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夢の終わり、朝の始まり
But the sun has gone behind the heavy clouds


 タラップを降りた時、少し湿った風が少年の髪を掻き上げた。落ちかかる帽子を慌てて押さえ、少年は空を仰ぐ。灰色の雲が広がっており、今にも降り出しそうだった。
「験が悪いなぁ」
 言って、ぐるりと辺りを見回す。何処か、適当に休める所はないだろうか。
「まぁ、何とかなるか」
 気楽な独り言を呟いて、少年は軽快に走って行った。取り敢えずは、到着手続きをする為に。

 新帝国歴〇一五(宇宙歴八一三)年も終わりに近づいていた。街は、各所で新年の祝いの準備で忙しい。特に、来年は議会が制定されてちょうど十年になる節目の年である。これがどういう意味を持つか、あるいは持たせるかが、今後に大きく関わる――とは、来る時に見た立体TVの演説文句である。
 それがどんなものなのか、少年は知りたかった。
 彼は今年、一二歳になった。父が幼年学校に入ったのが一〇歳の時。自分と同じ年の頃は、その幼年学校の主席を占めていたという。
 父と自分を比べようとは思わない。何と言ったか……そう、『凡人に天才を見習えと言うのは間違い』なのだから。
 だから、と言うわけではなかったが、ちょっと冒険をしてみたかった。その先にここ――バーラト星系、惑星ハイネセン――を選んだのは、多すぎる興味と好奇心の結果だった。
 少年は鞄を抱えなおした。通りを歩いている人が多く、ぶつかってばかりいたからだ。議会を見るからには、首都ハイネセンポリスに腰を落ち着けるのが一番なのだが……もう少し、地方にしておけば良かったかな、という後悔が過ぎった。そもそも、新年のお祭り騒ぎが終わるまで、議会など開くはずもない。
 ため息をついた瞬間、抱いていたはずの鞄が消失した。一瞬だけ空を抱き、彼は事態を察した。
「待て!」
 すれ違い様に駆けさった男。あいつがひったくったに違いない。あの鞄には、当座の金品が――いや、それ以上に大切なものが入っている。
 しつこく追ってくる少年の姿に、男は辟易しているようだった。ちらちらと振り返っては、舌打ちしそうな顔を閃かせる。
 前ばかり凝視していればいずれは訪れるべき悲劇が、少年を襲った。整備の悪い道に導かれた彼は、勢い良く地面に突っ込んでしまったのである。
 彼自身が声を上げるより早く、別な誰かが叫んだ。
「アレク!」
 上げかけた悲鳴を、彼は飲み込んだ。自分を助け起こしたのは、あろう事か、フェザーンにいる筈の幼なじみだったのである。褐色の髪を額に張り付かせ、綺麗な空色の瞳は心配そうに翳っていた。
「フェル……どうしてここに?」
 フェル――フェリックス・ミッターマイヤーは、呆れたように年少の幼なじみを見遣った。
「ひょっとして、気がつかなかったとか言うか?」
「え?」
「アレクがいなくなったのにニュースにならないって、変だと思わなかったのか?」
 アレク――アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムは一つ大きく瞬くと、顎に手を当てた。
「言われてみれば……」
 大袈裟に天を仰ぎ、フェルは息を吐いた。
「おい……頼むよ。一個小隊が後つけててもおかしくないんだからな。そのくらい気づいてくれないと困る」
 うん、と頷きながら、誰が困るんだろうとアレクは思った。
「で、フェルはそれにくっついて来たの?」
 まさか、とフェルは僅かに胸を反らせた。
「僕は『獅子の泉』から、ずーっとアレクの後ろにいたよ」
「えぇ?」
「だから、本当に親衛隊が来てるかどうかなんて知らない。僕がつけて来られたくらいだから、いてもおかしくないけどね」
 にこりとして、すぐさまフェルは表情を改めた。訝ったアレクが振り向くより早く彼を引き寄せ、背に押しやる。
「これ、君のだね」
 フェルの肩越しに、アレクは自分の鞄を見た。慌てて伸ばす手を、フェルが遮った。アレクの鞄を持っているのは、優しげな青年だった。
「買い物途中に見かけたんだけどね、あんまり必死だったから……はい」
 人の良さそうな笑顔で、その人は鞄を差し出した。最初こそ警戒したフェルだが、どうやら全くの善意であるらしいと解釈して、鞄を受け取る。
「ありがとうございます」
 いいえ、と笑いかけてから、青年は顔をしかめた。視線を追って、アレクとフェルは同時に気がついた。アレクの服は泥に汚れ、掌には擦り傷がついていたのである。
「……良かったら、うちに来るかい? この近くなんだけれど」
 アレクはフェルの顔を見た。フェルは迷っているようだったが、青年に向かって頭を下げた。
「ご好意、甘えさせていただきます」
 青年は苦笑して頷き、先に立って歩き始めた。

