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荒野、佇む人
Sleep my dear...


 ――雨の音が、嫌いだった。

 ねばつくような霧が街を沈ませる。砂漠は寒暖差が激しく、湿気にも乏しいのだが、ここ、オアシスの街ダーナは少し事情が違った。オアシスであるが故に、朝夕は霧が立ちこめる。雨のようにはっきりではなく、微かにまとわりつく湿気が、衣服を重くする。
 しっとりと湿った剣を抱き、少年は目を閉じていた。年の頃は十七、八。眠っているのかどうか定かではなかったが、周囲のざわめきに耳を貸さず、じっとうずくまっていた。
「アレス」
 少年は顔を上げた。背の高い男が、彼を見下ろしている。
「行くぞ」
 ゆらりと立ち上がって、少年――アレスは剣を腰に差した。自分が起こした風に、微かに混じる血の臭い。
「今度は長くなりそうだな。少し腰を落ち着けるぞ」
 アレスは何も応えなかった。剣の柄にはめ込まれた宝玉を、無意識のうちに撫でる。
「領主のブラムセルが、一度お前に会いたいそうだ。どうする?」
 命令ではない口調。だが、それはこの男らしからぬ事だった。アレスはその言葉の裏を考えずにはいられない。
「……会いたく、ない」
「そうか。無理にとは言わん」
 言って、男はアレスの肩を叩いた。
「少し休んでいろ。宿代は雇い主持ちだ」
 つまりそれは、一番高い宿にいろ、ということで。
「適当に骨休めをするんだな」
 歩き去る男をわずかに見送って、アレスは反対方向に向かって歩き始めた。

 朝市の喧噪を避け、路地へと足を向ける。早く血の臭いを落としてしまいたかったが……さて、宿を何処にとるか。
「放してよッ!」
 甲高い声が、鼓膜にちくりと刺さった。何だろう、と疑問に思う労さえ惜しみ、アレスは構わずに歩を進めた。何のかのと言い立てている声が聞こえたが、頭までは届いていない。一晩がかりの仕事が終わったばかりなのだ。さっさと眠ってしまいたい。
 しかし、この時ばかりは神も見放したようだった。腕に伝わる、どん、という衝撃。視線を落とすと、きつい黒の瞳が自分を見上げていた。
「ちょっと! きれいな女が困ってるのに、無視するの!?」
 アレスは目をぱちくりとさせた。状況が、よく飲み込めない。自分の腕を掴んでいるのは妙齢の女性。そして、その自分達を取り囲むようにしている男達――。
「こりゃまた、きれいな坊やじゃないか」
 男の一人が言った。
「きれいな顔に傷つけたくなきゃ、そいつを置いてとっとと失せな」
 ――こういう場合の台詞というものは、酷く没個性なものになるのだな。
 アレスは鈍い頭でそう思った。
「お、いい剣を持っているじゃないか。ついでにそれも置いて――」
 伸ばされる手を、アレスは反射的に切り伏せた。血をまき散らして手首が落ち、男が悲鳴を上げて街路をのたうち回る。
「触るな」
 呟くような声に、初めて男達は我に返ったようだった。
「きさま……」
 そう呻く声には、怒りの他に、わずかな恐れがあった。男の中の誰一人として、アレスが剣を抜く瞬間を見ていないのである。だが、数の多さを思い出しもしたのだろう。誰も引こうとはしなかった。
「ガキのくせに、なめやがって」
「俺は疲れている。早く寝たいんだ。邪魔をするな」
「なに、焦らなくても眠らせてやるさ。永遠になっ!」
 さほど間をおかず、その場に立っている人間は二人だけになった。アレスは息さえ乱さず、冷然と人であったものを見下ろした。
「すっごい……あんた、強いのね」
 女は声を弾ませたが、アレスは視線さえ向けなかった。構わず立ち去ろうとする背に、高い声が投げかけられる。
「ちょっと待ちなさいよ」
 ぐい、と腕を掴まれる。ぴりっと走った痛みに、アレスは思わず顔をしかめた。
「怪我してるじゃないの。あたしの家、すぐそこなのよ。手当してあげる」
 無視を決め込んだのだが、女はアレスの腕をしっかりと掴み、放そうとしない。困惑したアレスを引きずるようにして、女はさっさと足を運んだ。
「見慣れない顔だけど、新しい傭兵? 若いのに大変ね」
 歩きながら、そう話す。
「あたし、ピュラっていうの。この辺じゃ、知らない人がないくらいの踊り子なのよ」
 なるほど、と鈍い頭でアレスは納得した。ひきしまった体躯。それは踊りによって鍛えられているからだ。
「一度、見に来なさいよね。大抵、あの酒場にいるから」
 指さされた方向を見る前に、彼女は方向変換した。路地に沿った扉を開く。
「あ、おかえりなさい」
 やわらかい声が、奥から聞こえた。ただいま、とピュラが応える。
「薬、持ってきてくれる? 傷薬の方」
「それ、何処にあるの?」
 再び、奥からの声。どうやら、アレスよりも幼い、少女のようだった。ピュラの妹か……あるいは、娘かも知れない。
「棚の上の方にあるはずよ。この間、使ったばかりだから」
「わかったわ。探して持ってく」
 くるりとアレスを振り返り、ピュラはにっこりした。
「そこに座って待っててよ。お茶くらい、出すわ」
 踊るような歩調で、さっさと奥に消える。アレスは鼻でため息をつくと、指し示された長椅子に腰掛けた。
 室内を見回す。こざっぱりとした、それほど大きくない家のようだった。女二人が住むには、少し狭いくらいかも知れない。
 欠伸を一つして、アレスは軽く目を閉じた。予定は大いに狂わされてしまった。早く、休みたい……。

