるのだもの。絶対に大丈夫よ」
 そうですね、とフィンは小さく笑った。観念したようにも見えた。
「貴女は私がお守りいたします。必ず」
 うん、と頷いてから、ラケシスは少し背伸びをして、フィンの目を覗き込んだ。たじろぐように、フィンが僅かに身を引く。
「ねぇ」
「は、はい」
「姫も様も止めてね。敬語もよ」
 怪訝そうに、フィンは目を瞬かせた。
「ラケシスはあなたの妻になるの。今すぐでなくても、いずれは。妻に敬語を使うなんて、おかしいじゃない」
 あ、いや、とフィンは曖昧な言葉を口にしてから、ラケシスを押しやるように腕を伸べた。
「努力はします。でも、今すぐはちょっと……」
「じゃ、とりあえず様は止めてね」
「はい、ラケシス様」
「あ」
 言ってるそばから……膨れるラケシスに、フィンは自分が何を言ったのかを悟らざるを得なかった。全くの無意識だったのである。
「……駄目ですね。どうもこう……癖に近いから」
 苦笑してから、フィンはラケシスの背を押した。
「明日は早いのですから、もうお休みください。お部屋まで送りますので」
 せっかく二人きりになれたのに、とラケシスは不満だったが、一理あるのは間違いなかった。明日からはマディノへの強行軍が始まるのである。まともにベッドに眠れる、最後の日だ。
 長い廊下を歩む間、どちらともなく無言のまま、ラケシスの部屋の前に着いた。扉を開け、フィンを振り返る。
「おやすみなさい」
 いつもの笑みを浮かべて、フィンは僅かに身を屈めた。辺りには誰がいるわけでもないのに、憚るように声を潜める。
「おやすみ、ラケシス」
 思わず立ち尽くしたラケシスをそのままに、フィンは一礼し、走るように去って行った。その背中が見えなくなってもまだ、ラケシスはぽかんと突っ立ったままだった。
 自分から請うておきながらおかしなものだったが、兄以外の人に呼び捨てにされるのが、酷く新鮮だったのだ。
 耳朶の熱さに、ラケシスは思わず手を当てた。
 微かにかかった吐息と、優しい響きの声と。
 ずっと側にいたい。
 その為に、守られるだけじゃなくて、守れる存在になりたい。あの人との時間、あの人自身を守りたい。
 ――強くなりたい。

 翌朝、アルテナと朝食を摂っているところへ、顔色を変えたフィンが姿を見せた。無邪気にはしゃぐアルテナに挨拶をしてから、険しい表情でラケシスに向き直る。
「……どうしたの?」
「斥候から、良くない報せです」
 ラケシスは目で先を促す。フィンは手にした紙片をテーブルに置き、口を開いた。
「グランベルの軍勢が近づいています。正確な数は判りませんが、大軍と言ってよいもののようです」
 目を見開き、紙片を手に取る。そこには確かに、グランベル軍が国境を越えようとしていること、数が把握しきれないほどであることが記されていた。そして最後の一節。
『フリージとドズルの連合軍。両公爵を確認』
 ラケシスは息を飲んだ。フリージのレプトール卿とドズルのランゴバルト卿は、シグルドの父・バイロン卿の政敵である。その人達が援軍として駆けつけてくれたと思うほど、ラケシスは楽天的ではなかった。
「……グランベル国内で何かあったのね」
「おそらく」
 短く、フィンは同意を示した。
 だとしたら一刻の猶予もない。
「ラケシス様、この城を放棄し、シグルド様と合流しましょう。私が責任をとります」
 それが最善の策だと解っていても、ラケシスは頷けなかった。
 体が震える。
 ノディオンは空に近い。アグスティにいる軍など、敗残兵の集まりに過ぎない。今、自分がこの城を放棄すれば、アグストリアはグランベル軍に蹂躙され、併合されてしまう。
 エルト兄様が命を懸けて守ろうとした、アグストリアが!
「城を放棄する。準備を」
 はっとして顔を上げる。フィンは毅然とした表情で、次々と指示を出していた。
「フィン!」
 静かな青い瞳がラケシスを映す。吸い込まれそうな色に、出かかった言葉が止まった。
「お気持ちは察します。ですが、今は生き延びることをお考え下さい」
 反射的に首を振りかける。大きな手がラケシスの肩を掴んだ。
「生きてさえいれば、必ず道はあります。ここで貴女が死ねば、誰がエルト王の遺志を伝えるのです」
 つと胸を突かれる。兄の遺髪。そして見つかったアレスへの手紙――それを届けるのが自分の役目だと、そう思ったのではなかったか。
 ラケシスは力無く俯いた。フィンが歩き去る足音だけを聞く。ふと気がつけば、アルテナがラケシスの膝に縋り、大地の瞳で自分を見つめていた。
「……大丈夫よ。必ずお父様とお母様の所へ連れて行ってあげるから」
 抱き上げ、抱きしめる。
 そうだ。この城にはアルテナがいたのだ。それに、罪もない人々もいる。巻き込まないためには、城を放棄するしかない。
 ――それでも。
 身を焼かれる想いがするのは、仕方がなかった。

 グラン歴七五八年、晩夏。
 アグストリア諸公連合は、事実上、崩壊した。

 暦が秋に変わる頃。
 マディノでシグルドと合流を果たしたラケシスは、道中集めた情報を含め、報告した。シグルドの方にも情報が入っていたらしく、グランベル軍侵攻の目的はすぐに明らかになった。
 シグルドの討伐。
 グランベルではクルト王子が殺害され、その首謀者としてバイロン卿の名が上がっている。シグルドもそれに荷担している、というのである。
 これほど国を思う騎士もないのに……。
 ラケシスは心の底からそう思った。兄の側にシグルドのような騎士が在れば、アグストリアも安泰であっただろうに。アグストリアに限らず、グランベルも……いや、ユグドラル大陸全体が、悪い方へと進みつつあるようだ。
 シグルドは祖国の軍とは戦えないと言う。動けなくなった軍の窮地を救ったのは、シレジアのラーナ王妃だった。ラケシスは知らなかったのだが、自分と前後して軍に加わった吟遊詩人が、シレジアの王子だったのだそうで、いわばその縁で、手を差し伸べられたとの事だった。
「一緒に行こう。このまま残っても、きっと殺される。そんな事になったら、エルトに顔向けが出来ないから」
 シグルドの申し出に、ラケシスは応じた。
 つい一年前には想像さえしなかった境遇に、ラケシスは苦笑さえもできないでいた。アグストリアを出る日さえも想像できなかったのに、雪の女王に愛されし国――シレジアへ行く日が来るとは。

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