 ――二十代後半ぐらいだろうか。
 アレクは、青年の背中を見ながら、ぼんやりと思った。
「ハイネセンへは、観光?」
「ええ。本当は議会の傍聴をしたくて来たんですけれど、ちょっと予定が狂ってしまって……」
 フェルの返答に、アレクは心底驚いた。この冒険旅行の目的まで見抜かれているとは、正直、思っていなかったのである。
「それは残念だったね。新年が明ければすぐだけれど」
「それまで、いたいな」
 ぼそっと言うと、フェルは片目をつぶった。
「せっかく来たんだ。見て帰ろう」
 アレクは思わずフェルに感謝したが、すぐに思い当たった。アレクが興味を抱く以上に、フェルはこの惑星ハイネセンに思い入れがあるらしかったことを、思い出したのである。
「とか何とか言って、フェルも観光したいんだろう?」
「そりゃ、遠路はるばる来たんだし」
 二人のやりとりに、青年は小さく笑った。
「二人は兄弟かい? 何処から来たの?」
「いえ、幼なじみです」
「フェザーンから来ました」
 フェルとアレクが口々に答えると、青年はいっそう笑顔を見せた。
「そう、そんな遠くから。ハイネセンも結構いい所だよ。来る早々、嫌な思いをさせてしまったけれどね」
「そんな事、ないです。親切な人に会えたし」
 アレクが言うと、嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいね」
 大きな紙袋を抱え直し、青年は腕を伸べた。
「あそこが私の家だよ。もう少しだ」
 こざっぱりとした、官舎のような一戸建てが見えてくる。特に足を早めた風には感じなかったが、それが見る見るうちに近づいてきて、アレク達の前に全容を表した。
 遠目に見た時には思わなかったが、かなり小さい家であるのがわかった。
「ただいま」
 扉を開けて、青年が奥に向かって呼びかける。所在なくポーチに佇むアレク達を迎えたのは、目鼻立ちのはっきりした女性だった。青年と同年代ほどに見える。きらめくような青紫の瞳が、アレクには印象的だった。
「あら、小さいお客さん。どなた?」
「そこで知り合ったんだ。スリにあっていてね。シャワーの用意、頼めるかな」
「いいわよ。さ、あがってあがって」
 室内は、外見に違わずさっぱりしたものだった。アレクは二人の男女の関係を、夫婦だと判断する。多分、まだ子供のいない家庭なのだろう。
「さ、こっちにいらっしゃい。シャワーの間に服も綺麗にしておくから」
 てきぱきと言われ、ぽいとばかりにシャワールームに放り込まれる。フェルが何か言ったようだったが、アレクには聞こえなかった。
 ……こういうのって、運がいいと言うんだろうか。
 アレクは腕を組んで考えたが、すぐに頭を振った。どのみち、服は駄目になっていた。あのままではホテルも取れなかったかも知れないのだ。親切な人に助けてもらったと思って、感謝するのが妥当だろう。