「あれぇ?」
 すっとんきょうな声を上げて、少女は後ろを振り返った。
「ピュラ姐さん。この人、寝てる」
「あら本当。……疲れてるって、本当だったのね」
 くす、と笑って、ピュラは床に膝をついた。持ってきた手桶の水で、丁寧にアレスの傷を拭う。少女は助手よろしく、薬箱を開いた。慣れた手つきでピュラは手当を続ける。
「剣、持ってるのね。傭兵さんかな?」
「そうみたいね」
 応えてから、ふと、ピュラは彼の持つ剣に目を留めた。大きな剣……こんな少年に、似つかわしくない大振りの剣だ。細かい細工が施されている様は、素人目にもただならぬ名剣であるのが窺える。
「……そうでもない、かな?」
「え?」
 少女が問い返す。軽く首を振って、ピュラは立ち上がった。
「何でもないわ。それよりリーン、今日はなるべく静かにね。彼、あたしの命の恩人なの。起こさないようにして、なるべく寝かせてあげましょ」
「はぁい」

 ……しゃらん……。
 鈴の音……? 違う。あれは剣の鳴る音。
『お父様は、シグルドという人に裏切られて亡くなられたのです。だからアレス、お父様の仇を討ちなさい。討って、必ずノディオンを再興させるのです』
 ……しゃらん……。
『ほら、ミストルティンが哭いているでしょう。アレスは正統な継承者なのです。シグルドの血を、その息子の血を、ミストルティンに与えなさい。そしていつか必ず』
 ……しゃらん……。
『アレス』
 母上。
 どうか泣かないで。きっと殺すから。俺が、この手できっと殺すから、だから……。
 ……しゃん。
 もう、泣かないで。
『アレス』
 水の匂い。母上の声が、とぎれとぎれに聞こえてくる。雨。涙。そして、哭く剣。
 ……しゃらん……。

 ――俺は今、何処にいる?

 派手な音と共に、何かが体にぶつかった。目をぱちくりとさせたアレスの視界を、雫が滴り落ちる。
「きゃー、大丈夫?」
「……?」
 ぱたぱたと落ちる雫を、煩わしげに掻き上げた。指に長目の前髪が張りつく。視界に入ったのは、緑色の髪と瞳をした小柄の少女だった。わたわた慌ててアレスを見ている。
「あの、ごめんなさい。あたし……」
「なぁに? 何の騒ぎ?」
 奥から、黒髪の女が姿を現す。目鼻立ちのくっきりした、そこそこの美人だった。年齢はアレスよりも若干上。勝ち気な黒い瞳が印象深い。
 ――誰だっけ。
 ぼんやりしているアレスを見、女はふむ、と頷いた。
「あんた、名前は?」
「アレス」
 反射的に答える。女は小首を傾げ、
「いい名前ね。もっとも、あたしの名前には劣るけど」
 言うなり右手を閃かせ、派手な音をアレスの頬で炸裂させた。呆気にとられ、女を見る。
「……何で俺は、いきなり水をかけられた挙げ句に平手打ちを喰らっているんだ?」
「目が覚めたのね、上出来だわ」
 身を翻し、先刻の少女に向き直る。
「それでリーン、どうしたの?」
「あ、水を運んでたら、その人の足に引っかかっちゃって、それで……」
 そう、と微笑んでから、女は再びアレスの方を向いた。
「まだ寝惚けてるの?」
 ――あ。
「ピュラ……だったか」
「そうよ。思い出せなかったらもう一回くらい殴ったわよ」
 拳をつくってそう言ってから、ピュラはにこりとした。
「着替えになりそうなもの、持ってくるわね」
「いや、いい。拭くものがあれば貸してくれ」
 ピュラは何か言いたそうだったが、頷いた。後ろに立つ少女を振り返る。
「ちょっと探してくるから、リーンはここを片づけてちょうだい」
 リーンと呼ばれた少女は、こくんと頷いた。すぐさま桶を拾い上げ、辺りを拭き始める。ピュラはさっさと奥に消え、そこには二人だけが残された。
「ねぇ」
 少女――リーンは、興味深そうにアレスを見ていた。
「あなた、ピュラ姐さんの友達?」
「通りすがりだ」
 素っ気ないアレスの言葉に、リーンは少し残念そうに見えた。
「なぁんだ。姐さんの恋人かと思っちゃった」
「……俺は、今日ダーナに着たばかりだ」
 ふぅん、とリーンは床に膝をついた。拭き終わったのか、手を止める。
「あたしはね、生まれてからずぅっとダーナにいるの。後で、案内してあげようか」
 断ろうとし、ふと思いついて尋ねてみる。
「この街で、一番高い宿は何処だ?」
 首を傾げてから、リーンはしげしげとアレスを見つめた。
「あなたが泊まるの?」
 ……なるほど、金が払えるのかと暗に尋ねられたのかも知れない。確かに、自分は金持ちのようには見えないだろう。
「連れが待っている筈なんだ」
 考えるように天井を見上げてから、リーンは
「そうね、西の方に大きい宿があるから。そこが一番高価よ」
 と言った。アレスがそれに応えるよりも早く
「あら、仲良く何の話?」
 大振りの布を広げ、ピュラが笑って現れた。アレスとしては、別に仲良くしていたつもりもなかったのだが……。布を受け取りはしたものの、特に反論はしなかった。リーンも、特に何も言わない。
「お水汲み直したら、今日は帰るね」
 桶を持ち上げて、リーンは返事も待たずにぱたぱたと姿を消す。
 その言葉に、アレスは疑問を抱いた。
「帰るって……ピュラの妹か何かじゃないのか」
 アレスから布を受け取って、ピュラは
「違うわよ、この先の修道院の子。踊り子になりたいって、あたしに踊りを習いに来てるのよ」
 言って、卓の上に手を伸ばす。置かれていた鈴を持ち上げて、しゃん、と鳴らした。
「修道院?」
「そう。あの子は根無し草だから」
 耳慣れない言葉に、アレスはピュラを見つめるしかできない。苦笑して、ピュラはもう一度、鈴を鳴らした。
「孤児ってことよ。踊り子なんて、大抵そう。あの子はね、自分を預けていったのが踊り子風の娘だったって聞いて、踊っていれば親に会えると思ってるのよ」
 話しながら、小気味よく鈴を鳴らす。しゃんしゃんと連なる音に、アレスはうたた寝の合間の夢を思い出していた。あれはミストルティンの哭く音などではなく、きっと、リーンが舞の練習をしている音だったのだろう。
 ……孤児という一点に置いて、自分とあのリーンという少女は、境遇が似ている。
「最初ねぇ、踊り子なんて諦めさせようと思ったものよ。男には絡まれるし、ヒトには誤解されるしで、いいことは少ないけど……あんなに一生懸命だとね、放っておけなかったのよね。あたしが断ったら、あの子、余所で踊りを習ったわ。そのくらいなら、あたしが教えた方がマシってものだもの」
 踊り子の中には、体を売って生計を立てている者も少なくない。そういう女達を、アレスは幾人か見たことがあった。『踊り子』という職業の印象は、そう言った女達によって占められている。純粋に踊りで生計を立てようという者達にとって、これほど厳しい偏見もないだろう。
 ふと、アレスは疑問を抱いた。それがつい口から零れたのは、まだ夢現の状態にあったからかも知れない。
「なら、ピュラは何故、踊り子になったんだ?」
 目をぱちくりとさせて、ピュラはアレスを見つめた。ややあって、にっこりと笑う。
「よーし。リーンが戻ってきたら、特別タダで見せてあげるわ。このピュラの舞ってものを、ね」

 自分より遅く帰って来たアレスを、ジャバローは気にした風ではなかった。何処にいた? とも、何をしていた? とも尋ねなかった。
 尋ねられたところで、ろくな返事は出来なかっただろう。

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