 一方、ダイニングで待たされていたフェルは、いい香りのお茶を出され、恐縮していた。
「あの、どうも」
「いいえ」
 にっこりして、青年が応じる。あんまり人が良すぎて、フェルの感覚をちくちくと刺激していた。自分は一人ではない。ローエングラム王朝の二代目皇帝と共にいるのである。どんな場合でも、アレクの身の安全を確保する義務があった。
 横目で辺りを窺う。……別段、危険そうなものはない。目の前の青年からして、丸腰だった。超小型のブラスターを携帯しているフェルだったが、それは殺傷能力の低い、あくまで護身用のものだ。脅しくらいにしか使えそうにない。
「フェザーンからとなると、さぞ長旅だったろうね」
 丁寧な同盟公用語。アレクも自分も、それをかなり前から学び、よく同盟の放送に耳と目を傾けたものだった。だから、不自由はない。実際、さっきも二人だけの時以外は、同盟公用語で語っていた。
「はい。でも、二人でしたから」
 明らかな嘘である。だが、一方が一方をつけて来たというような特殊な事情は、語るものではない。
「同盟の議会制に興味があるの?」
「と言うより、民主共和制に興味があるんです。あの、僕じゃなくて彼の方が」
 そう、と青年は相好を崩す。それが心底嬉しそうで、フェルは少なからず心が痛んだ。青年を疑う気持ちが、胸の内に棘を刺す。
「君は、興味がないのかい?」
「全くないわけじゃないですけれど」
 フェルの言葉は、正規の同盟語というより口語的なものだった。情報による副産物である。それが今のフェルには有り難かった。不自然な言葉にならずに済む。
「何て言うか……僕が生まれた頃には、もう帝国があったし、皇帝もいたし、それが普通だから。逆に言えば、皇帝のいない世界の方が、変な感じで」
 うん、と青年は頷いた。気分を害したようではなかった。
「それが普通じゃないのかな」
 ……変な人。
 変、と言ってしまうのは失礼だったが、フェルはそう思わざるを得なかった。ヒトの言う事をいちいち肯定して、否定をしない。と言うか……それ以前に、彼は全く自分達を警戒していないのではないだろうか。子供と思われているのなら、それはそれで仕方がないのだが。
「それにしても」
 微笑んで、青年はフェルの隣を見た。件の鞄が、主人の替わりに鎮座している。
「よほど大切なものが入っているんだね、その鞄」
 中身を問うような口調ではなかった。何となく、話題を変えたいのだろうかと思う。
「そう、ですね。僕も知らないんです」
 そこへ、先刻の女性に背を押されるようにして、アレクが戻ってきた。思わず腰を浮かせたフェルだったが、不審に思われるとまずい、と、再び座り直した。

「せっかくだからお茶を」と言われると断るのもおかしなものなのだ。アレクとフェルは、青年宅で午後のお茶をごちそうになることにした。
 予期せぬ来訪者に、女性の方は喜んでいるらしかった。お茶の善し悪しは解らなかったが、いい匂いが、アレクは大いに気に入った。
「これ、いい匂い」
 フェルに言うと、彼は頷いて、自分のカップを傾けた。
「二人とも、ハイネセンには観光で?」
 女性が問う。二人が答えるより早く、青年が応じた。
「議会を見に来たんだって。年明けまでいるそうだよ」
 へぇ、と女性は二人を等しく眺めた。好意の強い視線だった。
「民主制に興味があるなんて嬉しいわ。帝国のヒトなのにね」
「それと」
 アレクは、褒められたのが嬉しくなって口を開いた。
「お墓参りをしたいんです。ハイネセンにあると聞いたんで」
「お墓?」
 これにはフェルも意外だったのか、空色の目を瞬かせてアレクを見た。鞄を探り、一冊の本を取り出す。
「前に、これを母の書斎で見つけて」
 分厚い装丁の本だった。アレクは大事そうにそれをテーブルの上に置いた。
 回想録、とだけ記された表紙を、青年と女性は興味深そうに見つめた。それは、帝国公用語ではなく、同盟公用語で書かれていたのである。
「帝国では手に入れるのが難しいし、翻訳もされないんです。これを読みたくて、ぼく、一生懸命勉強しました。……ヤン・ウェンリー元帥の伝記なんです」
 青年の顔が引きつった。女性が、ぽかんとして青年を見る。その所作に、アレクは首を傾げた。
「あの、どうか……?」
 ただならぬ雰囲気に、フェルの顔を見る。フェルも、何だろうと首を傾げていた。
「ぼく、変なこと言いました?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
 困ったように言った青年を遮るように、けたたましい声で女性が笑った。
「すごい偶然。こんな事ってあるのね」
 わけがわからず、アレクはフェルと顔を見合わせた。
「あなた、サインの一つもしてあげなさいな。そうするべきなのよ、きっと」
 まだ笑い足りないらしく、肩を震わせながら言う。きょとんとするアレクの目の前で、青年は弱り切ったように頭を掻いていた。
「驚いたな、本当に」
「えっ……?」
 アレクを見て、青年はにこりとした。少し、困惑を交えた笑みだった。
「その本を書いたユリアン・ミンツです。……改めて、初めまして」

 安ホテルに部屋を取って、アレクはベッドに突っ伏した。まだ心臓がどきどき言っていて、おかしくて笑ってしまう。
「今日は凄かったね。こんな偶然、オーディンのお導きって感じだよ」
 アレクは酷く上機嫌だったが、フェルはむっつりと黙り込んだまま、適当な相槌しか返さない。
「明日は観光に付き合ってくれるって言うし……楽しみだなぁ」
 ベッドの上をごろごろ転がると、褐色の髪の心配性は、形のいい眉をひそめた。
「フェルは嬉しくないの? あのヤン・ウェンリーの墓所に行けるんだよ? 父上に勝った唯一のヒトの」
「滅多なことを言うな。皇帝ラインハルトは常勝の皇帝だったんだ。負けたことなど一度もない」
 怒鳴る寸前の声に、アレクは顔をしかめた。何だかわからないが、フェルはミンツ家を辞してから、ずっと機嫌が悪い。
「フェル?」
 少しだけ尖らせた下唇。それを噛むようにして、フェルは黙り込んでいる。
「どうしたの? フェル」
「どうした、じゃないよ。変だと思わないか?」
「何が?」
 フェルはため息を吐いた。呆れたようなため息だった。
「あのさ、皇帝ラインハルトは、民主共和制の敵だったんだよ。それは解るよな」
「うん」
「その息子であるアレクが、恨まれてないって保証はないんだよ。まして、あの人は……ユリアン・ミンツは、皇帝ラインハルトと戦ったことのある人物なんだ。そんな人が、もしアレクが皇帝だと知ったら――」
「大丈夫だよ」
 フェルの言葉を遮って、アレクは明るく言った。
「あの人、そんな人じゃないよ。テロリズムで歴史は動かないっていうのが、ヤン・ウェンリーの持論だったんだ。彼を尊敬している人が、テロに走ったりはしない」
「アレク、でもな――」
「それに」
 アレクは声量を上げ、さらにフェルを遮った。
「ぼくを殺しても、何も変わらない。ぼくはまだ名ばかりの皇帝でしかなくて、帝国は母上の手の上で動いてる。そのくらいのこと、あの人はちゃんと知ってるよ」
 だから、と言った時、呼気に欠伸が混じった。
「大丈夫だよ。本当に善意で、ぼくたちを案内してくれようとしているんだと思う」
「そう、かな」
「そうだよ。だからぼくたちは、精一杯、観光客をしなくちゃね」
 ぱふ、と音を立てて、枕に突っ伏す。そんなアレクを見て、フェルはもう一度、ため息を吐いた。
「おやすみ、アレク」
「うん、おやすみ」
 潜り込んで程なく、アレクは夢の中に落ちた。

 翌朝。晴れ上がった青空に、アレクはいたく上機嫌だった。ラウンジで安物の朝食を摂り、安物のコーヒーを飲んでいるところに、ユリアン・ミンツが迎えに来た。
「ちょっと早かったかな」
「いえ。今日はよろしくおねがいします」
 床に頭がつきそうな程にお辞儀をすると、彼は穏やかに笑った。
「こちらこそ。楽しんでもらえれば嬉しいよ」
 外には小さな地上車が待っていた。中に、昨日の女性が乗っている。
「おはようございます、えっと……」
「カーテローゼ。カリンでいいわ」
 今日の空のような笑顔で、彼女は言う。後部座席にアレクとフェルを乗せて、車は動き出した。
「まずは、ヤン提督の墓所だったね」
 アレクは大きく頷いた。
「確か、記念公園内にあるって聞いたんですけれども」
 前の座席の二人は、一瞬目を見交わした。
「うん。そういうことになっているんだけれどね」
 言い淀むような感じで、ユリアンが応じた。
「記念公園はいつでも行けるし、人が多いから……今日は別の所に案内しようと思っているんだ」
「別の所?」
 警戒と訝しさをない交ぜて、フェルが問う。
「本当の墓所の方に、よ」
 後部座席を振り返って、カリンが片目を閉じた。
「あんな賑やかな所じゃ、ヤン提督も眠っていられないでしょうからね。ごく親しい人しか知らない、提督が眠っている所に行くのよ」
 連れてこられたのは、本当に、ごく一般的な墓所。アレクは入口で小さな花束を買い、ユリアンの後をついて行った。静かで明るい、気持ちのいい所だった。
「ここだよ」
 ユリアンが、一つの墓石を指し示す。ありふれた白い石には生没年月日と名前のみが刻まれ、ともすれば見落としそうに地味であった。
「提督、わざわざフェザーンから、会いに来てくれたんですよ」
 まるで生者に話しかけるように、ユリアンが言う。アレクは、思わず背筋を伸ばした。
「初めまして、アレクサンデル……です」
 そっと花束を置く。そんなアレクを、数歩後ろの位置で、フェルが見守っている。
「あの、触ってみてもいいですか?」
「どうぞ」
 そろそろと膝をついて、アレクは白い手を伸ばした。眩しいほどに白い石は、ひんやりとしていた。だが、その冷たさは拒絶するものではないように、アレクには感じられた。錯覚だと、思うのだが。
 ――初めまして、ヤン提督。ぼくは銀河帝国の皇帝として、あなたに敬意を表します。
 心の中で言ってみる。当然、返答はあり得ない。それに、アレクは返答を必要としていなかった。
「気が済んだかい?」
「はい」
 立ち上がって、アレクは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、まだ早いわよ」
 カリンが、いたずらっぽく笑った。
「おもしろい所に連れていってくれるそうよ」
 アレクがユリアンを見上げると、彼はアレクに向かって、小さく笑いかけた。
「運が良ければ、ね」
 その意味を計りかね、アレクはフェルを見た。フェルは不機嫌そうに、明後日の方向を見ているだけであった。

 連れて行かれた先は、議員会館だった。その入口で車を止め、ユリアンが通りすがりの男に声をかけた。
「あ、やっぱりここにいた。アッテンボロー議員!」
 呼び止められた男は、ユリアンを見て顔を輝かせた。
「年末の忙しい時に、どうした?」
「観光ですよ」
「観光?」
 ユリアンは、アレクとフェルを指し示した。アレクは反射的に会釈をする。
「昨日、ちょっと知り合いになった子達なんです。フェザーンから来たんですが、民主政治に興味があるって言うんで」
 ほう、とアッテンボローは感心したようだった。
「それは感心だな。
 ダスティ・アッテンボローだ。よろしく」
 アレクは手を差し出しかけ、目を大きく瞬かせた。
「ダスティ・アッテンボロー……提督?」
 微かな笑みが、アッテンボローの顔に浮いた。
「確かに、昔はそう呼ばれていたけれどね。今は一議員だよ」
「あのっ、あの」
 アレクは慌てて鞄を探った。目的のものを見つけるや鞄が落ちるのにも構わずに、それを取り出す。フェルが急いで鞄を拾い上げる隣で、一冊の本をアッテンボローに差し出していた。
「『革命戦争の回想』、読みました。サインを頂けますかっ!」
 その場にいた全員が、ぽかんとしてアレクを見た。アレクは頬を紅潮させ、大まじめである。
「……ああ、いいけど……」
「ありがとうございます!」
 すっかり舞い上がるアレクを横目に、フェルは鞄を抱えたまま脱力していた。これが銀河帝国皇帝……何かが違うと思うのだが。
「せっかく来たんだ。中を見ていくかい?」
「いいんですか?」
 そう尋ねたのは、ユリアンだった。
「構わないよ。私も用事があったから来たんだ。入れなかったら来ていない」
 瞳を輝かせて、アレクはアッテンボローの後についていく。ますます脱力するフェルだったが、アレクは気づいた様子がなかった。
「ここで議会を開くんだ。議長があの、真ん中に座る」
 指さしての説明に、アレクはすっかり夢中だ。
「二週間前、あそこで乱闘があって……」
 ――乱闘? 議会中の乱闘って何?
 困惑するフェルを後目に、アレクはすごいを連発している。……これが銀河帝国皇帝かと思うと、フェルは目眩と頭痛がした。
 こんなようでいいのだろうか……いや、いいはずは無いと思うのだけれど……。
 にこにこと上機嫌なアレクを見るのは、悪い気はしなかった。だからつい、制止するのが憚られたのだが……それを思い切り後悔するまでに、そう長い時間は必要ではなかった。その後、延々二時間、アレクはアッテンボローから話を聞き続けたのである。

 公園脇の売店で、安物のフィッシュアンドチップスとミルクティを注文する。そこは、かつてハイネセンでクーデターが起きる前に、ヤン・ウェンリーとアレクサンドル・ビュコックが秘密の相談をした場所であった。
「おいしいものではないよ」
 とユリアンは言ったが、同盟の名将達ゆかりの品を食べてみたいと、アレクが言ったのだ。
「おいしいよ、結構」
 はい、とアレクが差し出したフィッシュアンドチップスを口に入れ、フェルは少し顔をしかめた。
「そうかなぁ?」
「おいしいよ。歴史に登場する食べ物だもの」
「それって思いこみ」
「思いこみも味覚の一つだよ」
 二人のやりとりを、カリンが笑って聞いている。小春日和のやわらかい風が、辺りをふわふわと漂っていた。
「なんか、不思議な気分……」
 ぽつりとアレクが言った。
「ずっと憧れてたけれど、絶対に来られないと思っていたのに……思い切って旅をしてみて、良かった」
 ベンチに背を預け、アレクは思いっきり伸びをした。
「また来たいな。ね、フェル」
 フェルが応えるより早く、カリンが言った。
「またいらっしゃいよ。まだ見てない所がたくさんあるんだから。案内してあげるわ」
「ありがとう。カリンさんがフェザーンに来たら、ぼくが案内するね」
「期待してるわ」
 それを微笑して見守っていたユリアンが、ふと、険しい表情を浮かべた。それに気づいたフェルが、彼の視線を追う。
「……アレク」
 え? とアレクは二人が見ている先を見つめた。黒塗りの地上車が一台。そこから降りたのは、金褐色の髪をした、優しげな青年だった。
「にいさん!」
「ハインリッヒ……」
 二人の呼びかけに、青年はにこりと笑って応じた。真っ直ぐにユリアンの前まで歩く。
「私はハインリッヒ・ランベルツと言います。弟たちが、お世話になりました」
 深々と頭を下げてから、アレクとフェルを見る。
「さ、もう帰ろう。お母さん達が心配しているから」
「え、でも……」
 言い淀むアレクにハインリッヒは笑いかけ、だが反論を許さない口調で言った。
「家出をしてここまで来たんです。もう十分でしょう」
 弾かれたように、カリンはアレクを見た。アレクは下唇を噛んで、俯いていた。
「家出って……」
「ごめんなさい……話したら、きっと帰れって言われると思って」
 もう一度、小さく「ごめんなさい」と言って。
 アレクは震える手で、フェルの袖を握った。
「ハインリッヒ、フェルのことは怒らないで。心配して、ついてきてくれただけなんだから」
「すべてあちらで伺います。行きましょう」
 フェルが、そっとアレクの手を取る。頷いて、アレクはハインリッヒが示す車へと、足を向けた。ユリアンとカリンは、車の側までついてきてくれたが、何も言わなかった。
 アレクは車に乗ってから、窓を開けて身を乗り出した。
「手紙、書いてもいいですか? ちゃんとお礼がしたくて……アッテンボロー議員にも」
「待っているよ」
 微笑みかけられて、アレクは胸が痛くなった。姓名を偽っていなければならないのが、切なかった。
「行きますよ」
 ハインリッヒが促す。窓が閉められたその時、ユリアンの唇が、音のない言葉を紡いだ。
「――えっ」
 すぐさま車が動き出す。慌てて後ろを見たが、遠ざかる二人の影が見えただけであった。
「フェル……今の、見た?」
「……うん」
 アレクは、フェルと顔を見合わせた。ユリアン・ミンツの唇は、こう言ったのである。『また会いましょう、皇帝陛下』と。
「……いつから知ってたんだろう」
「さぁ……」
 シートに身を預け、フェルは指を組んだ。
「知っていて連れていってくれたんだな、あの墓所へ」
「うん……何か、嘘ついたみたいになっちゃったね。やっぱり、ちゃんと手紙を書いてお礼しよう」
 しみじみする二人を、ハインリッヒがバックミラー越しに睨んだ。
「帰ったら、ヒルダ様と元帥のお説教が待ってますよ。まったく、無茶をされる」
 二人は目を大きく瞬たかせ、苦笑して互いの顔を見遣った。

「立憲君主制への移行は、うまくいくんじゃないかな」
「どうしてそう思うの?」
「民主共和制への興味を押さえられない皇帝陛下がいるからね。家出をしてくるほどの……そう遠い未来ではないんじゃないかな」
「……それも、そうね」
 小さく笑いあって、二人は家路へとついた。

 新帝国歴〇一六(宇宙歴八一四)年が、明けようとしている。それは、バーラト星系に議会が設立されて、ちょうど十年になる年だった――。


update:1999.06.29/written by Onino Misumi

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